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2011年12月21日 (水)

「もちつき」で交流会 (農園記 11-27)

Motituki2 晴れあがった12月の日曜日、園主の計らいで、体験農園メンバーの交流会があった。もちつきをみんなで楽しむ企画。朝はかなり冷え込んでが、11時の開始時間には、陽の温かさが感じられた。

 幼いころ、親戚中が集まって、毎年決まった日(12月30日だった)にもちつきをしていた。当時は兄弟も多く、叔父・伯母、従兄弟らも集まると、大人・こども入り混じって、にぎやかだった。また、暮れも押し詰まると、朝まだ寒い布団の中で、どこかから、もちつきの「きね」の音で目が覚めた記憶もある。

 ひさびさで、餅つきを楽しんだ。

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  ことし3月から始まった体験農園は、年明け1月末で1年間の全講習を終える。メンバーは、いったんすべての作物を掘り起こしたあと、オーナーサイドで、2月中に次年度用に肥料を施したり、土を全体的に作りなおす。3月から新年度の会員で、それぞれの区画を新たに抽選で決める仕組みだ。次年度継続するメンバーも、今年度とは別の区画で、体験することになる。私も、継続するつもりだ。

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 畑は今、冬野菜の収穫期で、12月いっぱいは、忙しい。1月もホウレンソウや大根、白菜・ニンジン、かぶなど、かなりの収穫が見込めて、寒さが厳しいだろうけれど、楽しみが残っている。

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 ところで、園主の家系は、現在25代目だそうだ。一代10年<*>として250年間農業を続けている計算だ。250年前というと江戸時代中期にあたる!(*むかしの1代は、今と違って、寿命も短く、また、兄弟間の承継もあり、短期間での代替わりもあったようだ)。

 市内の古い農地、五日市街道沿いの阿須佐味天神あたりでは、元禄(1688~1703)のころに遡る古い農家もあるという。300年前だ。われわれが楽しんでいる農地は、その後の新田開発のころかららしいと聞いた。代々、農地を受け継いで来た農家の歴史が偲ばれる。

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 冬晴れのもと、つきたての餅をおいしく戴いて、いい冬の一日を過ごさせてもらった。

<撮影日>2011年12月18日。

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2011年12月19日 (月)

元禄忠臣蔵 (国立劇場)

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 12月に入ると忠臣蔵。日経夕刊のコラムiに上演中の「元禄忠臣蔵」がとりあげられていたのを見て、出かけた。歌舞伎は久しぶりだった。(2011年12月15日、国立劇場大劇場)。

  「元禄忠臣蔵」と「仮名手本忠臣蔵」の違いについて、今回初めて、認識した。

 「元禄忠臣蔵」:昭和9年(1934)~昭和16年(1941)にかけて、真山青果という人が書きあげ、上演された新歌舞伎の演目で、第1編 『江戸城の刃傷』から第10編 『大石最後の一日』まで、10篇から成る。初演は第10篇の『大石……』で、最後に第8編『泉岳寺の一日』が上演(第8篇の初演)されたようだ。浅野内匠頭、大石内蔵助はじめ登場人物は、すべて実名である。

 「仮名手本忠臣蔵」:元禄赤穂事件を題材とした人形浄瑠璃および歌舞伎の代表的な演目で、人形浄瑠璃としての初演は寛延元年八月十四日(1748年9月6日)から同年十一月中頃(1749年1月初頭)まで大阪においてで、同年十二月一日(1749年1月19日)には同じく大坂で歌舞伎版が初演された。江戸では翌寛延二年二月六日(1749年3月24日)で初演されている。登場人物は、大石内蔵助が大星由良助義金(おおぼし ゆらのすけ よしかね) 、浅野内匠頭が塩冶判官高貞(えんや はんがん たかさだ)、上野介が高師直(こうの もろのう)などとなっている。

Tyuusinngura3   今回上演されたのは、事件端緒の「江戸城の刃傷」、仇討かお家再興かをめぐる「恩浜御殿綱豊卿」、処刑当日の「大石最後期の日」の、忠臣蔵事件のはじめ・中・終りの3編だった。

 物語の内容は、いずれも、以前見た映画やTVドラマに散り場まれていた逸話にで、記憶のあるものだったが、「元禄忠臣蔵」全体の中での位置づけを確認しながら鑑賞できたことは意義があった。

 各編を通して、音楽と言えば、「大石最後……」で、舞台裏から尺八が2度ほど聞こえてくるだけで、あとは、迫真のセリフのやりとりだった。「御浜御殿……」の綱豊卿(中村吉右衛門)と浪人富森助右衛門)のやりとりは、今宵上野介にまみえることが出来るとはやる助右衛門の対し、浪士たちの仇討を応援しながらも、軽挙をたしなめるのだが、互いに本心を明かさず、激しく応酬する中で、セリフを発する側、それを受ける側の双方に、歌舞伎ならではの舞台の醍醐味があふれていた。Tyuusinngura4

