2009年12月22日 (火)

柚子湯 2009

  •  きょうは冬至。ことのほか寒い日でした。記憶の限りでは、結婚して後、柚子湯を毎年忘れYuzuyuずに立ててくれていて、新婚当時、新鮮な思いをしたものでした。なんでも、実家のお義母さんが、5月の菖蒲湯、冬至の柚子湯を毎年立ててくれていたとか。ひび、あかぎれに効き、風邪を防ぐとも云われます。

  •  ………実は柚子湯の記事、2年前にも書いています。今年の思わぬ師走寒波は、今日までとの予報ですが、2009年の今夜も、温かい柚子湯を立ててくれました。

  • 毎年、冬になると「あかぎれ」に悩む私ですが、今年も先週くらいから、右手親指のアカギレから、どうやらバイキンが侵入したらしく、ズキズキ痛み始め、きのう、皮膚科を訪ねました。処方をもらい、1日たったところで、さらにパンパンに腫れあがり、つい先ほど、再訪して、「エイヤッ」と、針を射し込まれて、膿を抜いてもらいました。その痛いこと!。パナソニックの「小雪」みたいな美人看護婦さんが「私も思わず痛くなりました」と、慰めてくれました。

  • で、その痛みを落ち着かせて、2009年冬至の柚子湯を使ったというわけ。右手を湯につけられない変則バンザイ入浴でしたが、その分、左手でポカポカ浮かぶ柚子を、沈めたり浮かばせたりしながら、ゆっくり温まりました。

   新妻に義母の伝えし柚子湯かな

  • 駄句一句~~~。いちおう、感謝の気持ちを込めたつもり。

  • もうすこし、気のきいたほんものの句を、いくつか拾うことにします。

    不器用に生きて冬至の湯に浸たる

                     山岡千枝子

    柚子湯して命の末の見ゆるかな

                     林 翔

  • みなさまは、どんな冬至をおすごしでしょうか?

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2009年12月19日 (土)

千両と万両

  • Mannryo1 列島への師走寒波、こちら立川の今朝の温度は、マイナス1度。現在午前9時では3度。快晴だけれど、庭に出るとさすがに寒さを感じる。

  • いつのまにかわが庭に増えている万両。『ヤブコウジ科の常緑低木。7月ごろ白花が散房状に下向きに垂れて咲き、果実は球形で深紅色に熟する。千両とともに冬枯れの庭に彩りを添える』と、歳時記にはある。

  • いっぱいの実の位置が、葉っぱの下部になっているので、やや地味だけれど、歳時記の通り殺風景なこの季節の庭の彩りだけに、よく頑張っているなと思える。

Mannryo2_2 Mannryo3                      

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   万両の万の瞳の息づきて  永方裕子

  • Sennryo 玄関に飾ったのは千両。『暖地の林内に生えるセンリョウ科の常緑低木。夏、枝先に花弁のない黄緑色の小花を群がりつけ、冬に入ると小球果が赤熟する。実と緑の葉の対照を愛でて、正月の鉢植えや生け花に用いる』とある。葉の上に実ができて、こちらのほうが順序正しい。いただきもの。

  • 千両と万両、どちらがいいか?どうしても比較することになる。一般的には千両に分がありそうだが、自分の庭にあるので、やはり身びいきか、私は「万両」と言っておきたい。

    祇王祇女他無縁墓実千両  田中水桜

  • これは京都嵯峨野の祇王寺の句だ。昨年の春、訪ねたことを思い出した。ご存じの方祇王寺(京都の春)をクリックしてみてください。

  • 写真:2009年12月19日撮影

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2009年12月18日 (金)

聖夜のトランペット (立川市民会館)

  • Torumpet1 クリスマス・コンサート「聖夜のトランペット」に出かけた。寒波がやってきた12月16日(水)、ウイークデイの午後の公演。立川市民会館。

  • 「アヴェ・マリア」から、モーツアルト「魔笛・夜の女王のアリア」のクラシック、定番の「聖者の行進」、赤鼻のトナカイなどの「クリスマス・メロディー」、さらに「見上げてごらん夜の星を」「ひばりメドレー:りんご追分・川の流れのように」まで、幅広いレパートリーが、売り物の演奏会。

