2009年12月10日 (木)

諏訪大社、御柱祭  長野県諏訪市②

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  • 8月の、台風が過ぎ去った翌朝だった。訪ねたのは下社秋宮で、鬱蒼とした杉の大木の奥に神楽殿(写真上左)があった。巨大なしめ縄が印象的だった。さらにその奥が拝幣殿(写真上右)。

  • 諏訪大社は諏訪市内の4社からなっていって、この下社秋宮のほか、すぐ近くの下社春宮、上社本宮(下の写真2枚)、上社前宮がある。なぜ4社もあるのか?、地元の人に聞くとそのいわれを熱心に教えてくれるのだが、観光程度のわれわれには、なかなか覚えられない……。が、その成り立ちは、すでに古事記や日本書紀に書かれているとのこと。諏訪市の4社をいわば大本山とする、諏訪大社の分社は、沖縄を除く全国46都道府県に5,600に及ぶ。立川諏訪神社もその分社の一つだ。

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  • Suwataishaonnbasira 諏訪大社といえば「御柱祭」が有名だ。右写真の下社秋宮の「一の御柱」は長さ(高さ)5丈6尺(16.6m)もあり、霧ヶ峰の国有林から伐り出された巨大なものである。下社に4本、上社に4本それぞれ社殿の4隅に御柱がそそり立っている。ちなみに、上社の御柱は八ヶ岳から伐り出されるとのこと。

  • 来年は寅年。御柱祭は7年ごと寅(とら)と申(さる)の年に行われている。私が御柱祭を見たのは、平成4年の申の年だった。4月の「木落し」、5月の「里曳きと建て御柱」の2回にわたって、諏訪を訪ねて祭りを楽しんだ。

  • なかでも、「木落とし」は、実に迫力があった。100mに及ぶ急な坂の上に、巨大な御柱の大木が顔をのぞかせる。大木の突端や、胴体に、鉢巻き・法被姿の大勢の男たちがわれがちに群がり、なにか甲高い大声で小1時間近くも気勢を上げた後、御柱の大木と、それに群がった男たちがくんずほぐれつ、急坂を落ちてくる。大木から振り飛ばされるもの、また、よじ登ろうとするものを従えながら、ドドーッという地響きを立てた御柱が落ちてくるのだ。そのすざまじい「木落とし」を、われわれ見物客は、下の狭い谷底の空地で、ぎゅうぎゅうづめで見守っているのだが、ハラハラドキドキの興奮の時間だった。

  • Suwaonnbasira その木落としを観たときのスナップ。表情は遠慮させてもらったが、中央左が私。この写真は、木落としが始まる前のものだったと思う。実は、このあと、木落としが終わり、狭い谷底から見物客が平地に引き返すところで、大混雑になり、一瞬押しつぶされるのではないかと身の危険を感じた数分の時間帯があった。それほど大勢の群衆だった。

  • 諏訪一帯は、年が明けると「御柱祭」一色に染まっていくと思う。今年はどんな祭になるのだろうか。

    撮影:下社(2009年8月11日)、上社(2004年7月)、御柱スナップ(1992年4月)。

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2009年12月 6日 (日)

垂仁天皇陵  奈良④

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  • 唐招提寺の近くを歩いていて、垂仁天皇陵と教えられた古墳に出会った。「垂仁天皇」を調べてみると、初代の神武天皇から数えて11代目。特別の目あてもない道すがら、いきなり2000年も前?の遺跡に出会うのは、さすが奈良だと、不思議な思いになる。東京住まいが長くなった自分にとっては、せいぜい徳川400年をさかのぼればよいのが日常の歴史空間であり、それと比べると、こちらは桁違いに感じられ、驚いてしまう。

  • 少し前になるが参加した「市民歴史講座」で、歴史学者直木孝次郎氏が整理された Tennnonennpyo_2皇統に関する資料を配られた。それによると、「神武」から、15代目の「神功」までは、実在を確かめることはできず、「応神」から26代目の「武烈」になってようやく、様々な研究で実在が(少し)確かめられる存在だという。その時の一覧表、クリックして拡大してみてください。

