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2009年6月13日 (土)

小諸「懐古園」、島崎藤村:更科紀行④

  • Kaiko4 芭蕉の「更科紀行」を訪ねる途上で、小諸「懐古園」に立ち寄った。木曾義仲の武将小室太郎光兼なる人物が最初に館を築いたという、遠く鎌倉・平安の時代までさかのぼる古城である。

  • エントランスにあたる三の門は1615年に創建、その後大洪水での1765年再建のものがいまに残っているとのことで、よく見ると両の塀には、矢峡間や鉄砲峡間がある、戦闘的な建物だ。

  • 浅間山のふもとに位置する小諸、この日は、さわやかな5月の高原の風が古城の新緑を柔らかに揺らしていた。下左黒門橋、下右天守台石積と馬場。

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  • 小諸の一方の主役は島崎藤村で、明治32年から7年間、当時の小諸義塾に赴任し「千曲川のスケッチ」が書かれ、「破戒」が起稿されたところだ。園内に「島崎藤村記念館」があり、藤村の詩碑や歌碑がならぶ。

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  • 藤村の「千曲川旅情の歌」の詩碑。『小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も籍くによしなし しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る………』

  • もう一つは「惜別の歌」の歌碑。『遠き別れに耐えかねて この高楼に登るかな 悲しむなかれわが友よ 旅の心をととのえよ…………』。一緒に旅をしたわが古典講座のY先生が、この碑の前で小林旭顔負けの独唱をされ、緑の薫風の中で、それに一同が自然と唱和する、思い出深い懐古園見学となった。

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  • 「千曲川旅情の歌」の詩碑から公園の突端の方へ歩くと、千曲川が一望できる展望台がある。ちょうどわれわれ一行がこの展望台にあがったとき、ほかのグループと入れ替わったので、狭いスペースだったが、パッと集まってカメラに収まった。みんな幸せそうな顔である。後列右手を挙げているのが私。最前列真中が「惜別の歌」を歌われたY先生。

  • 撮影日:2009年5月30日

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コメント

皆さんで歌われた「惜別の歌」情景が浮かんできます。

「惜別の歌」は好きでよく歌いますが、何時も思い出すのは、

入隊して日の浅かった頃、北富士演習場で4千メートルから飛び出し

そのまま傘が開かず「十万億土」に旅だった友に

死装束となった制服を着替えさせながら・・・・

何故かこの歌が出てきたのを

「遠き別れに 耐えかねて・・・」

「悲しむなかれ我が友よ 旅の衣を整えよ」

投稿: shunn | 2009年6月16日 (火) 07時02分

作曲者の藤江英輔氏は、この曲の作曲したころを回想して

長文を書いています。、その一節を、抜き書きしてみます。

~~哀しむなかれ、我が友よ、旅の衣をととのえよ……。

 このとき、ぼくが思い浮かべた〝旅の衣″は戎衣(じゅうい)で

あった。軍服。「風蕭蕭(しょうしょう)として易水(いすい)寒し、

壮士一たび去って復(ま)た還(かえ)らず」という漢詩の一句が

脳裏をよぎった。

「旅の衣は鈴かけの、露けき袖やしほるらん」

 これは、弁慶が傷心の義経を守って、陸奥に落ちていく情景を

った長唄『勧進帳』の最初の一句である。それがオーバーラップした。

義経も弁慶も、富樫の情で、死をまぬがれるひとときを得た。だが……。

 そんなことを考えているうちに、あるメロディが自然に浮かび上が

ってきた。ぼくの胸の中で死と隣り合わせになっていた若い、未熟な、

無秩序な願望から、突然湧き出した不思議なメロディであった。

ぼくがこの『高楼』(藤村の若菜集所載)に曲をつけたのは、言葉に出せ

ぬ無言の別れを無言のままに済ませることに、どうにも我慢できない焦燥

を感じていたからだった。

 このつたない曲は、むろん表立って発表した訳ではない。口から口

へと伝わっていっただけである。

 中本(氏の友人)は音痴のくせに真っ先に覚えた。調子のはずれた変な歌唱では

あったが、一点に眼をこらす例の表情で、おもしろくもおかしくもな

いという顔でいつも歌っていた。そして、この歌はいつか陸軍造兵廠

第三工場から出陣する学徒兵を送る別れの歌になった~~~~。

投稿: kij | 2009年6月16日 (火) 07時05分

歌の解説を読ませていただいてから、歌を聴くと心にしっとりと入ってきます。
そして、shunnさんの遠き思い出にも涙しました。
危険と隣り合わせの毎日は想像も出来ませんが・・

投稿: hina | 2009年6月16日 (火) 07時06分

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