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2009年7月30日 (木)

夕顔……1日目、そして3日目

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  • 夕顔が一気に咲きました。つぼみが膨らんで「夕顔の音のしさうな蕾かな(星野椿)」のような状態だったのですが、きょう、一斉に開きました。数えてみたら、なんと、八輪も、開いていました。

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  • 九州・中国地方にあった低気圧が、関東に移ってきて、夕方からかなりの雨。せっかくこの夏初めて開く夕顔に、無情の洗礼かと気にしましたが、意外にしっかりした花びらで、容易にしょげることはありません。朝がくるまでは勢いがあるというのでしょうか

    夕顔の一つの花に夫婦かな  富安風生

  • 「一つの花」になにかあるのかな?と探しましたが、なにも見つかりません。さきほど、夕顔が開いたのを発見したつれあいが「開いたわ」と、声をかけてくれて、ふたりで窓の外を眺めました。この句の作者ご夫婦も、そうだったのかな?と思います。

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  • あらためて歳時記の「夕顔」を見てみます……。ウリ科の蔓性一年草。長楕円形や毬形の大きな実を結び、その果肉は干瓢の材料となるが、単に「夕顔」といった時は、実ではなく花を意味する。晩夏の夕暮れどき、白い五裂の大きな花を開くが、翌朝までにはしおれる。ヒルガオ科の夜顔(秋季)とは別種である。はかなげななかにも野趣があると感じるのは、『源氏物語』の「夕顔」の巻や『枕草子』の影響かもしれない。夕顔の他に彩なく日暮れ待つ (林田紀音夫)」は、伝統的な美趣にとらわれることなく、現代のアンニュイ、ものうさを表出している……。(ここまで7月27日記)。

  • その後も、続々と、開きます。7月29日の写真を追加します。開花が始まって3日目です。夜の闇が深まってからの撮影ですので、7月27日の1日目と比べて、妖艶・濃厚のたたずまいです(7月29日記)。

  • 撮影:2009年7月27日。次の2枚は7月29日。

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2009年7月29日 (水)

松葉牡丹

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  • 子どもの頃の郷愁を、庭の花にも託したくなり、松葉牡丹をあちこちに植えてみた。戦後まだ日の浅い頃だった。松葉牡丹が夏の日盛りの中、田舎の石積みの道ばたにいっぱい咲いていた。小学生だった私はランニングシャツにゴム草履、当時はとなりにも、その向こうのうの家にも、子供がいっぱいいて、みんないがぐり頭、紫外線など全然気にせず、みんな真っ黒だった。私は四男で、さらに弟がふたりいた。

  • <松葉牡丹>:スベリヒユ科の一年草で、南アメリカ原産。肉質の葉が松葉に似ており、小形ながら花が牡丹のように美しいというのでこの名がある。炎天下に紅、白、,黄色、その他の色の花を多数咲かせる。日が照らないと開花しないので「日照草」の名がある。円柱状で紅色の茎がどんどん枝別れして増える。乾燥に強く繁殖力が旺盛で、我国の盛夏を彩る花として公園や広場、民家などいいたる所で見かける。茎を切ってさすだけでつくというので、「爪切草」の名もある……歳時記より。

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  • ことし春、種を買って播いたのは全滅、まったく芽が出なかった。その後近所のIさんから苗の育った一鉢をいただき、茎を切って庭のあちこちに植えたところ、このところの日照りに、次々と咲いてうれしい。

  • どうやら、紅と白の2色で、歳時記にあるような黄色やその他の色まではないようだが、冒頭に書いたランニングシャツにゴム草履の子供のころを懐かしむには、十分な元気さだ。

    日照草麻疹のはやる村はづれ  三谷昭

    そういえば、はしかにかかったのは、暑い夏だった。

  • 撮影日:2009年7月29日

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2009年7月25日 (土)

昭和記念公園 花火大会

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  • 降ったと思ったら、晴れ間になって、しばらくすると又降っている、そんな一日が、夕方になってしっかり晴れ間になったきょうの昭和記念公園。すぐ近くまで花火大会を見に行きました。地元にいながら10年ぶりくらい。モノレール下の広場から、打ち上げ現場まで、およそ500mくらいの場所からでした。花火の句と一緒に、速報で、何枚かご紹介します。写真をクリックすると拡大します。

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  • 暗く暑く大群衆と花火待つ  西東三鬼

  • わが好む紫陽花色の花火かな  西本一都

  • 立川の花火大会は、昭和29年の第1回立川納涼花火大会以来、本年で通算52回目となるという。この間、花火大会は日野橋河畔から米軍立川基地へと場所を換え実施され、過去には基地返還等の理由から花火が打上ができない年もあるなど曲折を経て、その後あらためて打上会場を設定し、昭和57年に「立川まつり花火大会」として復活を果たしたとあります。

