小諸高浜虚子記念館:更科紀行⑤
- これまで私の中の高浜虚子は、漱石の「吾輩は猫である」を俳誌「ホトトギス」に登場させた才人、正岡子規と同じ松山出身で、子規から学問の後継者にと切望されながらそれをきっぱり断った男、そして、今日TVなどでよく見かける孫の稲畑汀子のおじいさんという風に、主役ではなく、主役の引き立て役としての存在だった。
- ふしぎなもので、「虚子庵」に上がり込み、また、記念館に展示されている虚子の代表
句十二句を認めた直筆の「六曲一双」の屏風を目の前にして、私は瞬く間に、虚子という人が、現代俳句界に大きな影響力を残す存在であったという「まぎれもない主人公」である事を、強く認識させられた。まさに、ほんものの迫力なのだろう。
- なかでも記念館のメイン展示物である六曲一双の直筆屏風は、虚子の一句一句にあふれる大きな作風に、作者自身の性根の入った力強い筆使いが感じられて、圧倒された。ここで、正確に12ケ月に配された屏風の12句を読み上げる気持ちで、いくつかを思い出してみる。
山寺の宝物見るや花の雨
神にませばまことうるはし那智の滝
遠山に日の当りたる枯野哉
大空に伸び傾ける冬木哉
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人々にさらに紫苑に名残あり
- 虚子が終戦後昭和22年10月に、小諸を去るにあたって、世話になった人々に感謝の気持ちをこめて歌ったものだろう。碑のまわりには紫苑の青い葉がいくつか顔を出していた。
- 撮影日:2009年5月30日。
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