シューベルト、プロコフィエフ(サントリーホール)
サントリーホールの、東京交響楽団の定期演奏会を聴く機会に恵まれた
(5月17日)。昨年末に自宅のアンプを買い替えてから、クラシックに触れる時間が増えていて、そのうち、ぜひコンサートへと思っていたところだった。そのことを、何かの機会に話した友人が、気を利かせて誘ってくれたのがありがたかった。
ホール前のカラヤン広場に、開場が近づくにつれ、三々五々人が集まって来た。傍らの豪快な人工滝が、時折傲然と音をたてて落ちては、また止まりながら、来客を迎えていた。
昨年開館20年で、リニューアルしたという同ホールは音響が素晴らしいと聞いていたが、大ホールへ入ってみると、舞台後ろにも客席があり、客席全体が舞台を囲むような形になっていた。わたしの席は最前列、舞台に向って真ん中より少し左側だった。今年正月、ウイーンのニューイヤーコンサートのTV中継で、たびたび最前列の席が映し出され、舞台袖口いっぱいの花飾りにうずもれ、思いっきり首を伸ばさないと舞台が見えないようだったのを思い出したが、このホールでは最前列の目線と舞台の高さがほぼ一線で、あのような窮屈さはなかった。
プログラムはシューベルトと、プロコフィエフ。シューベルトの交響曲第1番はわずか14歳の時に、第4番「悲劇的」は、その4年後の18歳の時に書かれたという。クラシックを鑑賞するに、目下初心者の私にとって、作曲家が何を考え、何を構想して五線譜を書いたのかが、大きな関心事なのだが、シューベルトが、その少年期から青年期にかかる、まだ人生の目標すら到底定まらない蕾の時期に、これだけの交響曲にまとめあげた才能を思うと、ただただ驚きだ。
プロコフィエフは、私の知識の中で『ピーターと狼』で結びつiいているだけの存在だったが、今回、あらためてその人物像を調べてみて、彼が1,918年、革命下のロシアに希望が持てなくなり、祖国を離れてアメリカに渡った事を知った。その途中、シベリア鉄道経由、日本海を経て敦賀に上陸後、船便の都合があって、5月末から8月初めの約2ケ月の間、日本に滞在することとなり、なんと短期間に、東京、横浜、奈良、京都、大阪、琵琶湖、軽井沢、箱根などを訪れている。当時ヨーロッパの大作曲家の最初の日本訪問となって、日本の音楽界に、少なからず影響を与えたという。今回の「ピアノ協奏曲第3番、ハ長調作品26」は、ピアノの激しい旋律、一方で、クラリネットの穏やかな旋律が織り交ざって、すばらしかった。
プロコフィエフと日本とのつながりから、この協奏曲第3番、第3楽章の冒頭主題が、日本滞在中に聴いた長唄「越後獅子」をもとにした、と言われていたらしいが、原曲との類似がほとんどなく、現在では否定的な意見が大勢を占めているとのこと。あらためてCDを聞いてみたが、そんな感じはしなかった。
コンサートの指揮はユべール・スターンという、オランダ生まれの人で、写真ではハリソン・フォード並みの風貌だが、実物は、ひとまわり角がとれたような、印象だった。
すぐ近くで見る指揮者のパフォーマンス、演奏者と全身でコミュニケーションをとり、時には瞑想し、ときには、自らはもちろん、舞台の全演奏者を奮い立たせ、クライマックスに至ると、ホールの全聴衆すべてを巻き込んでいく迫力で、まさにあらん限りの渾身の熱情を振り絞った指揮であった。
プロコフィエフ「ピアノ協奏曲」のピアノは、リーリャ・ジルベルシュテインという、モスクワ生まれの原節子ばりの人だったが、写真に比べ、こちらもひとまわり貫録がついた容貌だった。
ひとたび演奏がはじまったあとの力強さ、両手・両指の人間業とは思えない演奏は、時にはゆっくり、ときには極限の連弾と多彩きわまる。最前列で、中央の彼女の演奏を間近で見ることになったが、黒いドレスに身をまとい、栗毛の長い髪を振り回しながら、上下左右する頭と顔、鍵盤狭しと交差往復する腕と指、広い背中いっぱいに躍動する筋肉が間断なく続き、そのダイナミックな演奏は、全身全霊、魂のこもった響きとなって、私の身体全体に叩き込まれた。
近いうちに、また、コンサートに行ってみたい。
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コメント
文章から貴兄が陶酔の境地にあった様子が察しられます。サントリーホールへ足を運んだことはありませんがすばらしいホールであることは聞き及んでいます。片田舎ではフルオケの聞けるような所はなく、小ホールならではのソロコンサートには出かけるようにはしていますが、CDやIPODで聞くのとは異質のものであることは私でもわかります。若い頃、指揮者は単に棒を振るだけで演奏者は全員プロなのだからいなくても演奏はできるもの位に思っていました。指揮者によって演奏のイメージが作られることも知らずに。TV「題名のない音楽会」で定期的に「振ってみまショウ」というタイトルで公募した指揮希望者に振らせるプログラムがありますが、指揮者と演奏者のあうんが伝わっておもしろいものです。
投稿: すずか | 2008年5月30日 (金) 21時54分
クラシック音楽もいろいろ楽しんでおられるとのこと、ときにはコンサートホールによる音響の違い・指揮者による曲想の違い・ソリストの表現の違いなどに着眼しながら、コンサートを楽しんでいただくのも楽しいのではないかと思います。
投稿: atabiroh | 2008年6月 1日 (日) 10時19分
舞台上の演奏者の眼、耳、全神経が指揮者に収れんして、ひとつの壮大な作品(交響曲)に仕上げていく様子には、力を一つに結集できる人間の素晴らしさ を感じます。
演奏中、ある特定の演奏者に注目して、そのひと(楽器)が、指揮者にあわせて、サッとあるいは静かに演奏を始めそして終わる動作をたどれるのも、ライブならではの楽しみでした。
投稿: kij | 2008年6月 1日 (日) 10時28分