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  • 花火散り天上界をしたたらす  須佐薫子

  • 山国や空にただよう花火殻   金子兜太

  • 主催者のホームページによると、観客は、メイン会場である国営昭和記念公園内観客数が25万人を超え、JR立川駅付近及び、国営昭和記念公園の外周道路までを換算すると、一晩で60万人を越えるほどになるとのこと。きょう、私の見た場所は、外周道路で、浴衣姿のカップル、子供たちを連れた家族、職場仲間の若者たちなどで、はなやかなにぎわいでした。大輪・小輪、単発・連発の一つ一つに歓声が上がっていました。

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  • ねむりても旅の花火の胸に開く   大野林花

  • 半生のわがこと了へぬ遠花火   三浦鷹女 

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  • 揚花火二階灯してすぐ消して   長谷川かな女

  • 両国の花火聞ゆる月夜かな   正岡子規

  • 撮影日:2009年7月25日

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2009年7月22日 (水)

西教寺(大津市坂本町)と明智光秀

  • Saikyouji3_2 比叡山ドライブウエイから、坂本に下りたところで、西教寺の門前に通りかかり、立ち寄ることにした。40年ほど前に訪ねたことがあるような、ないような、自分の中で存在の不確かな記憶を、あらためてたどりつつ、一歩一歩、石畳の参道を上って行った。

  • 総門をくぐって参道に出ると、両側に、寺院(子院)が続き、中にはかなり大きなお堂もあり、どこが本堂なのかわからない。そのうちのこれが本堂かな?と思って上がり込んだところで、はじめて僧侶が何か作業をしておられたので、「本堂はどちらですか」と、間の抜けた問いかけをして、「もっと上の方ですよ」と軽くいなされる始末。

  • 調べてみると、西教寺は、天台宗総本山の延暦寺や、天台寺門宗総本山の三井寺に比べ知名度は高いとは言えないが、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400か寺以上の末寺を有するという。わたしはここに明智光秀の供養塔があることは知っていたが、まさか、総本山との認識はなかったので、その境内の威容に、はじめて納得した。

  • Saikyouji1 ようやく本堂にたどり着いた。広い敷地を圧するがごとく、堂々たる建物が目に入った。総欅入母屋造。江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。用材は紀州徳川家からの寄進されたとのこと。

  • 人の気配のないお堂の中から間を置きながらのカーン、カーンという鉦の音がする。恐れながらと、正面の障子の扉を開けて、中にはいった。鉦の音の合間に、尼僧と思われる女性の低い読経の声が、ゆっくりつぶやくかのように耳に入ってくる。

  • ご本尊の、重要文化財の丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)さまに、お手をあわそうと、一歩二歩前に進んだ。と、いきなり読経の声が止み、「入ってはいけませーん」という鋭い声!……。はっとして、きょろきょろ遠く右手の方をみると、ご本尊に向って座っている尼僧らしき姿が目に入った。どうやら、気がつかない間に一線を超えた(超えそう?)らしい。あわててその場で合掌して、本堂をあとにした……。

  • 外に出ると、また何事もなかったように、鉦の音と低い読経の声が、静かに聞こえるだけだった。後述するが、私は、「不断念仏」を唱える尼僧の行を、妨げたらしい。

  • 本堂を出てすぐ立派な鐘楼が目に入った。この鐘楼は、明智光秀との因縁がSaikyouji2 あるようだ。すなわち元亀2年(1571)の織田信長の比叡山焼き討ちの際、当寺も災禍を被り、その直後に築かれた坂本城の城主となったのが明智光秀。光秀は西教寺の檀徒となり、復興に力を注いだという。総門は坂本城城門を移築したもので、そして、鐘楼堂の鐘は陣鐘だとのこと。天正10年(1582年)に54歳でこの世を去った光秀はその6年前に亡くなった内室熙子や一族の墓とともにここ西教寺に祠られている。

  • 前後するが、総門をくぐってすぐ左に『文学ゆかりの地』という立看板があった。三浦綾子の小説「細川ガラシャ夫人」の一節から「鉦の音」と題する一文だった。以下全文を写し取ってみたい。Saikyouji4_2

