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2009年5月29日 (金)

サイ、水牛、トナカイ、ニホンザル(多摩動物公園④)

  • Sai 多摩動物公園について、まだまだ書き残している動物たちがいるので、きょうは、アジア圏の大物動物について、書いてみます。

  • インドサイが、巨体を身じろぎもせず、じっとしていた。多分、動くまで待っていたら、あっという間に1~2時間は経ってしまうだろう。なにか考えているのかな?それとも、ただの物体なのかなあ。

  • 体長2.5~4m、体重はオスで約2t、陸上ではゾウにつぐ巨大な動物で、よろいのような厚い皮ふをもった草食獣。オス、メスとも頭に角が1本ある。この角は一生伸びつづけ、野生のものでは長さ60~70cmにもなるという。

  • Suigyu 水牛。これもずいぶん大きな動物だが、水の中にもぐったり、水面上に顔を出して、大きく水をふきだしたり、愛嬌があった。

  • ゴールデン・ターキン。こちら人間さまの方をの方をいぶかしげに眺めていた。意外にかわいい。チベット、ブータン、中国に生息するターキンの亜種の一つ。2000~4000mの山岳地帯にすんでいて、夏は高地へ、冬は低地へ移動しながら、群れでくらしているという。草や竹、木の葉や芽などを食べているらしい。

Takinn Tonakai                                              

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  • そして檻の向こうは、トナカイ。なにか毛が抜けて、骨が見えていて痛々しい。病気かな。北極圏のツンドラ地帯に住んでいる。シカの仲間では、トナカイだけがオス、メスともに角をもっている。ラップランドやノルウェーの一部、シベリアの一部では古くから家畜にされているとはびっくり。

  • きょうは、動きの少ない大物ばかりだったので、最後は、正反対、めまぐるしく走り回るニホンザルを紹介しておきたい。Nihonnsaru

  • 日本(本州、四国、九州)の山林に住む。ヒトをのぞく世界のサルの仲間のうちで最も北にすみ、青森県下北半島がその北限。数十頭から数百頭の群れをつくり、山のなかや海辺などでくらしている。
  • カメラに捉えるのはなかなか難しい。こちら人間の方が、だいぶ歳をとり、青天の下、白内障気味でファインダーをのぞいて、いざシャッターと構えたら、あっという間に、もうそこにはいない。かろうじて撮れたのが、この一枚。

  • ところで、多摩動物公園の従業員のみなさん、窓口の人、みやげものショップ、食堂、警備の人や飼育係のひとたち、ゾウの説明をしてくれたシニアガイドのおじいさん、みんなそろってあいさつや声をかけてくれて、大変感じがいい。広い園内を歩き回り、次々と珍しい動物たちと付き合って、身体はかなり疲れるのだが、みんなが歓迎してくれているのが伝わってくるので、疲れを忘れてしまう。もてなしの心とか、教育とか、園内職員の全体に足並みが揃っているのは、長年の積み重ねだろうと、すがすがしい思いだった。

  • 撮影;2009年4月29日。

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2009年5月25日 (月)

比叡山延暦寺 ①根本中堂

  • Hieizannkonnponntyudo_3 大津から比叡山ドライブウエイを上り、延暦寺三塔(東塔、西塔、横川)を巡拝した。まずは、東塔の根本中堂から、思い出してみたい。2009年5月11日。

  • 1200年まえ、桓武天皇の平安時代、延暦年間に伝教大師最澄によって開かれた延暦寺、その総本堂である根本中堂が、深い杉木立の中に、厳粛堂々と鎮座していた。

  • 内部は撮影できないので、記憶をたどる以外にないが、まばゆいばかりのカエデの新緑が霊山の青空に映え、銅板瓦葺の屋根、紅い丹塗りの回廊と圧倒的な太さの柱群、黒漆塗りの建具(扉と蔀)、我々と同じ目の高さの、奥まった所におられる諸仏、その下の谷底のような闇に広がる僧侶の礼拝空間などが、忘れられない。「不滅の法灯」がゆらぐ祭壇の前に立ち、刻まれた歴史の重み、比叡山信仰の神秘性に心打たれた。

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  • 大講堂(上左)が焼けたのは、昭和31年で、自分は中学生だったが、当時の新聞で大きく報道されたことを、かすかに覚えている。今の大講堂はその後、山麓坂本の讃仏堂を山上に移したものだということを、はじめて知った。大講堂は内部も撮影が許されていて、ご本尊は大日如来、両脇士は弥勒菩薩と十一面観音だと聞いた(上右)。