  • トランペットは、遠く3,000年以上も前のエジプトの遺跡からも発見されているという。当時、宗教、政治の儀式、軍隊や競技会のファンファーレや信号用として使われたらしい。

  • ”明るく元気なファンファーレ”、”輝かしく響くハイトーン”がトランペットの得意分野、あのニニ・ロッソの「夜空のトランペット」「夕焼けのトランペット」の哀愁、などが私のイメージで、この日のトランペッター、レオニド・ゴルキンの手練の演奏は、随所にさすがと、聞き惚れることもたびたびだった。ちなみにゴルキン氏は、サンクト・ペテルブルグ生まれ、サンクト・ペテルブルグ音楽院でトランペットを専攻した本格派。(……体型は、かなりメタボ……)。

  • Torumpet2 写真のように4種(トランペット、ピッコロ・トランペット、コルネット、フリューゲルホルン)を使い分けての演奏はそれなりに見ごたえはあった。しかし、やはり、クラシックから歌謡曲までというのは、クリスマスのサービスと割り切っても、何をこの舞台で表現したいのかが伝わってこない。そんな物足りなさを感じているうち、子供のころ小屋掛けでみた巡回サーカス団の「美しき天然」、大売出しのチンドン屋が奏でていたもの悲しさなど、頭をよぎった。

  • 七分くらいの入りだったが、多くのお客さんたちは、曲に合わせて手拍子を取ったり、一緒に歌っておられたっりの周りの方も多かった。が、司会者とのトークのやり取りで、「日本で好きな言葉は何ですか?」「ギョーザ食べたい」だけでは、ご愛嬌とは済まされない。せめてトランペットにまつわる逸話とか、練習の苦労とか、その糸口くらいは見せてくれて、音楽コンサートの最低限の質は守ってほしかった。せっかくの音楽技術がもったいない。

  • 『2時開演、4時終演予定』と会場入り口の看板にあったが、アンコールもそこそこに盛り上がりを欠いたまま、3時45分ごろ、シリキレトンボで舞台のそでに消えていった。「来日公演100回突破記念!!」らしいが、場馴れしすぎているといぶかりたくなる思いで、後味が悪かった。今後、よく見極めてコンサートを選びたいと自戒しつつ帰途についた。

  • 写真:公演チラシから。

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2009年12月15日 (火)

「魔笛」、「ドン・ジョヴァンニ」……モーツアルトのオペラ

  • 2009年もあと少し。ことし出かけたコンサートのいくつかを振り返って、書いてみます。まずは、Mateki モーツアルトのオペラから。

  • 11月1日(日)、新国立劇場での「魔笛」。4面舞台のオペラ専用劇場、運よく2階正面の席が取れたので、変化があり美しい舞台の全体を堪能できた。

  • 冒頭の序曲から、フィナーレまで、耳慣れた音楽が次々と展開した。パパゲーノの「おいらは鳥刺し」、夜の女王の「地獄の復讐がこの胸にたぎる」、ザラストロの「この聖なる殿堂では」、そして、パパゲーノ・パパゲーナの「パ、パ、パ」……。

  • あれもこれも、記憶にある中で、「毎日を気楽に生きて、おいしいものを食べ、お酒があって、そして可愛い彼女もほしい。別に高望みはしないから、そんな人間の自分にも、それにふさわしい幸せがあってもいいだろう」と、舞台を奔放に動き歌ったパパゲーノが楽しかった。歌手はオーストリア生まれのバスバリトンだった。

  • 「魔笛」で、どうしても書き残したいのは「夜の女王」のコロラトゥーラによる超絶技巧アリア。Yorunojoou この舞台では、安井陽子(ソプラノ)という歌手が演じ、新国立劇場初出場とあった。「地獄の復讐がこの胸にたぎる」の場面になると、満場の耳目は張り詰めて、彼女1点に凝縮される。右の写真は映画「アマデウス」の夜の女王なのだが、舞台であれ、映画であれ、さらにはDVDであれ、「魔笛」のこのアリアの時間帯は、いつも五感を総動員して聞き惚れている。

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  • 次はドン・ジョヴァンニ。ことしは2回見る機会があった。1回目は5月17日(日)、調布くすのきホールでのLe voceという劇団の公演(右下)。2回目は国立音楽大学で、10月18日(日)(左下)。