  • 西教寺はもう目の前にあった。しんと静まったあたりの空気に、本堂の方から鉦を叩く音が聞こえてくる。その音が、一層静けさを深めている……、カーン、カーンと間をおいてひびいてくる。静かだ。いかにも静かである。やがて、光秀がいった。……「人間、この音色のように澄みたいものじゃが……」

  • 「お父上様は、澄んでおられます。」玉子はまじめな顔でいった。「ほう、お玉の目には、父が澄んでうつるか?」「澄んでおりませぬか」……老僧はふり返りもしない。無心にただ鉦を鳴らしつづけている。なるほど(不断念仏)じゃ……
  • ここに来て、光秀はいつもふしぎな気持ちになる。自分たちが、血なまぐさい戦場を駆けめぐっている時も、広いこの本堂でに黙然と坐って、この老僧は、念仏をつづけていたのかと思う。恐らくこの僧の一生は、南無阿弥陀仏の六字を称え、鉦を鳴らすことだけで終わるのであろう。その老僧の心はわからない。が、尊いことに光秀は思う。

  • 戦争、強奪、疫病、災害などの絶えぬ世に、こんな一生を終る僧がいることは、言いようもなく尊いことに思われるのだ。

  • 「あー、これは、これは、御領主さま。」「御来山を存じませず、まことに失礼いたしました。」「いや、用があればわしが出向く。わしは、この不断の鉦がすきなのじゃ。」

  • 坂本城に移ると同時に、光秀はこの西教寺の復興に力を貸した。信長が比叡山を焼く時も、光秀は全山のために慎重な配慮をした………。

  • 小説「細川ガラシャ夫人」は女流作家三浦綾子先生が昭和四十八年一月から二年五ケ月に亘って執筆。初めての歴史小説。この小説の中に「鉦の音」「?」の中に光秀が坂本城主になってから、西教寺の不断念仏の鉦の鳴る本堂へ、妻煕子、末娘玉子(細川ガラシャ夫人)、左馬助光春(家臣)、郎党を連れての参詣の様子が描かれている………。

  • <注>お玉(玉子)とは、光秀の3女で、後の細川忠興の正室。俄羅奢。キリスト信徒(キリシタン)として有名。

  • 少し長くなったけれど、立看板(文学碑)をあらためて読み、作家の表現の巧みさに、感じ入るとともに、あの時、本堂で聞いた尼僧の読経の声と、鉦の音が再び蘇ってきた。

  • 撮影:2009年5月11日。

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2009年7月18日 (土)

延暦寺三塔巡拝 ③比叡山 横川

  • Yokokawa1 比叡山のいちばん北に位置し、霊峰のたたずまいがする横川が、三塔巡拝のゴールとなる。旧横川中堂は1604年の竣工だったが、昭和17年に落雷で焼失、昭和46年に旧堂に出来るだけ近く模して、鉄骨鉄筋コンクリート造りで、今の堂ができたという。

  • 私が大津から東京に越してきたのが、昭和45年なので、その頃の横川の記憶は、このような立派なお堂はなく、どちらかと云えば寒々とした、山奥の光景にすぎなかった。しかし今回、横川の石段を上りつつ、そこに、大きな船を思わすような朱塗りのお堂を見て、昔の記憶はたちどころに塗り替えられた。

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  • 中堂は崖を利用して建てられていて、横川を開いた慈覚大師が、求法のため唐に渡った時の唐船(からぶね)に擬して造られたという俗説があるらしい。なるほど、船が浮かんでいるようにも見える。堂の外観は新しく、朱色の塗装も鮮やかだった。

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  • お堂の中に入って、ご本尊らしき位置で参拝した。横川中堂のご本尊は聖観音像だと聞いたが、カメラに収まったお姿が、絵なのか、ほんものの仏像なのかはっきりしなかった。やはりご本尊様は、この絵(?)の奥の方におられたのだろうか?

  • さらに内部をぐるりと回ると、ズラリと並んだ千体仏があった。これら圧倒的な数えられないほどの小さな仏様のいわれを、調べずに終わったが、想像するところ、信者の寄進で、人々のさまざまの願いや供養を、これらの小さな仏様に託して、納められているのではなかろうか。

  • 横川で延暦寺三塔巡拝を終え、坂本に下りた。次回以降、坂本、三井寺について、書いてみたい。

  • 撮影:2009年5月11日。

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2009年7月14日 (火)

ブラスオルケスター演奏会(東京オペラシティ) コンサート記憶帳⑪

  • Burasuorukesuta1 「国立音楽大学ブラスオルケスター 第50回定期演奏会」に出かけた。昨年の第49回は東京芸術劇場大ホ-ルで、今年は東京オペラシティコンサートホールと、メジャーな施設で開かれている、歴史のある催しだ。2009年7月11日。