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  • 大講堂から根本中堂へ下がる所に鐘楼があった(左上)。「世界平和開運の鐘」と命名されているそうで、衝かせてもらった。50円。ゴーンと云う響に乗せて、これまでの感謝とこれからの平穏を託した。NHKの除夜の鐘にも登場したことがある「世界平和」の鐘だから、100年に一度の大不況克服、新型インフルの平癒、そして今日また核実験を強行したという北朝鮮への懲らしめにも、功徳があると信じたい。

  • 根本中堂の前の高い石段を喘ぎながら上った所の文殊楼(右上)。内部には急な階段が左右にあり、写真の2階に、獅子の背に座した文殊菩薩がおられた。学問と入試の仏様で、自分のことは脇におき、ひたすら孫たちの学業成就をお願いした。真昼だったが、外の明るさがこぼれて入る薄明かりの、森厳狭隘な空間でのお拝りで、ありがたさが増幅した。

  • 今回比叡山にいたのは、午前10時頃から午後1時頃まで、このあと、西塔、横川と廻ったが、延暦寺諸塔をくまなく見ようとすれば、まる1日はおろか、1週間あっても、足りないほどに思われた。が、ともかく、見たものだけを、順次載せてみたい。

  • この記事を書いているときに、電話で友人S君の訃報が届いた。連休に見舞いの葉書を送ったのに返事がなく、律儀なS君にしてなにかよくない知らせを予感しなくもなかった。最悪の残念な知らせに愕然としている。S君の御冥福を心からお祈りしたい。

  • 撮影:2009年5月11日。

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2009年5月22日 (金)

琵琶湖畔に泊る

  • もう40年以上も前になるけれど、大津には3年ほど住みました。石山寺、三井寺、日吉Biwako1_4 神社や近江神宮、クルマを少し走らせれば比叡山、その向こうはタクシーででも行けた京都の街、思い出はいろいろありますが、それらも全て日本最大の湖、琵琶湖を抜きには語れません。今回は琵琶湖畔のホテルに泊まり、窓いっぱいに広がる琵琶湖の夕昏から夜、そして翌朝にかけての雰囲気と眺めを楽しみました。

  • 当時はまだ、琵琶湖の西側には江若鉄道という私鉄が浜大津から今津まで走っていBiwako2 ただけで、今のJR湖西線のように,鉄道が大阪・京都から直結しておらず、「琵琶湖に数珠を架ける(鉄道で琵琶湖を一周する)」と、いつも叫んでいた知事さんがおられました。

  • 暮れゆく湖面、ゆっくりと夜の帳につつまれてゆく比叡山、真下に、気がつくと遊覧船が出港していました。船上の観光客は、今頃、スピーカーから流れる音楽を耳にしながら、ディナーをはじめているのかもしれません。

Biwako3               Biwako4                                 

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  • 翌朝5時ちょっとすぎだったと思います。カーテンを開けると、三上山の上に、たったいま上った太陽がまぶしかった。2時間後の朝食時、ゆうべ見た夕暮れの浜大津、比叡山は、何事もなかったように、今日の活動を始めているかのようでした。

  • Biwako5 この日は延暦寺を参拝した日で、延暦寺手前の展望台から、琵琶湖をふりかえると、靄がかかっていましたが、今朝チェック・アウトしたホテルが、見おろせました。ここまで、30分とちょっとのドライブ、レンタカーだったので、慣れるまではと、そろりそろりと走っておりました。

  • 撮影:2009年5月10日~11日。

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2009年5月18日 (月)

護国神社 彦根城④

Gokokujinnja4 Gokokujinnja5                                              

  • 彦根城への往き帰り、朝の冷気の中「滋賀県護国神社」を参拝した。戊辰戦争から第2次世界大戦までの滋賀県関係者34,000余柱を祀っているとのこと。

  • 通常、神社にお参りすると、清々しい気持ちになり、太古の日本の神々に思いを致したりするけれど、身近な太平洋戦争の戦没者が祀られている、靖国神社や護国神社では、英霊への痛ましさとか、愚かな戦争に走った我が国の歴史への反省など、独特の感覚になっている自分に気がつく。

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  • 境内に入ってすぐ「平和を願う」といううなだれた若い兵士の像と、その左の「母の像」が目に入る。なかでも、兵士の像は、思わず立ち止まらざるを得ない強烈な、そして重ぐるしい印象だった。