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  • 垂仁天皇の実在が確かめられないとすると、この陵廟には、いったい誰が眠っているのだろう。近寄って看板を観ると宮内庁が管理し、管理小屋には管理人もおられるようだった(巡回の管理人さんと聞いた。近くに、まだほかにも天皇陵があるということか?)。

  • 5年前に、樫原神宮の近くの、神武天皇陵(写真右)を訪ねたことがある。堂々とした構えで、管理もさらに、厳重だったと思う。その時も現場に立って、我が国の歴史の出発点と、神妙な思いに駆られた一方で、ここは一体何なんだろう?という感がしたことがあった………。

  • きょうは、これ以上のことはわからない。いずれ機会があれば、また奈良に出かけたり、歴史をいろいろかじってみることにしたい。

  • 撮影:2009年11月14日。神武陵は2004年3月撮影。なお、冒頭左の写真は、露出に失敗したのであえてモノクロで紹介した。

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2009年11月29日 (日)

唐招提寺 奈良③

  • Toushoudaijikonndo_2 唐招提寺を参拝した日は、穏やかな秋の日のお昼前、この日繰り出しているはずの観光客もまだそれほど見えていない時間だった。2009年11月14日。

  • 唐招提寺は今年創建1250年。鑑真和上ゆかりの天平の香りを色濃く伝える金堂(国宝)が、2,000年以来の修復工事の末、この11月1日に姿を現していた。堂を全面解体し、更地に戻すほどの大規模修理で、傾いていた柱や、それに引きずられるように、ゆがんでいた構造部材を一つ一つ矯正し組みあげた大工事だったという。この日は、ゆうべから未明にかけての激しい雨があがって、その清浄な空気の中の金堂はどっしりとした構え、青空に映える二つの「天平の甍」が、まぶしかった。

  • 境内に会津八一の歌碑「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思へ」があった。金堂のギリシャ神殿を凌ぐような大円柱を詠ったものだろう。

  • お堂に上がり御本尊を拝む。本尊の蘆舎那仏坐像(国宝)など9体の仏像も修復、千手観音立像(国宝)は943本の脇手を外して組み直されたという。蘆舎那仏坐像、千手観音立像とも圧倒的な存在感、お身体全体みずみずしく変身、金堂の修復完成とともに、本来の収まるべきところに収まられて、われわれ参拝客を迎えて下さった。

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  • 境内はゆったりとして、鐘楼、講堂など歴史を刻んだ建物が並ぶ。鐘楼に懸かる梵鐘は平安期のもの、講堂は鑑真和上の創立に際して特に宮廷から平城宮の東朝集殿を賜って移築したもので、当時の宮殿の片鱗をうかがえるという。境内の奥のほう御影堂や地蔵堂が続く小径の紅葉が美しかった。

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  • 鑑真和上の寿像(国宝)は御影堂に安置されていて、毎年6月6日の開山忌の前後1週間開扉される。「若葉しておん目の雫拭はばや」と芭蕉が詠んだかの有名な坐像、私はもう何年か前になるが、上野の国立博物館に来られた時に、運よくお像の至近距離直前で、(かなりの時間立ち止まれて)拝顔したことを、鮮明に覚えている。754年(天平勝宝6年)中国から日本に到着するまで12年間、前後5回に及ぶ難航海に失敗したにも拘らず、初志を曲げず、奈良の都に着いたときは両眼を失明していた。我が国仏教史のみならず、ひろく天平文化に大きな影響を及ぼした和上の欣然とした姿、威厳とすごみに押しつぶされそうに感じたものだった。この上野のとき、同時に東山魁夷画伯の障壁画「山雲」「濤声」も観賞したと記憶する。

  • その鑑真和上の御廟があった(左上)。没後1,200年間にわたって墓所そのものがこのような形でお参りされてきた例は、同時代の高僧多しといえども、鑑真和上のお廟だけらしい。

  • 戒壇(右上)。石造三段のいちばん上には、最近奉安されたというインド・サンチーの古塔を模した宝塔が輝いていた。授戒場とのこと。

  • 境内の記憶をあと2枚残しておきたい。1枚は大きく伸びていたつわぶき。これまで見たつわぶきでは一番元気に思えた。もう一枚は苔の緑。静寂そのものだった。

  • 写真撮影:2009年11月14日。

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2009年11月20日 (金)