  • 楽器編成は、金管・木管、打楽器、コントラバスをそなえた本格的なもので、舞台上は80人くらいの音大生(女性が8割)での編成。総勢およそ200人のメンバーが、曲目によって、交代を繰り返しながらの、賑やかなコンサートだった。

  • 『ブラスオルケスター』という言葉の意味を明らかにするため、『ブラスバンド』を調べると、『ブラス・バンドの標準編成は木管を含まないだけでなく,トランペットやフレンチ・ホルンも含まず,サクソルン属と呼ばれる金管楽器を中心に,コルネットとトロンボーンで編成されている』とある。とすると、この日の『ブラスオルケスター』は、ピッコロからトランペット、チューバに至るまでのほぼすべての管楽器、ティンパニやパーカッションの打楽器、ハープ、ダブルバスまで揃った大編成だった。本格的吹奏楽団というのだろう。Burasuorukesuta2

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  • 指揮はフランソワ・ブーランジェというフランス人。パリ・オペラ座管弦楽団などの指揮もしているとのこと。各曲のクライマックスでは飛び跳ねるようなアクションも含めて、上半身・下半身、両腕・指揮棒の動き、顔の表情に至るまで、見ごたえのある指揮ぶりだった。

  • プログラムは、吹奏楽オーケストラが初めての私にとっては、はじめてのものばかりだったが、休憩後第1番目の『往時の夢』の軍楽隊風の明るい行進曲、ラストのガーシュインの『キューバ序曲』など、いずれも、聴く者の全身に響いてきて、迫力のある内容だった。

  • アンコールの2曲目、題名はわからないが、交代要員も含めてほぼ全員が舞台上に立錐の余地もないくらいに勢ぞろいしてのフィナーレに満足して、演奏会は幕となった。

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      オペラシティに出かけたのは、今回が初めて。建物の広さ、内装の豪壮さは、たいしたものだった。Takemitsu Memorial と表示のあるコンサートホールは、ニューイヤーコンサートのウイーンの楽友会館を彷彿させるような造りだった。

  • 撮影:2009年7月11日。

  

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2009年7月10日 (金)

延暦寺三塔巡拝 ②比叡山 西塔

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  • 西塔は根本中堂から1km弱のところ、車だと5分も走れば美しい杉木立と静寂な空気につつまれた山上世界に着く。

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  • 最初に常行堂と法華堂が見えてくる(写真左)。二つのお堂が並んで建ち、その間に渡り廊下があって、両堂を連絡している。両堂の間の廊下を担い棒と見て、左右両方の堂を担い棒の荷物と見做せば恰も天秤棒の荷物を持つ型となるので、俗に「担い堂」といい、これ等のことから弁慶が担って山下から上がってきたという説もあるらしい。1572年の信長の焼き打ちで焼亡したが、その後、釈迦堂が山下より移築された1595年に再興復原されたという。関ヶ原の戦いの5年前だ。

  • 「担い堂」の廊下をくぐって急な石段の上に立つと、はるか下方に「釈迦堂」が夢の世界から現れたように美しく見える(写真右)。「転法輪堂」ともいう西塔の中堂だ。石段にはプロらしい写真家がいたが、絶好の撮影スポットであり、シャッターを切った。

  • Hieishakado2 現在の比叡山では最古の建築で、もと山下の園城寺(三井寺)の弥勒堂(金堂)であったものを、園城寺が豊臣秀吉の命に従わなかったので、秀吉が1596年に山上に移築するよう命じた。すなわち秀吉は、弟の秀次が園城寺と通じているなどと理由をつけて、突如三井寺の廃絶を命じた。そのとき堂舎の一部が比叡山の復興名目で移築されたといわれ、この釈迦堂は、まさしく三井寺の総本堂であったのだ。権力者の威光は、高く厳しい山への移築という難事業をものともしない時代だったのだろう。

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  • 西塔に前後して、山頂の四明が嶽(写真左)に上り、その後、峰道(右)のレストランで、昼食にした。余談だが、山上のレストランにしては、価格・品揃えともリーズナブルだった。

  • 比叡山は京都と滋賀の境にそびえ、東に日本でいちばん大きな湖、琵琶湖を望み、西には古都京都の街を見晴らす位置にあるが、山頂の四明が嶽の展望は、さしてよくない。一方、峰道からの眺望はすばらしく、この日も、霞の中の湖面を、悠々と見おろせた。