  • 兵士の像の碑文を読むと、次のように書いてある。『戦争で幾百万という兵士が死んだ 兵士には父や母があり妻と子がいた その子供達は父のいない家庭に育ち 父がほしいと何度か思って大人になった そして自分達で父の像をつくった 異国で散った兵士も遺された家族も 願いは一つ 平和であった』………以下略。

  • Gokokujinnja1 拝殿の小さな机の上に「心身一片の雲なき気分です」と題した、昭和20年3月にフィリピンルソン島で戦死されたという、彦根市出身の当時28歳の青年の両親あての手紙が置いてあった。『征きます。攻めて攻めて攻め抜きます。本当に心身一片の雲なき青空の気分です~~』とあったが、心はおそらく逆で、若者の故国に残した両親や妻子への思いや、理不尽に若い命を終えなければならない無念さを思い、護国神社の境内に立って、あらためて平和の大切さを感じた。

  • 撮影:2009年5月10日

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2009年5月17日 (日)

「花の生涯」を歩く 彦根城③

  • Umoregi4 朝早く彦根の街を歩いた(5月10日)。駅前のホテルから護国神社、いろは松を抜けて、お濠に沿って井伊直弼銅像まで。そこで引き返し、埋木舎を往復するという、約50分ほど。新緑・薫風鮮やかな城下町の早朝、時折行き交う地元の早起きの人たちや、早朝登校の高校生と挨拶をかわしながら、「花の生涯」散歩を楽しんだ。もっとも、高校生は無言~~。
  • 1853年のペリー来航以来、開国か鎖国かで日本が二分する中、第13代彦根藩主直弼は大老職に就任、開国を決断。幕政を支えるため世に云う安政の大獄で反対派を弾圧後江戸城桜田門外で水戸藩浪士らに暗殺される。35歳で藩主、43歳で大老、46歳でその生涯を終え、花が散るごとくの人生を船橋聖一が小説「花の生涯」で描いたことは、記憶に新しい。まずは、その銅像に出会う。Umoregi3

  • 埋木舎(うもれぎのや)。当初、家督を継ぐ立場になかった直弼が17歳から32歳までの間、自らの境遇を埋もれ木にたとえて修養に励んだ屋敷。小説の中では、この屋敷に村山たかや長野主膳が出入りしていた記憶がある。

  • 屋敷の静かな佇まい、写真をクリックして、お濠に移った門塀や柳の対照の美しさも、ご覧ください。

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Umoregi1

Umoregi2                        

  • 右側の1枚は、埋木舎のお濠の対岸、開国記念館から佐和口方面を望む写真、朝日に照らされて、さざ波ひとつない水面に投影された対照が美しい。

  • そして「花の生涯記念碑」。小説「花の生涯」がNHK大河ドラマの第1作として放送され一大ブームとなり、翌年建立されたという。ドラマでは尾上松緑の井伊直弼、淡島千景の村山たか、佐田啓二の長野主膳が格好良かった。直弼の正室・八千草薫、側室・香川京子なども懐かしい。 記念碑の右の石は主膳、左がたか で、中央はもちろん直弼と解説板にあった.。

  • 撮影:2009年5月10日。

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2009年5月14日 (木)

玄宮園 彦根城②

  • Gennkyuuenn1 天守閣から黒門の方へ降りてすぐ、玄宮園に出た。江戸時代には彦根藩の下屋敷(別邸、上屋敷が常住の家)で「槻御殿(けやきごてん)」と呼ばれていたところで、中国の宮廷に付属した庭園を「玄宮」と云ったことからこの名前が付いたらしい。

  • 中央の広い池(水)を中心に池の中の島やあちこちに架かる橋、数寄屋風の建物や茶室、周りの木々の緑、見上げるとついさっき上っていた天守閣が極上の借景となって、変化に富んだ庭園だった。

Gennkyuuenn2 Gennkyuuenn3

    

  • 時刻は夕方5時近く、観光客もまばら。静かな池の水面に映った庭園の木々や橋、まだまだ明るい水面上の空、静かに咲いていたカキツバタなどなどが目に入った。この日の朝あわただしく東京を立って10時間、時間と空間を超えて、400年前に造営された名園にぼんやり立つ感覚は、旅ならではのものだった。

Gennkyuuennmap

  • 撮影日:2009年5月9日

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2009年5月12日 (火)