大極殿の復元(平城京跡) 奈良②

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  • 来年2010年は平城遷都から1300年になるとのこと。「平城遷都1300年祭」の中心となる大極殿の復元が、2001年の着工以来大詰めとなり、11月になってこれまでの覆いが取払われ、その姿を現し、現場に行ってみた。2009年11月14日の夕刻だった。

  • 5年前の小雪まじりの3月初め、ここを訪ねたときには、朱雀門だけの荒涼とした平地が広がっていただけだったが、今や、朱雀門のむこうに、大極殿が遠望され、立体的な古代空間に変貌しはじめていた。一帯の敷地は130ヘクタール、小型飛行場が作れるほどの広さだけに、たまたま日が落ち始めた時間だったこともあり、その眺めによって、一気にいにしえの古代都市に身を置くような感じを持った。古代幻視……。

  • Daigokudennmap 「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」。万葉集で歌われた平城京も、平安京遷都で宮殿や中央官庁が一斉に転出した後は長く廃れていたが、新たに大極殿が加わったことで、往時をしのぶ形が整った。

  • すぐ近くまで行き、巨大な建築物だということが実感する(写真をクリックすると拡大します)。

  • 東西約53m、南北約29m、高さは約29m。「実は建物がどんな姿だったのか、詳細にはわからない」。大極殿は建物の設計図はおろか、絵画に描かれたものも残っていない。あるのは基壇と柱を受け支えた礎石の数だけ。このため、その寸法から推し量れる柱の大きさ、耐えられる荷重などの要素を考慮し、建物の大きさと形状を割り出したという。「現代の科学技術でなし得る調査研究のエッセンスを集約した建築だ」……日本経済新聞2009年11月15日記事による。

  • 同じ日経紙の記事の中で、奈良県立図書情報館長の平田稔さんという方が、平城遷都1300年にあたって、現代人が考えるべきこととして、次のようなことを言っていた。

  • 『明治以降、日本の文化は欧米を志向し、東京に集中している。だが日本の国や日本人の心の原点は奈良にある。京都を、日本文化の発祥の地>とする声もあるが、その前に奈良があったことは無視されがち。大阪も元は平城京の外港である<難波津>だった。奈良あっての京都、大阪。そして東京ということを再認識すべきだ。関西の地盤沈下も、奈良で形成された日本古来の独自性に気付かず、欧米や東京に目を向けたことが一因ではないか。日本人全員が精神的に奈良に回帰し、奈良に”巡礼”しDaigokudenn3てほしい』……

  • 秋の短い日が落ちかけるころ、大極殿は、すぐ間近で、私に迫っていた。幸い私には、奈良に昔からの友人H君がいてくれて、奈良を訪れるたび案内してもらっている。今回も一緒に奈良の歴史スポットを、彼の話を聞きながら訪ねることができたが、次回以降、あといくつか奈良の記事を書いてみたい。

  • 撮影日:2009年11月14日。

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2009年11月 9日 (月)

東光寺の紅葉(滋賀県東近江市)

  • Toukouji11 各地の紅葉が北海道・東北から関東へ、そして、こちら多摩地方にも降りてきました。

  • きょうは、4年前に訪ねた滋賀県東近江市の東光寺という浄土宗の名刹の紅葉を、紹介したいと思います。

  • 訪ねたのは、秋も終わりの11月の終わり頃でした。このあたりは、湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)が有名で、最近では旅行会社のツアーコースに組み込まれ、賑わってますが、こちら東光寺は、その混雑とは別世界で、静かなたたずまいでした。

  • Toukouji19 当時、スライドショーにしていました。

  • ⇒⇒こちら をクリックしてみてください。(画面中央下のスライドショーボタンから。BGMが気になる方は、音量を小さくしてからご覧ください)。

  • 東光寺(とうこうじ)
    山の中腹にあり、浄土宗の中心としてしられる。

    ●〒527-0153 東近江市平尾718
    TEL 0749-46-1335

  • 撮影:2005,11,28

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2009年11月 6日 (金)

