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2012年2月26日 (日)

「体組成バランス計」(体重+体脂肪率etc)

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 40年ほど使った体重計の塗装面がはがれたこともあり、Panasonicの「体組成バランス計」というのを、新調した。

 「体重」のほか、「体脂肪率」「内臓脂肪レベル」「皮下脂肪率」「基礎代謝量」「BMI」「筋肉レベル」「骨レベル」が、計測され、データ登録も可能で、過去との比較も表示される。

 加えて「体組成年齢」「バランス年齢」というのが表示されて、実際の年齢にくらべることもできるので、3日坊主に終わらないで、がんばってみようという気になる。とりあえず両方の数値とも、実年齢より若くなっている!

 今夜入浴前の数値を自己紹介させていただくと、次のようだった(入浴後に計ると体脂肪などの数値が低くなる)。

  • 体重 63.7
  • 体脂肪率 25.5(高め)
  • 内臓脂肪レベル 11(高め)
  • 皮下脂肪率 21.1(高い)
  • 基礎代謝量 1,305
  • BMI 23.5
  • 筋肉レベル 5
  • 骨レベル 5
  • 体組成年令 68
  • バランス年齢 63

 目下、BMIは低いのだが、体脂肪、内臓脂肪、皮下脂肪が高めで、外見はそれほどでもないけれど、体内がブクブク状態ということらしい。普段、それなりに注意しているつもりだが、食事をもうすこし少なくし、アルコールを控えめにすることが必要と自己診断!。また、ストレッチ・腹筋・スクワットなどを、継続して続けよう。

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2012年2月21日 (火)

保元の乱、平治の乱 「新・平家物語(二)」(吉川英治)

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「新・平家物語(二)」では、保元の乱、平治の乱が繰りひろげられ、”吉川平家”が一気に佳境に入り、興味深くよむことが出来た。

 まずは、カバー裏表紙から概要を見てみる。

『保元の乱前夜、爛れた世の病巣は、意外に深かった。院政という摩訶不思議な機構の上に、閨閥の複雑、堂上家の摂関争いの熾烈、その他もろもろの情勢がからみあって、一時にウミを吹き出す。―一かくて保元の乱は勃発したが、「皇室と皇室が戦い、叔父と甥が戦い、文字通り骨肉相食むの惨を演じた悪夢の一戦」であった。その戦後処理も異常をきわめ、禍根は尾をひいた』。

保元の乱(ほうげんのらん)は、平安時代末期の保元元年(1156年)7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷がが後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変である。保元の乱の敵と味方を整理すると次のようになる。

    <内裏方>           <新院方>   

  • 後白河天皇……(ご兄弟)……崇徳上皇
  • 関白忠通………(兄弟)………左大臣頼長
  • 同………………(父子)………宇治入道忠実
  • 源義義朝………(父子)………源為義
  • 同………………(兄弟)………頼賢、為朝など6人
  • 安芸守清盛……(叔甥)………右馬助忠正

 戦いの結果は<内裏方>の完勝、新院方の崇徳上皇は四国へ遠流、左大臣頼長以下は戦死または以後の苛烈な処断による斬首刑となった。

 つづいて平治の乱(へいじのらん)。平安時代末期の平治元年12月9日(1160年1月19日)、院近臣らの対立により発生した政変で、保元の乱からわずか3年半後のことだ。これも、敵味方を整理してみたい。

   <後白河上皇・二条天皇をめぐる政権正統の争奪戦>

  • 信西(俗名高階通憲・藤原通憲)……藤原信頼
  • 平清盛・重盛とその一族郎党………源義朝とその一族郎党
  • 源頼政

 平治の合戦は、その激しさ、保元の乱の比ではない。3年前のそれは、朝廷と院と、あるいは貴族と貴族との、戦いであった。武家自体は、飼われた門に拠って、心ならずも、父子兄弟や叔父甥も、敵味方に分かれ、源平の両党も、入り混じって対陣した。しかし平治の乱では、源平二氏は、画然と、おのおのの旗の下に対立した。例外は兵庫頭頼政だけにすぎない。また動機も、信頼と一味の若公卿は、口火役に躍っただけで、爆発したものは、源平二系統の軍部と軍部の争覇であった(新・平家物語(三)による)。