  • 比叡山を詠んだ、短歌、俳句をいくつか、書きとめておきます。

    のぼりきてしづかにむかふたびびとに

         まなこひらかねてんだいの祖師  会津八一

    霞む山根本中堂中にして  正岡子規

    王城の鎮護の寺の梅遅し  高浜虚子

  • 撮影:2,009年5月11日

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2009年7月 3日 (金)

ハープの演奏:コンサート記憶帳⑩

  • 普段利用している図書館のホールで、Hapu1_2 ハープのソロ演奏があると聴き「ハープとヴァイオリンとピアノの競演」コンサートに出かけた。200人ほどのコンパクトなホールで、ほぼ満席。これまでオーケストラの一員として、遠くからハープを眺めていたことはあったが、室内楽風に、身近でハープを聴くのは、はじめてだった。2009年6月27日。

  • 市の「男女平等参画課」が企画したコンサートで、「女性作曲家の名曲を楽しむ」との副題がついている。解説の女性(国立音大名誉教授)が話されていたが、きょうのプログラムは、日本では紹介される機会のない曲がほとんどで、結果自分の知っているものはなく、予備知識なし、初対面のハープ鑑賞だった。

  • ペダル付きの大きなハープ。ダブル・アクション・ペダル・ハープ?と云うのだろうか?演奏者の解説では、47本の弦をペダルの上げ下げで、半音あげたり、全音あげたり、調整していくとのこと。ペダル操作と、両手の指で弦を弾く動作、よほどの訓練と研ぎ澄まされた感覚が備わらないと、さまにならない難しい楽器だなと、Hapu2_2 感心しながら、聴きいった。
  • 演奏は景山梨乃さんという1990年生まれ19歳で、紹介によるとハープではメジャーなコンクールである、パリにおける2008年リリー・ラスキーヌ国際ハープコンクールで最高位(1位なしの2位)を獲ったなどの、前途有望の人らしい。

  • 静かで控えめな感じながら、いったん演奏が始まると、自身の身体よりも大きなハープを、あたかも調教師が名馬を御するが如く、ある時は、ピアノのような澄んだ音色を、次のメロディでは、ボロローン♭~♯~と弦を共鳴させながら、曲を進めていった。(あとで調べたが、リリー・ラスキーヌはフランスの著名なハープ奏者で、レジオン・ドヌール勲章受章者。その国際コンクールが1993年から3年ごとに開催され、2008年はその6回目だったとのこと)。

  • 私は持っていたオペラグラスで、景山さんの両の手が、47本の弦の、高音部(弦の短いほう)から低音部(弦の長いほう)へと、逆方向に低音部から高温部へと、そしてハープ(竪琴)の上から下へ、下から上へと、なめらかに、あるいは急な動きで、移動していくさまを飽きずに追っかけた。

  • 右手の5本の指、特に両端である親指と小指の動きは、誰もいない静かな森の中の木々の間を飛び回る小鳥のように感じて不思議だった。メロディの節目になると、右手がピタリと弦を押さえて音が止む。私は照明の消えた客席、明るい舞台の上はハープと演奏者だけ。それを捉えるオペラグラスの限定された空間に、白い10本の左右のしなやかな指先が躍動するさまが、そのまま、深い森の中の小鳥の幸福なダンスに見えたのだった。小鳥の飛び回る木々すなわち47本の弦は、白、赤、黒に色分けされていて、ある種幽玄な彩りとなって、目に入ってきた。

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  • ハープの曲と云えば、モーツアルトの「フルートとハープのための協奏曲ハ長調K299」が頭に浮かぶ。モーツアルトが母親とともに3度目のパリに行ったとき、フルートを演奏するアマチュア音楽家ド・ギーヌ公爵とハープを演奏するその令嬢のためにと依頼されて生まれたもの。モーツアルトはこの令嬢の作曲のレッスンもしていたが、出来の悪く苦労したとか、ド・ギーヌ公爵からは作曲の報酬の支払いがのびのびになって、相当カチンと来ていたとか………。だが、そんな話は別にして、あらためて聴いてみると、フルートとハープ、それぞれの魅力がいっぱい、互いに引立て合いながら、オーケストラに見事に調和して、しゃれたかつ華やかな協奏曲だ。今回のハープへの認識の深まりも重なって、この協奏曲はさらにお気に入りになりそうだ。

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  • 話がモーツアルトに飛んだけれど、滅多に聴けないハープのソロに出会えたこと、さらに、ヴァイオリンとハ-プ、ハープとピアノの若手演奏家によるコンサートを、身近で堪能できたことは、記憶に残る時間だった。

  • 写真:2002年7月撮影。

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