京都の紅葉

  • Kyouto20 この時期になると、古都京都の紅葉が気になります。行ってみたいなと、ホテルを探し始めるのですが、どこももうとっくに満室。さすが京都。

  • とりあえず、数年前の京都の写真を取り出して、素晴らしかった紅や黄色のあざやかな色彩を思い出してみることにします。

  • 幸いよく晴れた11月の終わりごろの週末でした。昼前に京都駅に着き、金閣寺、真如堂、曼殊院(写真上)、南禅寺、夜には、ライトアップされた大日堂、永観堂などを回りました。日中、夕方、そして夜の帳が降りてからと、時間の違いはありましたが、どの門をくぐっても、紅葉、紅葉、ただ紅葉の空間に、身を置くことになりました。

  • Kyouto40_2 翌日は土曜日だったので、混雑が予想される嵐山を避けて、洛西の粟生光明寺(写真下)、鈴虫寺などを訪ねました。きらきらした朝の光、やわらかな午前中の太陽の中の紅葉が、繰り出した観光客の弾んだ顔を、紅く染めていました。

  • 学生時代まで住んでいた関西から、東京に越して40年あまり経つけれど、京都の紅葉の紅さは、関東では見られない、「真剣な紅さ」とでも表現したい色あいです。盆地特有の朝晩のきつい冷え込み、京都独特のしぐれ模様など、詳しくはわかりませんが、だだっぴろい関東平野とは異質の自然のせいだろうと思います。その真剣な紅さが織りなす錦が、古都の寺院や仏閣の佇まいと重なって、強い記憶となって残ります。

  • この時も,写真をスライドショーにしていますので、あらためて、紹介します。

  • ⇒⇒こちら (BGMが気になる方は、音量を小さくしてご覧ください)。
  • 下記をクリックすると、それぞれのblog記事があります。あわせてご覧ください。

    金閣寺曼殊院門跡(京都一乗寺)真如堂(京都岡崎)

    南禅寺(京都岡崎)東山将軍塚の大日堂、 永観堂(京都岡崎)

    京都御所、 粟生光明寺(京都西山)、 鈴虫の寺(京都西山)

    渉成園(京都七条)赤山禅院(京都市左京区)南禅寺(京都岡崎)

  • 撮影2005年11月25日、26日。

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2009年10月22日 (木)

日本海の夕日

  • 091020_165423_2 新潟の友人が、寺泊(新潟県長岡市)の夕日の写真(携帯)を送ってくれました。

  • 『午後から弥彦という山の麓の日帰り温泉に行ってきました。紅葉には少し早かったのですが、久々にじょんのびしてきました。(ゆっくりとかのびのびという意味)。帰りに回り道して、寺泊の海を見て帰ってきました。 久々に日本海は荒れて、防波堤に波しぶきが高く上がっていました。荒海に沈む太陽が、とてもきれいでした。携帯で撮ったんですが、感じは出ていると思います。』(2009,10、20,16:23の撮影)

  • 私は、これまで日本海にはあまり縁がなく、寺泊から見えるであろう佐渡ケ島も、島影を見たことがありません。5年ほど前、出雲崎まで行ったことはあるのですが、そのときあいにく荒天で海はただただ灰色でした。松尾芭蕉の「奥の細道」講読会で、有名な「荒海や佐渡に横たふ天の川」の句を勉強した時も、実景の印象がなく、想像するしかありませんでした。

  • そんなわけで、友人の夕日の写真を新鮮に感じました。………その連想で、4年前に新潟かDewa32 らもう一段北の、山形県湯の浜温泉海岸に出かけたとき、たまたま見ることのできた夕日を、思い出しました。

  • やはり芭蕉の「奥の細道」をたどる旅で、東京から新庄まで新幹線、そこから最上川~羽黒山~鶴岡~湯の浜温泉とドライブしたのですが、湯の浜海岸に着いた夕方5時ごろ、写真のような真っ赤な夕日に出会ったのです!!。

  • その時の様子をスライドショーにしていましたので、ご紹介します。

    ⇒⇒こちら

  • スライドショーのなかで「トリカブト」の記事がありますが、友人の指摘によるとどうも「シラネアオイ」の間違いのようでした。

    『トリカブトの写真、我が家にあるシラネアオイとそっくりです?6年前の年4月、つれあいの納骨をした日、小さな鉢に6~7輪の花を咲かせて、見送ってくれました………』。