<2012年2月21日記>

 

 

 

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2012年2月19日 (日)

ふるさとの風景、太郎坊宮


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  ふるさとの友人から、20cmの積雪だとのこと、その雪景色の中の「太郎坊山」のようすを送ってもらいました。一目見て、やはりなつかしく、太郎坊山そのものの雪化粧はもちろん、前面の雪の田圃や運動場らしき空間、麓の家々の佇まいに、「既視感」ということばで、表わせるような、しかし、実際に見ていた風景として眺めてしまいました。
*「既視感」:はじめて見る場所や光景であるのに、以前 見た経験があるという  思いにとらわれること。(三省堂の国語辞典)

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 「太郎坊」については、2010年11月1日に「ふるさと、蒲生野、昭和29年」の中で、書いています。

  • 村のシンボルは太郎坊山という標高344mの、山そのものを神さまと崇める山だった。麓から500余段(あるいはもっとあったか?)の石段を上がって山上の「太郎坊阿賀神社」本殿にお参りした。太郎坊とは天狗の名前で、京都鞍馬の次郎坊の兄貴にあたると伝えられていた。「元祖はこっちだ」という気概!

  • その展望台からは、村全体はもちろん、蒲生野と呼ばれる豊かな田園風景、そして鈴鹿の山々が眺望でき、まさに、わが原風景だ。ちなみに蒲生野は、”あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る”、”紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも”が歌われたその現場だ。いうまでもなく、額田王と大海人皇子(のちの天武天皇)が万葉集に登場する、あの遠く古代から知られている蒲生野で、わが故郷は、押しも押されぬ歴史の地なのだ。

 太郎坊宮(阿賀神社)は、聖徳太子が瓦屋寺を建立した時、霊験があってその地に造営され、祭神は天照大神の長男であるとも言われ、その名は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひ・あめのあしほみみのみこと)。勝運授福の神とされていた。故郷にいるときは、郷土史など、ほとんど関心なく過ごしていたが、今振り返ってみると、当時、このような事柄も知っていたなら、現に住んでいるふるさとと、もうすこし変わった趣で、対峙していたのではと、思ったりします。

Img996  もうひとつ、太郎坊宮本殿前の夫婦岩は別名、挟み岩ともよばれ、嘘をつくと二つの岩に挟まれるといわれた。こどものころ、ここを通る時、わずかに緊張した記憶がある。

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2012年2月12日 (日)

「新・平家物語(一)」 (吉川英治)

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 NHK-TVの大河ドラマ「平清盛」を、1月も終りになってから(第3回から)見はじめて、かなりスケールの大きいドラマだなとの印象を持った。が、このドラマの時代背景、天皇家・貴族・武士、それらに纏わる男性・女性~~入り乱れての構図がどうだったのか?などなど、複雑重層に組み込まれており、すこし、頭を整理しないとついていけない。

 幸い、書棚の奥に、ずいぶん以前に読んだ吉川英治の「新平家物語」が、全16巻揃っていたのを、読み直すことにした。講談社の”吉川英治歴史時代文庫”No.47~62に収められていて、第1巻の奥付には1989年4月11日第一刷発行とある。4半世紀前だ。

 吉川「新平家」のスタートは、文庫本のさらに30年近くさかのぼり、1950年から1957年まで「週刊朝日」の連載だった。通算すると60年余も前のことになり、当時、週刊誌が今とは比べ物にならないほど、質の高い内容だった時代で、医院の待合室、あるいは図書館だったかで、その挿絵を目にしている。その後、1972年にNHK大河ドラマで仲代達也の清盛の記憶が、断片的だ。自分に置き換えると、「週刊朝日」は中学~高校~大学に至る間、大河ドラマは息子が生まれたころ。