  • ドン・ジョヴァンニはストーリーの展開もわかりやすく、スリリングで、歌手の歌いぶりと合わせて、演技力や感情表現をどのようにやっているかを観察していくと、楽しいことが、少しずつ分かってきた。その点、国立音大での舞台は、歌唱、演技とも、出演者の意欲や日ごろの努力が伝わってきて、熱気があった。

  • なかでも、ドンナ・エルヴィーラ。過去にドン・ジョヴァンニに捨てられた女性。当初は一途な執念深さ、意地っ張りだったのが、やがていじらしく、最後のほうではドンジョヴァンに振り回されながらも「真実の愛」へと新しい一歩を踏み出していく姿が、時間を追ってしみじみと伝わってきた。エルヴィーラ役は大学院オペラコースを修了した嘉目真木子という人だったが、長身で歌唱力も素晴らしかった。

Donnjovannikunitati_2 Donnjovannichofu_2

                       

 

 

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  • 「フィガロの結婚」は所沢市民文化センターで3月6日(金)、「コシ・ファン・トゥッテ」は立川市民会館で1月24日(土)に見る機会があった。それらについてはいずれもblog記事に書いているので、時間があればクリックして、ご覧くだされば幸いです。

  • メジャー舞台か、マイナー舞台かはおくとして、今年2009年、モーツアルトのいわゆる「四大オペラ」は、すべて見たことになる。

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2009年12月10日 (木)

諏訪大社、御柱祭  長野県諏訪市②

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  • 8月の、台風が過ぎ去った翌朝だった。訪ねたのは下社秋宮で、鬱蒼とした杉の大木の奥に神楽殿(写真上左)があった。巨大なしめ縄が印象的だった。さらにその奥が拝幣殿(写真上右)。

  • 諏訪大社は諏訪市内の4社からなっていって、この下社秋宮のほか、すぐ近くの下社春宮、上社本宮(下の写真2枚)、上社前宮がある。なぜ4社もあるのか?、地元の人に聞くとそのいわれを熱心に教えてくれるのだが、観光程度のわれわれには、なかなか覚えられない……。が、その成り立ちは、すでに古事記や日本書紀に書かれているとのこと。諏訪市の4社をいわば大本山とする、諏訪大社の分社は、沖縄を除く全国46都道府県に5,600に及ぶ。立川諏訪神社もその分社の一つだ。

Suwataisha052 Suwataisha05                      

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  • Suwataishaonnbasira 諏訪大社といえば「御柱祭」が有名だ。右写真の下社秋宮の「一の御柱」は長さ(高さ)5丈6尺(16.6m)もあり、霧ヶ峰の国有林から伐り出された巨大なものである。下社に4本、上社に4本それぞれ社殿の4隅に御柱がそそり立っている。ちなみに、上社の御柱は八ヶ岳から伐り出されるとのこと。

  • 来年は寅年。御柱祭は7年ごと寅(とら)と申(さる)の年に行われている。私が御柱祭を見たのは、平成4年の申の年だった。4月の「木落し」、5月の「里曳きと建て御柱」の2回にわたって、諏訪を訪ねて祭りを楽しんだ。

  • なかでも、「木落とし」は、実に迫力があった。100mに及ぶ急な坂の上に、巨大な御柱の大木が顔をのぞかせる。大木の突端や、胴体に、鉢巻き・法被姿の大勢の男たちがわれがちに群がり、なにか甲高い大声で小1時間近くも気勢を上げた後、御柱の大木と、それに群がった男たちがくんずほぐれつ、急坂を落ちてくる。大木から振り飛ばされるもの、また、よじ登ろうとするものを従えながら、ドドーッという地響きを立てた御柱が落ちてくるのだ。そのすざまじい「木落とし」を、われわれ見物客は、下の狭い谷底の空地で、ぎゅうぎゅうづめで見守っているのだが、ハラハラドキドキの興奮の時間だった。