 オペラでは、このあたりは、オーケストラあり、アリアあり、合唱ありで、愛情、嫉妬、うらみ、ねたみ、得意、失意が、次から次へとそのまま観客に届けられる。が、歌舞伎では、そうした直載な心のありようは胸の奥底にしまいこまれ、そのぶん観客は、セリフを注意深く聞き取り、役者の顔だけでなく全身の表情を読みとりながら、くみ取らなければならない。開演12時、終演4時15分、久しぶりの長丁場の歌舞伎観劇で、ぐったりとなってしまった。

 そのうち真山青果の「元禄忠臣蔵」全編(下記)を、読みとおしてみたい。

  • 第1編 『江戸城の刃傷』
  • 第2編 『第二の使者』
  • 第3編 『最後の大評定』
  • 第4編 『伏見撞木町』
  • 第5編 『御浜御殿綱豊卿』
  • 第6編 『南部坂雪の別れ』
  • 第7編 『吉良屋敷裏門』
  • 第8編 『泉岳寺』
  • 第9編 『仙石屋敷』
  • 第10編 『大石最後の一日』
  •  <撮影日>2011年12月15日。

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    2011年12月18日 (日)

    ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」 (一橋大学兼松講堂)

     

    Hitotubasi1112102 一橋大学OBの宮城敬雄氏が指揮する国立シンフォニカーの定期演奏会が、兼松講堂であった。12月の温かい日曜日、イチョウが最後の彩りを見せていた。2011年12月10日。

     当初予定されていたウイーンフィルハーモニーの演奏予定者の来日がキャンセルさせたことで、曲目も、目当てにしていたベートーベンの「ヴァイオリン協奏曲」がラフマニノフに変更された。やや、拍子抜けで、そのためか、空席になったゾーンも見られたが、ラフマニノフの「ピアニ協奏曲ハ短調」は、すばらしく、聴きごたえがあって、救われた。

     プログラムはほかに、ベートーベンの「コラリオン序曲」、ブラームスの「交響曲第2番ニ長調」だった。本欄では、ラフマニノフについて書きとめておきたい。

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      ピアノのケマル・ゲキチ氏はクロアチア生まれで、日本とのつながりも深いようで、今回の、ピンチ・ヒッターに選ばれた。ピアノの技巧は超ド級で楽しめた。ラフマニノフの終わった後のアンコールでも、ピアノの真髄はこれだ!とばかり、縦横無尽の演奏を披露してくれたし、もう一曲の「シンシアのワルツ」も流れるようで、惹きこまれた。

     ピアノ協奏曲第2番について、プログラムでは『神秘的なまでの静けさの極致と感能の世界を現す第1楽章、ラフマニノフの内的世界が光を求めて迷路の如くさまよう苦悩と耽美な第2楽章、そして華麗なテクニックとドラマチックな展開の第3楽章。3つの楽章は聴くもの全てをラフマニノフの独特な世界に惹き入れてしまうほどの名曲といえる』と書いている。ゲキチのピアノのテクニックは、この曲の中で大いに発揮されていた。

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     このコンサートを機に、ラフマニノフの理解が深くなった。演奏会のあと自宅で、協奏曲第3番もCDで聴いたが、なかなかのものだった。

     ラストのアンコール、宮城さんはいつもサービス精神旺盛で、「フィガロの結婚序曲」が見事に決まり、拍手喝采のと「ハンガリー舞曲」で盛り上がった。もう一曲!を目指されたが、どうもコンサートマスターから「準備がありません」と云われたようで、そこで、お開きとなった。”一橋大学身内”のおおらかさか?

    <撮影日>2011年2月10日。肖像写真は当日のプログラムから。

     

     

     

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    2011年12月12日 (月)

    『漱石忌』、『モーツアルト忌』 (多磨12月号)

      俳句雑誌「多磨」12月号に、"『漱石忌』、『モーツアルト忌』"と題する記事を掲載してもらいましたので、紹介します。

      ☀☁☂☃  ☀☁☂☃ Soseki

    『漱石忌』。十二月九日。夏目漱石(1867~1916)の忌日。英国から帰国後、東京帝大で教鞭を執る一方、『ホトトギス』に「吾輩は猫である」を発表し、一躍文壇の寵児となった。俳句は正岡子規に兄事。大正五年「明暗」連載中、宿痾の胃病のため没。四十九歳。(歳時記による)。