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 『12世紀の初め、藤原政権の退廃は、武門の両統“源平”の台頭をもたらした。しかし、強者は倶に天を戴かず。その争覇興亡が古典平家の世界である。「新・平家物語」も源平抗争の歴史を描くが、単なる現代訳でなく、古典のふくらんだ虚像を正し、従来無視された庶民の相(すがた)にも力点を置く。―百年の人間世界の興亡、流転、愛憎を主題に、七年の歳月を傾けた、著者鏤骨(るこつ)の超大作』

 これは、第1巻の裏表紙の紹介文。ちなみに”鏤骨(るこつ)”を、辞書で引くと“肌に銘じ骨に刻して忘れないようにする。文章を書くときなどに非常に苦心すること。ろうこつ”とあり、吉川英治の代表作と云ってよさそうだ。wikipediaによると”題材は『平家物語』だけでなく、『保元物語』『平治物語』『義経記』『玉葉』など複数の古典をベースにしながら、より一貫した長いスパンで源平両氏や奥州藤原氏、公家などの盛衰を描いた長編作品”とある。

  ~~~ ~~~

 とりあえず第1巻を読み終えた。原作が週刊誌発表だったからか、文章は平易で、大衆小説の範疇であり、読みやすい。ただ、内容の理解には、巻末の『皇室関係略系図』はじめ』、『清和源氏略系図』、、『桓武平氏略系図』、『藤原氏(北家)略系図』をたどりたどりしながら読むことで、どうにか、全体の流れをつかむことができる。そのうえにたつと、大作の底流に流れる歴史上の登場人物たちの生きざまは、実に人間臭く、興味津津、この際ぜひ、全編をものにしたい。

 今後NHKドラマの展開や、「新・平家物語」をの読み進むなかで、ときどき、このblogで、とりあげてみたい。

 

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2012年2月11日 (土)

「のらぼう」受難

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 昨年秋に庭に植えた「のらぼう」は、ほとんどの種が発芽し、先日来の雪の中でも、枯れることなく元気な葉をつけていました。はじめての試みだったので、期待していました。

 ところが、ここ1週間ほど、すこしずつ葉がもがれていくので、気をつけていたら、ごらんのような、モズ?あるいはそれによく似た鳥が、せっせと通ってきているのが、目立つようになりました。追い払うまで、平気で葉を食べています。

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 ほとんどののらぼうが、左のようになってしまい無残な姿。右のように比較的無傷なのが、ごく僅かになってしまいました。ビニールテントでも、しておかないと防げない感じですが、ことしの春は、このままで、食べられたあとの残った茎から新芽が再生してくるのを、期待するしかありません。

 ことのほか寒い冬の元気ものののらぼうですが、鳥たちも生き延びるためには、格好の食べ物と芽をつけたのでしょう。自然の仕方のない回り合わせかもと、観念するしかなさそうです。

<撮影日>2012年2月9日。



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2012年2月 9日 (木)

梅一輪

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 このところまた寒さが戻っていますが、暦の上では立春を過ぎているきょうの昼過ぎ、久しぶりに緑道を歩きました。そこで見つけた梅一輪、冷たい風に耐えながら、健気に開いていました。

   梅一輪一輪ほどの暖かさ

 服部嵐雪の句。梅の花が一輪ずつ咲くにつれて、少しずつ暖かくなるということ。ことしの寒さで、例年に比べると、梅の開花も遅れていますが、春はもうすぐ。

Umeitirinn1_2 別の梅の木もよく見ると、蕾がいっぱいで、あと1週間もすれば、かなりの彩りになるだろうと、思われました。

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 これも緑道の木で、名前は特定できないのですが、一見裸木のようながら、枝々Umeitirinn4_5のさきっちょをよく目を凝らして見てみると、新芽が次々と力強く息づいていました。

