あけましておめでとうございます。ことしも「立川春秋」をよろしくお願い申し上げます。
俳句雑誌「多磨 2012-1 NO.489」jに、ふるさと「近江」と題する記事を載せてもらいました。
文中にもあるように、今なおふるさとから、多くの年賀状を頂いていることもあり、正月にふるさとを思い出すこともたびたびである。そのことも、今回「近江」をとりあげたきっかけだった。
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あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る 額田王
紫草のにほへる妹を憎くあらば
人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 大海人皇子
…『万葉集』の中でも、とりわけ有名なこの相聞歌は、天智七年、天智天皇が近江(滋賀県)の蒲生野で遊猟を行った時に詠まれた。大津に都が遷された翌年のことで、この時、皇太弟(大海人皇子・後の天武天皇)はじめ藤原鎌足ほか多くの群臣も従って、華やかな行事として行われていた。
額田王は、はじめ大海人皇子の愛人で、後に天智天皇の後宮に入った女性。並びいる群臣の面前でのふたりの間にとり交わされた歌は、過去のロマンスが題材になって、拍手喝采を受けたと思われる……
白洲正子著『近江山河抄』の「あかねさす紫野」の中で、歯切れの良い文章で描かれた近江の古代の情景。本書は、逢阪山、大津、比良山、竹生島、沖ノ島、鈴鹿、伊吹山などを、著者自身がくまなく歩き、その中心に琵琶湖が位置する近江を、日本文化発祥の地ととらえて、古代から現代につなげて綴ったエッセイ集である。
実は、蒲生野は、私が生まれ育った地そのものであり、かの相聞歌の舞台も、あのあたりではないかな?と、直感に近い想像が頭に浮かぶ。ある時期、この本をきっかけに、近江で繰り広げられた「壬申の乱」をはじめとする、ふるさとの古代史を夢中になって、読み耽ったことがあった。
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…彦根の駅前の広い商店街通りに入ったときは、すでに夜だった。人通りがなく、それだけに両側の店々のあかりがかえってさびしく、雪の季節でもないのに、北国の街に入ったような清らかさがあった。
やがて彦根城のそばをすぎ、琵琶湖畔に近づき、渚のそばのホテルに入った。ロビイは、湖水の側が大きなガラス戸になっていて、そのまま水のたゆたいが視野いっぱいにひろがって見える。いま過ぎてきた彦根城の丘が岬のようにつき出していて、遠景をなしている。夜の湖水を中景にして、彦根城の天守閣が照明を受けて白々と浮かんでいるのを見たとき、ときめくほどに感動した……
こちらは司馬遼太郎著『街道をゆく 近江散歩』の一節だ。帰省の折、彦根城はもちろん、くだんのホテルも、何度か利用していて、『近江散歩』はまるで自分の実体験のようでもある。司馬ワールドで展がる「近江」では、織田信長と浅井・朝倉連合軍の姉川合戦、関ヶ原での東軍勝利後の、徳川家康による石田三成掃討など、戦国ものの比重が高い。が、「兵どもが夢の跡」は近江の風景に欠かせない。
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今年も、ふるさと近江から年賀状を多く頂いた。東京暮らしが、いつの間にか四十年にもなってしまったが、近江の風景は、私の心の奥深くで息づいている。
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「多磨」
〒207-0014 東大和市南街6-65-1
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編集人 川本薫さん
Tel 042-562-0478
*写真は伊吹山(新幹線車窓から)と彦根城(城内玄宮園から)。いずれも記事とは直接の関係はありません。
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