     漱石の亡くなった日のことは、夫人夏目鏡子の「漱石の思い出」、息子伸六の「父・夏目漱石」などに詳しく書かれている。

     小学校に通っていた幼い末娘が、臨終間際の父の枕辺に連れて来られ、あまりに面やつれした父の顔を見て悲しくなり、しくしく泣き出した。隣に座った母鏡子が、小声で泣くんじゃないとなだめたら、その声がきこえたとみえて、目をつぶったまま、「いいよいいよ、泣いてもいいよ」と云ったという。
     臨終の床には、鏡子夫人、二男四女の六人の子供たち、寺田寅彦、高浜虚子ほか大勢の弟子、医師や看護婦たちが居合わせた。ひとりの人間の、死の前後の様子の描写としては、この時、文筆を業とする人たちがいっぱいいたこともあって、これ以上はないと思われるほど多くのかつ克明な記録がある。さらに、「死にそうな人も写真に撮ると治る」という風聞があって、子供にせがまれて鏡子が撮影させた、死の直前の漱石の写真まであり、驚く。

        ○

    Mozart モーツアルト(17561791)が亡くなったのが十二月五日。三十五歳。死因については、「リュウマチ熱」、ポークカツレツの豚肉の寄生虫説、さらには毒殺説まである。

     臨終の立ち会いに、妻コンスタンツェの姿はなく、その妹ゾフィーと弟子のジェスマイヤーのふたりだったようだ。が、本当は誰と誰がその場にいたのか、さまざまの説があって、漱石のそれと比べると、あまりに対照的で寂しい。


     
     葬儀についても、漱石が青山斎場から落合火葬場・雑司ヶ谷の墓地まで、大勢の人に見送られたのに比べて、モーツアルトはウイーン郊外の貧しい人々が葬られる共同の墓穴に入れられ、墓石も十字架も建てられなかった。そして、誰も霊柩車に同行することが許されなかったことから、実際に埋葬された場所は不明、今日でもモーツアルトの墓は確認されていないという。

     映画「アマデウス」で、大きな布袋にくるまれた遺体が無造作に墓穴に放り込まれ、先に埋められていた他の遺骸と重なって、白い石灰様の粉がバーッとふりかけられたシーンは、いかに時代や国柄、宗教や身分が違っていたとはいえ、ファンとして受け容れ難い無残な扱いだった。

       ○ 

     さて、まだ先のことと高を括っているが、自分の最期の様子はどんなものだろうか? 大体予想がつくようにも思うし、いや、そうはならない、もっと違うものになるのでは? と打消したり、とりとめなく思いめぐらせつつ、師走の日々が過ぎてゆく。 

     十二月はわが誕生月でもある。

      ☀☁☂☃  ☀☁☂☃ 

    「多磨」

    〒207-0014 東大和市南街6-65-1

    多磨俳句会:発行人 関成美さん   

    編集人 川本薫さん

     Tel 042-562-0478

    *漱石肖像:學燈社{夏目漱石の全小説を読む」から、モーツアルト肖像:手持ちのCDジャケットから。

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    2011年12月11日 (日)

    霜柱の朝 (農園記11-26)

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     パソコンの温度表示がー3度(立川市、12/10、am4:00)になっていた朝の農園、ビッシリの霜柱だった(右)。

     寒さに弱いと聞いていた小松菜、水菜、春菊などが気になっていたが、今朝の段階では、一撃を喰らったというだけだったのか、ダメージはなく、むしろ緑がみずみずしかった。影が私(左)。手前からかぶ、小松菜とホウレンソウ、春菊と水菜、その向こうにキャベツ、ブロッコリー、ネギなどが見える。

    Hakusai_2 白菜を一旦掘り上げて、再度立て直す。紐で楕円の球をくくりつけて、しばらく畑で保存しておくことにした。

     朝の空気は冷たく、身が引き締まる感じだが、まわりはあくまで澄み切って、光がキラキラして、誰もいない畑での作業は、大きな多摩地方全部を、ひとり占めしているようにも感じられ、素晴らしい時間だった。

    <撮影日>2011年12月10日。

     

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    2011年12月 4日 (日)

    師走入り

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     師走に入って、はじめての青空。近くの緑道を歩いた。遅れていたイチョウの黄葉が雨の間に、だいぶ進んでいた。

    Koyo1204 紅葉も最終盤。

     緑道をはさんで、造園業者の植樹林が続いていて、ところどころの紅葉が、冬の陽をあびて、かがやいていた。

    Noen1204 今朝、冬野菜の収穫に出かけた畑では、きのうまでの雨をたっぷり含んで、緑が鮮やかだった。小松菜、ホウレン草がずいぶん成長した。

     今週末には冷え込むとの予報なので、寒さに弱い小松菜、春菊、水菜、キャベツなどは、どんどん収穫してしまわねばと思っている。

    <撮影日>2011,12,4





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