彦根城 ①天守閣

  • Hikonejo ひさしぶりに彦根城に上った。400年前1607年頃建てられた、井伊家35万石を象徴する雄姿だ。

  • 3階3重の白亜の天守は、比較的小ぶりだが、3階の高欄付きの「廻縁(まわりえん)」、2階と3階の「花頭窓(かとうまど)」、「切妻破風(きりづまはふ)、「入母屋破風」、「唐破風」と、各階ごとの多様な形など、外観ははなはだ手の込んだ華麗さである(下図)。

  • 彦根城天守は昭和27年国宝に指定され、姫路・松本・犬山城とともに国宝四城の一つ。初代藩主井伊直政(1601)から第14代藩主井伊直憲(1860)に至るまでの260年間一度の国替や城攻めもなかった。お城と云えば戦争を連想するけれど、彦根城は一度も戦争を経験することなく平和な江戸時代を過ごしていたことになる。

  • 説明書きによると、『江戸時代には藩主が天守を訪れることもあまりなく、天守には歴Hikonejo5hahu代藩主の甲冑が収納されていた』そうだ。彦根城は、江戸時代から現在に至るまで、軍用建築というよりも、城下から見上げる彦根(藩)の人たちの象徴の役割を担っているわけだ。

Hikonejo1

  • 順序は逆になるが、表門から坂を上がって行くと、まず目につくのは天秤櫓(重文)。廊下橋(非常時には落とし橋になる)を中央として左右対称になっていることから天びんの名前になったらしい。日本の城郭では、彦根城だけのものという。Hikonejo2shoro

  • 続いて、時報鐘。今も定時に鐘がつかれている。鐘のむこうの城下の景色も、ご覧ください。

  • 城に上ったのは日曜日の午後4時だった。まだ多くの観光客がいて、60度以上もあると感じる急な天守閣の階段で、順番待ちをしながら、天主3階に上ると、のどかな春の琵琶湖が展望された。中学校のころには夏の海(湖)水浴場に、学生時代にはヨットの練習や湖岸散歩、そして、付き合っていた女友達をボートに乗せて得意がっていた遠い記憶を、思い出していた。

                                              

Hikonejo4tennbo2 Hikonejo3tennbo            

  • 撮影:2009年5月9日。

  • 関連記事

    彦根城(滋賀県彦根市) 2007年4月12日 (木)

    「絹と明察」(三島由紀夫) 2007年12月27日 (木)

                

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2009年5月 8日 (金)

キリン、ゾウ、ライオン、シマウマ(多摩動物公園 ③)

  • 多摩動物公園の3回目は、アフリカ園を思い出してみたい。Kirinn_3

  • 今でこそ動物園には、パンダやコアラなど、いろいろの動物がいるけれど、子どものころは、なんといってもゾウ、キリン、そしてライオンなどを見るのが、第一だった。小学校の修学旅行は、大阪城⇒天王寺動物園を見学、その足で、近鉄奈良線に乗り、伊勢神宮という1泊2日が、定番コースだった。はじめての旅館泊まりは、興奮して眠られず、わんぱくの鼻たれ小僧同士で「枕投げ」に興じたものだった。 

  • 園内で真っ先に目に入るのはキリン、正確にはアミメキリン。頭までの高さ4.5~5.8m、陸上では最も背の高い動物で、ともかくスマートだ。数も多くいて、壮観だ。50cm近くもある長い舌をじょうずに使って木の葉をむしり取って食べると聞いた。

Zou

  • アフリカゾウの方は、はっきり言って、さびしい。4頭いたうち1頭は、群馬の方にお嫁に行き、もう一方は、半年くらい前から「鬱」で、外に出てこないと、ガイドのおじさんが嘆いていた。きっと、頭のいいゾウなのだろう。

  • 体重は7t以上になるものもいるとのことで、 長い鼻、大きな耳を揺らせながら動き始めると、ホーツと歓声が出る。昔2歳くらいだった長男を、上野動物園のゾウの前に連れて行ったら、いきなり「ワーッ」と大声で泣き出したのを、思い出す。
    長い鼻の中には一度に10リットルもの水を吸い込むことができ、それを口に移して飲む。1日に200リットル以上(2Lのペットボトル200本!!)の水を飲むらしい。

Lion_3

  • 「ライオンバス」の切符を買って、順番待ちの列に並びはじめたがいっこうに進まない。あきらめて、遠くから眺めるだけとしたが、このあと多くの動物たちに会えた時間効率を考えると、正解だった。しかも、帰り際、使わなかった切符の払い戻しをダメモトで、申し出たら、気持よく200円(65歳以上二人分!)を、返してくれた。感激!!。