  • Suwaonnbasira その木落としを観たときのスナップ。表情は遠慮させてもらったが、中央左が私。この写真は、木落としが始まる前のものだったと思う。実は、このあと、木落としが終わり、狭い谷底から見物客が平地に引き返すところで、大混雑になり、一瞬押しつぶされるのではないかと身の危険を感じた数分の時間帯があった。それほど大勢の群衆だった。

  • 諏訪一帯は、年が明けると「御柱祭」一色に染まっていくと思う。今年はどんな祭になるのだろうか。

    撮影:下社(2009年8月11日)、上社(2004年7月)、御柱スナップ(1992年4月)。

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2009年12月 6日 (日)

垂仁天皇陵  奈良④

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  • 唐招提寺の近くを歩いていて、垂仁天皇陵と教えられた古墳に出会った。「垂仁天皇」を調べてみると、初代の神武天皇から数えて11代目。特別の目あてもない道すがら、いきなり2000年も前?の遺跡に出会うのは、さすが奈良だと、不思議な思いになる。東京住まいが長くなった自分にとっては、せいぜい徳川400年をさかのぼればよいのが日常の歴史空間であり、それと比べると、こちらは桁違いに感じられ、驚いてしまう。

  • 少し前になるが参加した「市民歴史講座」で、歴史学者直木孝次郎氏が整理された Tennnonennpyo_2皇統に関する資料を配られた。それによると、「神武」から、15代目の「神功」までは、実在を確かめることはできず、「応神」から26代目の「武烈」になってようやく、様々な研究で実在が(少し)確かめられる存在だという。その時の一覧表、クリックして拡大してみてください。

Suijinnryo1 Photo                                 

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  • 垂仁天皇の実在が確かめられないとすると、この陵廟には、いったい誰が眠っているのだろう。近寄って看板を観ると宮内庁が管理し、管理小屋には管理人もおられるようだった(巡回の管理人さんと聞いた。近くに、まだほかにも天皇陵があるということか?)。

  • 5年前に、樫原神宮の近くの、神武天皇陵(写真右)を訪ねたことがある。堂々とした構えで、管理もさらに、厳重だったと思う。その時も現場に立って、我が国の歴史の出発点と、神妙な思いに駆られた一方で、ここは一体何なんだろう?という感がしたことがあった………。

  • きょうは、これ以上のことはわからない。いずれ機会があれば、また奈良に出かけたり、歴史をいろいろかじってみることにしたい。

  • 撮影:2009年11月14日。神武陵は2004年3月撮影。なお、冒頭左の写真は、露出に失敗したのであえてモノクロで紹介した。

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2009年11月29日 (日)

唐招提寺 奈良③

  • Toushoudaijikonndo_2 唐招提寺を参拝した日は、穏やかな秋の日のお昼前、この日繰り出しているはずの観光客もまだそれほど見えていない時間だった。2009年11月14日。

  • 唐招提寺は今年創建1250年。鑑真和上ゆかりの天平の香りを色濃く伝える金堂(国宝)が、2,000年以来の修復工事の末、この11月1日に姿を現していた。堂を全面解体し、更地に戻すほどの大規模修理で、傾いていた柱や、それに引きずられるように、ゆがんでいた構造部材を一つ一つ矯正し組みあげた大工事だったという。この日は、ゆうべから未明にかけての激しい雨があがって、その清浄な空気の中の金堂はどっしりとした構え、青空に映える二つの「天平の甍」が、まぶしかった。

  • 境内に会津八一の歌碑「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思へ」があった。金堂のギリシャ神殿を凌ぐような大円柱を詠ったものだろう。

  • お堂に上がり御本尊を拝む。本尊の蘆舎那仏坐像(国宝)など9体の仏像も修復、千手観音立像(国宝)は943本の脇手を外して組み直されたという。蘆舎那仏坐像、千手観音立像とも圧倒的な存在感、お身体全体みずみずしく変身、金堂の修復完成とともに、本来の収まるべきところに収まられて、われわれ参拝客を迎えて下さった。

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  • 境内はゆったりとして、鐘楼、講堂など歴史を刻んだ建物が並ぶ。鐘楼に懸かる梵鐘は平安期のもの、講堂は鑑真和上の創立に際して特に宮廷から平城宮の東朝集殿を賜って移築したもので、当時の宮殿の片鱗をうかがえるという。境内の奥のほう御影堂や地蔵堂が続く小径の紅葉が美しかった。

