どんど焼き(立川愛宕神社)
「どんど焼き(左義長)」が、町内の愛宕神社で行われることを、回覧板で初めて知り、門松・鏡飾りなどを、納めて来た。立川に来てまもなく20年近くなるが、まだまだ地域の行事など知らないことがあると、実感したり反省したりだ。
愛宕神社は、同じ町内、2丁目(わが住居は1丁目)のちょっと奥まったところ、私立高校の敷地で両側を挟まれた一角で祀られていた。古くから祀られていた神社の隣地に高校が開かれ、その際、神社をはさんで、学校敷地になったようだ。
大鳥居に、2本の立派な松がかかっており、静かな、身を浄められるような神域だった。
敷地内で見かけた「愛宕神社由来」の碑を読んでみる。
「祭神 火産霊命(ほむすびのみこと) 火伏の神」
八代将軍吉宗の治世、享保七年(一七二二年)全国に新田開発を奨励する高札が江戸日本橋のたもとに建てられた。これを受け、この地に村山郷芋窪村(現在の東大和市芋窪)の村請新田として芋窪新田の開拓が始まり所々方々の者が入植した。
享保八年、草分け入植者(木村助右衛門)は、開拓農民の精神的よりどころとして、また、村を火難から守る願いをこめて、芋くぼむらの豊鹿嶋神社境内に祭祀された愛宕神社の分霊を産土神として勅請祭祀した。
*愛宕神社は京都市の山城・丹波の境にある愛宕山に総本山があり、全国に約900社ある。古くより比叡山と共に信仰を集め、火伏せ・防火に霊験のある神社として知られる。
訪ねたときは、町内からお炊き上げの品々が集められたり、三々五々近隣の人たちが持ち寄っているところで、境内にお神酒や、お餅などを振舞う机なども用意されていた。
立川市は、駅周辺や、旧立川基地跡の昭和記念公園近辺など、街の姿がめざましく変わっているが、一方で、古くからの武蔵野の面影や、農村の伝承行事が残っている。今日のように、ほんの一歩出かけただけで、土地の歴史が知れ、新鮮な思いだった。
ちなみに「どんど焼(左義長)」について、調べてみた(wikipediaによる)。
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。
*撮影日:2012年1月15日。
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コメント
書き込みありがとうございます
稚児相撲、この境内に似合いそうですね。土俵の上の”豆力士”、まわりの土地の観客、行司の張り切りぶりなど、想像すると楽しいです。
親分は粋な法被姿で、貫禄の笑顔で、ご機嫌だった?
投稿: kij | 2012年5月 7日 (月) 05時03分
ここには江戸時代終わりごろ、八軒栄次とも芋久保栄次とも呼ばれる博徒親分がおり、小金井小次郎とも喧嘩出入りをしたと言われています。実は気の良い人だったようで、この神社境内で稚児相撲を催したとの記録が残っています。
投稿: よざえもん | 2012年5月 7日 (月) 00時08分