  • 遠目からみても、さすがに百獣の王、オスもメスも貫録十分だ。
    頭から肩にかけてのたてがみはオスだけにあり、1才半くらいで生えはじめ、5~6才で立派になる。ライオンは「プライド」と呼ばれる1~3頭のオスと、数頭のメス、その子どもたちからなる10~30頭ほどの群れをつくってくらしているとのこと。 こんど「ライオンバス」の空いている日を狙って、身近で見てみよう。

Simauma

  • シマウマ(正確にはグレビーシマウマ)は、容姿端麗、写真は、オスがメスを嗅ぎまわっていて、人間臭い(ウマ臭い)が、五月晴れの朝の光に照らされている姿は、思わずほれぼれし、ゾクゾクするほど美しい。中でもきれいなのはきっとメスで、オスが朝っぱらから人目も憚からずに、追っかけまわすのは無理もない。

  • シマウマのなかでは最も大型。しまは、幅がせまくて数が多く、足のしまがひづめの上まであり、腹にはしまがない。一本、一本のしまをよく見ると、なんともいえないきれいな曲線。造物主は、よくまあこんな生き物をこの世に送り込んだものと感心する。

  • 5~20頭くらいの小さな群れで草原や木のまばらな林にくらしているとのことだが、現在生息地の アフリカのスーダン南部、エチオピア、ケニア北部、ソマリアの草原地帯 とも、野生では絶滅が心配されているそうだ。なんとかしてほしい。

  • 撮影日:2009年4月29日。

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2009年5月 5日 (火)

モーツアルトが求め続けた「脳内物質」(須藤伝悦)

  • 人の脳の中には、ドーパミンという神経伝達物質Mozwaltnonai があり、運動・情動・学習などの高次元の脳機能を調節している。このドーパミンは、平たくいえば『快感物質』で、脳から『楽しい気持ち』を呼び出し、創造性をつくることにも関与する物質だが、この本の主役はこのドーパミンとモーツアルトだ。講談社新書2008年3月刊。

  • ドーパミンが、極端に減少すると、パーキンソン病やてんかん症、ある種の認知症、注意欠陥多動性障害(ADHD)、などの病気になる。

  • 我々はいま、モーツアルトの奇蹟的・天才的な音楽を楽しみ、癒されているのだが、そのモーツアルトは、200年前、ほかでもない、このドーパミンが減少するための病気に苦しみ、いつもイライラしていた。そのとき、音楽を聴いていると気分が落ち着くことを知り、なんとも心地よい不思議な体験をした。

  • 以来我らがモーツアルトは、自分を癒してくれる音を求めて、遠い将来、人々を夢中にさせることを予想だにせず、ひたすら、(ドーパミンをつくりだす刺激信号を含む)自分が癒される音楽を求め続けたのだ!!

  • Mozwaltrerihuモーツアルトの音楽は、人生の前半と後半で作風が違う。前半は牧歌的で自然の音を連想させ、明るくて愉快な曲がたくさんある。ところが、後半になると、深刻でメランコリックな曲が多くなってくる。ある種の落ち着きのなさ、不安な感覚、さらには理解を超えた危険な感覚があらわれると、本書はいう。

  • ………本の中身をダイジェストし始めるときりがないのだが、この本は長年ドーパミンの研究に携わってきた保健学者である著者が、モーツアルトが悩んだとみられる、ドーパミン減少に起因する、幼少期のてんかん症、注意欠陥性多動障害(ADHD)、そして人生後半期の、幻覚や妄想にとらわれたある種の統合失調症についてふれ、モーツアルトがそれらを乗り越えて、凡人が持ちえない特別な能力で、数々の名曲を残したことを、詳述している。

  • ミロシュ・フォアマン監督の映画『アマデウス』(1984年)では、モーツアルトの神の声を伝えるために選ばれた音楽家としての才能と、下品でわいせつな姿のコントラストが強烈に表現され、私のモーツアルト像の大きな部分を占めている。あの映画は、かなりこの本の指摘しているモーツアルトの実像を組み込んで造られていたように思う。

  • ともかくもこの本を読んで、「人間モーツアルト」の一面がまた新たに見えてきた。これからのモーツアルト鑑賞が、一段と深まると期待している。

  • レリーフの写真は、レオナルド・ボッシュ作、1789年。モーツアルト名曲辞典、1992年音楽之友社刊による。

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2009年5月 3日 (日)