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  • 鑑真和上の寿像(国宝)は御影堂に安置されていて、毎年6月6日の開山忌の前後1週間開扉される。「若葉しておん目の雫拭はばや」と芭蕉が詠んだかの有名な坐像、私はもう何年か前になるが、上野の国立博物館に来られた時に、運よくお像の至近距離直前で、(かなりの時間立ち止まれて)拝顔したことを、鮮明に覚えている。754年(天平勝宝6年)中国から日本に到着するまで12年間、前後5回に及ぶ難航海に失敗したにも拘らず、初志を曲げず、奈良の都に着いたときは両眼を失明していた。我が国仏教史のみならず、ひろく天平文化に大きな影響を及ぼした和上の欣然とした姿、威厳とすごみに押しつぶされそうに感じたものだった。この上野のとき、同時に東山魁夷画伯の障壁画「山雲」「濤声」も観賞したと記憶する。

  • その鑑真和上の御廟があった(左上)。没後1,200年間にわたって墓所そのものがこのような形でお参りされてきた例は、同時代の高僧多しといえども、鑑真和上のお廟だけらしい。

  • 戒壇(右上)。石造三段のいちばん上には、最近奉安されたというインド・サンチーの古塔を模した宝塔が輝いていた。授戒場とのこと。

  • 境内の記憶をあと2枚残しておきたい。1枚は大きく伸びていたつわぶき。これまで見たつわぶきでは一番元気に思えた。もう一枚は苔の緑。静寂そのものだった。

  • 写真撮影:2009年11月14日。

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2009年11月20日 (金)

大極殿の復元(平城京跡) 奈良②

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  • 来年2010年は平城遷都から1300年になるとのこと。「平城遷都1300年祭」の中心となる大極殿の復元が、2001年の着工以来大詰めとなり、11月になってこれまでの覆いが取払われ、その姿を現し、現場に行ってみた。2009年11月14日の夕刻だった。

  • 5年前の小雪まじりの3月初め、ここを訪ねたときには、朱雀門だけの荒涼とした平地が広がっていただけだったが、今や、朱雀門のむこうに、大極殿が遠望され、立体的な古代空間に変貌しはじめていた。一帯の敷地は130ヘクタール、小型飛行場が作れるほどの広さだけに、たまたま日が落ち始めた時間だったこともあり、その眺めによって、一気にいにしえの古代都市に身を置くような感じを持った。古代幻視……。

  • Daigokudennmap 「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」。万葉集で歌われた平城京も、平安京遷都で宮殿や中央官庁が一斉に転出した後は長く廃れていたが、新たに大極殿が加わったことで、往時をしのぶ形が整った。

  • すぐ近くまで行き、巨大な建築物だということが実感する(写真をクリックすると拡大します)。

  • 東西約53m、南北約29m、高さは約29m。「実は建物がどんな姿だったのか、詳細にはわからない」。大極殿は建物の設計図はおろか、絵画に描かれたものも残っていない。あるのは基壇と柱を受け支えた礎石の数だけ。このため、その寸法から推し量れる柱の大きさ、耐えられる荷重などの要素を考慮し、建物の大きさと形状を割り出したという。「現代の科学技術でなし得る調査研究のエッセンスを集約した建築だ」……日本経済新聞2009年11月15日記事による。

  • 同じ日経紙の記事の中で、奈良県立図書情報館長の平田稔さんという方が、平城遷都1300年にあたって、現代人が考えるべきこととして、次のようなことを言っていた。

  • 『明治以降、日本の文化は欧米を志向し、東京に集中している。だが日本の国や日本人の心の原点は奈良にある。京都を、日本文化の発祥の地>とする声もあるが、その前に奈良があったことは無視されがち。大阪も元は平城京の外港である<難波津>だった。奈良あっての京都、大阪。そして東京ということを再認識すべきだ。関西の地盤沈下も、奈良で形成された日本古来の独自性に気付かず、欧米や東京に目を向けたことが一因ではないか。日本人全員が精神的に奈良に回帰し、奈良に”巡礼”しDaigokudenn3てほしい』……