 冬来りなば春遠からじ~~寒くて辛い冬のあとには、暖かい春がやってくる。今はたとえ辛く苦しくても、やがて明るく幸せなときはやってくる~~~

 これはイギリスの詩人シェリーの『西風に寄せる歌』の一節。

 まさに春はもうすぐという、緑道散歩でした。

<撮影日>2012年2月9日。

 

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2012年2月 2日 (木)

「体験農園」、二年目へ (多磨 2012-2号)

俳句雑誌「多磨 2012-2号」に、標題の記事を掲載してもらったので、紹介させていただきます。

   ☀☁☂☃  ☀☁☂☃ 

 秋の初めに種を蒔き、順調に育っているホウレンソウ、小松菜、白菜、大根などの冬野菜について、霜の降りる十二月以降の寒さの前に、いろいろ心得ておくべき事がらの講習を受けた。

 大きな葉をつけている里芋を、そのまま放っておくと、ずいきから冬の冷たい雨や水分が、地中のイモたち(親芋を中心に子イモ、孫イモが連なっている塊)に沁み込んで、腐ってしまう。そのため、ずいきを切り取り、地中の塊を一旦掘り上げ、塊ごと天地をひっくり返して、再度地中に埋め込む。そして、表面に土をかけておけば、地表が凍てついても、その塊は、周りに残っている細い根から、静かに養分を吸い込み、生き延びるという。

 ホウレンソウ、小松菜は、秋から冬にかけて少しづつ寒さに慣れ、ゆっくり成長Tama20122し、いずれも寒さに強い。ホウレンソウの葉の様子を見ていると、当初つるりとしていた葉の表面が、次第にすこしざらつくような感触になって肉厚となり、栄養分、甘みとも増していく。ホウレンソウのビタミンCや糖の含量が、気温が低くなるに従って、多くなるというデータもある。

 キャベツと白菜は、成長するに従い、丸く、あるいは楕円の球となって、葉を巻きあげて行く。キャベツは寒さに耐えられないが、白菜は、縦長の大きな球の根っこを四,五センチくらいで切り取り、幾株かまとめて括りつけ、植え直しておけば、一ケ月位は、畑で保存できる。逆に、そのまま放っておくと、養分を吸い過ぎて、せっかくの球が内部からふくらみ圧力がかかり、割れてしまう。

 かぶ、大根、ニンジン、ネギ、ブロッコリーは霜や寒さに強いが、春菊や水菜は枯れていく。そう云えば、凍てつく厳冬寒中の畑で、葉は黄色く枯れていたけれど、逞しく息づいていたかぶや大根、積もった白い雪をかぶりながらも、緑の頭を出していたネギを見たことがある。

 ふだんはスーパーで、時々の季節の目新しさに魅かれ、値札と新鮮さを目安に求め食卓に直行させていた野菜に、実は、さまざまな特性と成り立ちがあることを、あらためて認識させられた。農家の作業は、それらの成り立ちに寄り添いながら、春夏秋冬重ねられているのだ。

 春のジャガイモの植え付けに始まり、梅雨前後の枝豆やインゲン、盛夏のキュウリ、トマト、ナス、初秋の種蒔を経て、晩秋から初冬にかけての冬野菜の収穫と、一年間の農業体験が一巡した。野菜が、土作り、その年々の気候、肥料の施し方、防虫・防菌、人手のかけ方などの総和として、育つことを知り、農業、ひいては、自然や環境を見る目が深まったことは確かだ。

 「体験農園」は、例年三月に始まり、翌年一月で終了、希望すれば、次の年も続けられる。いまはまだ「農業」というものの、とばくちに立ったばかりであり、二年目も続けることに決めている。

  ☀☁☂☃  ☀☁☂☃ 

 「多磨」

〒207-0014 東大和市南街6-65-1

多磨俳句会:発行人 関成美さん   

編集人 川本薫さん

 Tel 042-562-0478

<追記>

 2月5日(日)、農園近くの公民館(今は学習館と名称変更)で、3月からの24年度の農園契約更新と、区画抽選を済ませてきました。園主の説明によると、運営は大筋これまでと変わりませんが、一部に栽培野菜の選択制を導入したり、春・秋の栽培品種の追加など、試みてみたいとのことでした。

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