コアラ、レッサーパンダ(多摩動物公園 ②)

  • ふだんほとんど意識していなくとも、「コアラ」や、「レッサーパンダ」などの人気の動物の近くになると、足が軽くなります。多摩動物公園には、立派な「コアラ館」がありました。

  • コアラは「Koara_2一日のほとんどを木の上ですごし、夕方からえさをさがして動きまわるので、夜行性に近い動物」らしい。何匹かいたのですが、みんなじっとしていて、よく注意してみないとわからない。それでも目を凝らして眺め始めると、なかなか可愛い。

  • 「ユーカリの葉しか食べず、水もほとんど飲まない。毒性の強いユーカリを消化するために長い腸をもっていて、特に盲腸は長く、体長の約3倍もある」とのこと。動物園に来て、いろいろ知らなかったことが、(いくつになっても)、わかるのは、楽しいもの。

  • コアラと同じオーストラリアでは、なんといってもカンガルー。Kanngaru
  • 「有袋類(ゆうたいるい=おなかにある袋で子どもを育てる仲間)の代表的な動物で、ひらけた草原に10~12頭の群れをつくってくらしています。昼間は直射日光をさけて休息し、夜間に草などを食べます。とびはねるときは後あしをそろえてとび、尾を地面につけていますが、速度をだすときは尾を上にあげ地面につけません。短距離では時速50km近い速さで走ることができます」--とあるが、写真を見ると、その通りです。 時速50キロとは、自動車並みですね。

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  • 「レッサーパンダ」舎は、多くの親子連れで人気。飼育係の人に、親しげにまとわりついているかわいい小動物。中国南西部、インド東北部の高地の森林や竹林 に生息しているとのこと。

  • 「海抜1000m以上の山のなかで単独でくらしています。えさを食べるために早朝と夕方に動きまわり、日中は木の上や穴のなかでネコのように丸くなって眠っています。木登りがじょうずです。前あしを器用に使い、片方の前あしだけで竹の枝をもって葉を食べるしぐさは、たいへんかわいいものです」とありました。すぐ目の前に来てくれたかわいい瞬間を、カメラに収めました。写真をクリックすると拡大します。

  • 撮影:2009年4月29日。

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2009年5月 1日 (金)

オランウータンのスカイウオーク(多摩動物公園 ①)

  • Orannutann2 ことし2009年の連休は、五月晴れつづき、その一日、童心にかえって、多摩動物公園を訪ねました。動物のスナップのいくつかを、数回にわけて、載せることにします。

  • 第1回は、2005年 に完成した オランウータン・スカイウォーク。北海道旭川市の旭山動物園が動物の「行動展示」で、一躍全国的に注目されるようになったが、こちらでも、来園者が愉しんで見られる工夫をさまざま凝らしていて、その中の見ものの一つ。

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  • 多摩丘陵の広ーい丘を歩いていると「まもなく、オランウータンのスカイウオークが始まります」の場内アナウンスが、どこからとなく聞こえてきた。「どこかな?」とキョロキョロしていると、手前のほうから「ワァツー」と云う人の歓声。幸運にもすぐ近くを歩いていたらしく、小走りに近寄って見ると、親子連れなど、大勢の人が、空を見上げていましたーーー

  • Orannutann3鉄塔に何か黒いものが動いていました。待つこと10分ほど、2匹のオランウータンが、吊り橋よろしく張り渡された綱にぶら下りながら、ゆっくり悠々、千両役者然として、sky walk を始めました。『ハハーーン、きょうは、結構(人間どもが)入っているな~~』と、下界を眺めています。

  • 正確ではないけれど、どこかで、9歳と39歳です、と云うような会話が、後ろのほうから聞こえていました。クローズアップしてみると、なんとはなしに、そんな感じです。どちらが9歳なのか?は、写真(クリックして拡大)をご覧になって、自由に決めていただければと思います。<公式HPに、メスのチャッピー(36歳)とその子ポピー(オス、8歳)、との記載があり、その2匹が、正確?>、

Orannutann6 Orannutann5                          

  • Wikipediaによると、『オランウータンの腕は脚の2倍の長さがある。 指とつま先が曲がっていて、そのため枝を上手につかむことができる。大腿骨を骨盤に保持する股関節の靭帯がないため、ヒトや他の霊長類と異なり、オランウータンは足の動きに制約が少ない』~~とある。写真を見て、なるほどと思いました。

  • 撮影日:2009年4月29日

 

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