  • 秋の短い日が落ちかけるころ、大極殿は、すぐ間近で、私に迫っていた。幸い私には、奈良に昔からの友人H君がいてくれて、奈良を訪れるたび案内してもらっている。今回も一緒に奈良の歴史スポットを、彼の話を聞きながら訪ねることができたが、次回以降、あといくつか奈良の記事を書いてみたい。

  • 撮影日:2009年11月14日。

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2009年11月16日 (月)

お堂でみる阿修羅(興福寺) 奈良①

  • Ashura2 奈良興福寺で開催されている興福寺国宝特別公開「お堂でみる阿修羅」の展示を観てきた。

  • 「阿修羅」といえば、向田邦子原作のTVドラマ「阿修羅のごとく」を思い起こす人が多いと思う。八千草馨、加藤治子、石田あゆみ、風吹ジュン、そして緒方拳などの名だたる女優・男優たちが、登場したドラマで、その後映画にもなった物語である。

  • ある日、四姉妹の父親に愛人とその子供がいることが判明。母親に知られないように対応に気遣うが、自分たち自身の複雑な状況もあり、それぞれ対応に悩み、ぶつかり合う。「家族」「女性」を中心テーマに人間模様が書かれたストーリーだった。佐分利信の父親役、菅原謙次の「加藤治子の男」役などもよく覚えている(1979年の放送)。

  • そのドラマの題名がなぜ「阿修羅のごとく」だったのか?未だはっきりしないけれど、ともかく、今回展示の案内書をそのまま写してみる………『阿修羅は古代インド神話に登場する軍神で、最高神インドラに戦いを挑む激しい怒りの姿で表わされる。仏教に帰依して守護神となってからは、その激しさで仏教を守る役割を担うことになる。しかし、興福寺の阿修羅は3つの顔と6本の手を持つ異形であるが、直立する八頭身という見事なプロポーションで細身の美少年。憂いを含む表情は繊細で内向的であり、怒りや激しさは全く見られない。その背景には<金光明最勝王経>が説く過去の罪障を内省し消滅させる<懺悔>の思想があったものと考えられる』………

  • なるほど、あのドラマの登場人物は、みんな個性豊かで美人だったし、イケメンの良い男たちだった。手八丁口八丁、自己主張しながら、他人には知られたくない自らの世界を作り、それを互いに怪しんだり、隠したりまさに三面六臂(6本の手)の複雑人間たちばかりであった?? 極めつけは、騙されているとみんなが高をくくっていた地味な母親(佐分利信の妻)が、実はすべてを知っていて、娘たちのどたばたもすべて、見抜いていたというオチ………。

  • 話がそれたが、今回の展示は通常は国宝館に展示される阿修羅像をはじめとする八部衆・十大弟子像の現存する天平乾漆像14躰すべてを仮金堂に安置。天平の仏像たちと向き合い、それにプラスして、江戸時代に造られた本尊釈迦如来坐像、鎌倉時代の薬王・薬上菩薩立像と四天王立像も展示されていて、各時代を代表する豪華な仏像のオールスター総出演といったところだった。

Ashura4

  • 朝9時開館と聞いていたので、余裕を持って、少しは先駆けようと30分前に興福寺境内に着いたが、甘かった。まず、チケットを手に入れるためにもう300m近くの最後尾に並ばされる始末。それでもまだ早いほうで、次から次へと自分より後方に多くの人たちが続いていた。結局堂内(仮金堂の中)に入れたのは、2時間後!!

  • しかし、堂内に足を踏み入れると、さすがは阿修羅はじめ、超豪華な仏像群だった。後列中央の像高362cmの釈迦如来像がまず目に入り、堂内いっぱい、ぐるりゆるりと牛歩の足取りで進んでゆく善男善女のひとりとして、目指す阿修羅像はどこかと、暗い堂内に、老いたわが目の焦点を大急ぎで合わせるてみると、その釈迦如来のすぐ直前に153.4cmの細身八頭身、三面六臂の阿修羅立像が「私が主役」と、迎えてくれていた。

  • やがて列は進み、阿修羅立像の正面真向かい至近距離、せいぜい1mちょっと、大相撲でいえば砂かぶりの位置に出る。微笑んでいるような、考えているような、誘いかけているような、ためらっているような三面の顔、祈っているような、踊っているような、助けを求めているような、抗っているような6本の手………どんなに表現してもしきれない阿修羅だった。

  • 付け加えると、最近自分が目の治療中で、濃いめのサングラスをかけていたことから、図鑑で見た赤銅色のはずの阿修羅が、なんと黄金色に輝いて潸然と両の目に映じたことを、書き留めておきたい………。誰かが書いていたが、その美しさ・神秘性はダ・ヴィンチの「モナリザ」を凌ぐ………、わが全身五感が実感した瞬間だった。

  • Ashura1_2 表現しがたい感動と軽い疲れを覚えて堂外に出たのが11時少し前。振り返ると境内は、自分たちが待ち時間2時間だったころを、はるかに上回る人の列。はたして、あの方たちは、いつごろ阿修羅に出会えるかと、気にかけながら興福寺を後にしたのだが、同じ境内隣の国宝・北円堂が特別開扉されていて、運慶一門による本尊の弥勒如来坐像や無著・世親菩薩立像など鎌倉彫刻最高峰の名品がそろって展示されていることなど全く気がつかなかった。(冒頭のチケット写真左下には、未使用の北円堂分が残っているが、あとの祭りだった!!)。

  • 撮影:2009年11月15日。特別公開の会期は11月23日まで。

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2009年11月12日 (木)

おかげさまで100,000件

  • Madokara091112_2 冷たい雨となった11月の朝です。窓外にみるハナミズキや白樺の紅葉も煙ってしまっています。

  • さて、この「立川春秋」のblogのアクセス件数が、このほど100,000件を超えました。2006年5月に開きましたので、およそ3年半です。ここまでの、皆様のご支援に支えられて、続けることができました。本当にありがとうございました。

  • 実はblogの名前、何気なしにつけたのですが、よく考えてみると、「大月刊総合雑誌」の分局のような名前で、よくまあ臆面もなく名づけたものだと、その無神経さを反省しています。幸いにここまで、特別のクレームもないので、このまま、続けさせていただこうと思っています。

  • 091110 部屋には今、木立性のベゴニアが花をつけています。清楚な感じに咲いてくれました。普段はFM放送をかけっぱなしにしながら,blogの記事を書いています。

  • どのような記事を多くお読みいただいているかについては、右の欄の「人気記事ランキング」で、いつも最近1ケ月のデータで表示されていて、ご覧の方もあろうかと思います。きょうは、もうすこし長い期間(8月1日から昨日11月11日まで)の、アクセスの多い順のデータを紹介させていただきます。
  • どうか、これからも、「立川春秋」に、時々お越しくださるようお願申しあげます

アクセス数:表示された数字
訪問者数:グラフのみ表示
解析ページ 訪問者 アクセス
1 トップページ 599 4.1% 5.6%
2 行人(夏目漱石) 560 4.1% 5.2%
3 湖北の十一面観音(滋賀県木之本町) 379 3.6% 3.5%
4 東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京・目白) 248 2.4% 2.3%
5 比叡山延暦寺 ①根本中堂 239 2.3% 2.2%
6 三四郎~それから~門(夏目漱石) 231 2.1% 2.1%
7 諏訪神社(立川市) 230 2.3% 2.1%
8 「風の盆恋歌」(高橋治) 224 2.2% 2.1%
9 箱根駅伝予選会(昭和記念公園~立川市) 223 2.2% 2.1%
10 旅行・地域 150 1.5% 1.4%
11 彼岸過迄(夏目漱石) 143 1.3% 1.3%
12 義仲寺(大津市) 122 1.0% 1.1%
13 姥捨、田毎の月: 更科紀行③ 113 1.1% 1.1%
14 どうだんつつじ、帰り花 105 1.0% 1.0%
14 モーツアルトの肖像をめぐる15章(高階秀爾、1995年刊) 105 1.0% 1.0%
16 「門」、そして鎌倉(夏目漱石) 88 1.0% 0.9%
17 東大寺南大門(奈良 2) 87 0.8% 0.8%
17 文化・芸術 87 0.9% 0.8%
19 雁 (森鴎外) 83 0.7% 0.8%
20 平山郁夫シルクロード美術館(清里④) 81 0.7% 0.8%

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