  •  スライドショー作成日:2005,10,10

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2009年9月30日 (水)

横浜散歩④完 港の見える丘公園、外国人墓地、元町

  • Yokohamalast1 9月の最後の記事は、横浜散歩④.これもきょうでラストになります。

  • 港の見える丘公園に入ってみると、思ったほど広くはなく、また、そこから見える港も、マンションなどの建物越しで、ベイブリッジが間近に見える程度でした。

  • 聞くところによると夜景は横浜では屈指の美しさらしく、日本三大夜景と呼ばれる函館・神戸・長崎の山より標高がずっと低く、見渡せる景色の範囲は限られてしまうが、その分港を間近で見ることができるという。想像するしかありません。

  • Yokohamalast2 少し歩いて、外国人墓地。門は閉ざされていましたが、ちょっと背伸びして、撮ってみました。19世紀から20世紀半ばにかけての40余国、4400人余りの外国人が葬られているとありました。いま、誰がお墓の御守をし、どんなゆかりの人たちが、お墓参りをしているのだろうか?、ここに眠る人たちの霊が、地下でどうしているんだろうなどの思いが、頭をかすめました。お墓はあくまで静かでした。

Yokohamamap Yokohamalast4                                                      

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  • 「横浜山手」とよばれるこのあたりを歩いていると、フランス橋、アメリカ山などの港町らしい地名などが多い。右上のイギリス館もその一つで、ペリー来航のころから重要な役割を果たしたイギリス外交団以来、居留地防衛のための軍隊が駐屯したイギリスにもゆかりが深いこの地に、昭和12年に英国総領事公邸として建てられたものということでした。界隈の庭には、バラ園が多く、開花の季節は、素晴らしいと思われます。

  • Yokohamalast3 外国人墓地から坂道を下りると視界が開け、自然にアメリカ山と表示のある明るい公園に出ます。そこを通り抜け、公園の一角にあるエレベーターホールから下りると、あっという間に地下鉄元町中華街の駅に出ました。なんでも外国人墓地の北側の斜面と地下鉄の駅舎上部とを一体的に整備し、全国初の立体都市公園として横浜市が開港150周年となる今年2009年(平成21年)8月に一部開園したとあるので、新顔ほやほやのスポットというわけ。

  • 元町は大勢の人出でやいへんなにぎわいでした。9月の5連休の初日、まだ11時前でしたが、年末の上野アメ横商店街を彷彿とさせるようなにぎやかさ。「スリにご用心」の立て看板があちこちにあり、あわてて身辺を引き締め、おのぼりさんよろしく商店街を歩いた後、地下鉄経由で、渋谷に向かいました。

  • 今回の横浜散歩の記事は、これでおしまいです。お読みいただきありがとうございました。撮影日2009年9月19日。

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2009年9月26日 (土)

横浜散歩② 山下公園

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  • 山下公園を歩くのははじめてだった。港の風が心地よく、さっき歩いた大さん橋に停泊していた飛鳥Ⅱとその左の大さん橋ふ頭ビルが、のどかに眺められ、周りのいくつかの船と比べて、飛鳥Ⅱの大きさがいっそう際立って見えた(2009年9月19日)。

  • 氷川丸の近くには、東南アジアからと思われる観光の人たちが、アキハバラ?で買ったばかりのデジタルカメラを覗き込んでスナップ撮りに夢中の様子。ほほえましく、国際都市ヨコハマの雰囲気がいっぱいだった。

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  • 公園には、港町横浜らしいいわれのあるものが、いくつかあった。ひとつは誰でも知っている「赤い靴をはいてた女の子」、公園の真ん中あたり、港を真正面に、そしてそのむこうの太平洋・アメリカが見えるスポットにちょこんと座っていた。

  • 「赤い靴」の話……明治のころ、未婚の母の娘として生まれた女の子が3歳の時、父母が北海道に入植する。そのとき女の子は、外人宣教師夫婦に養育を託されるのだが、この宣教師夫婦が本国に帰る際、女の子は結核に冒されていて、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま教会孤児院に預けられてしまう。そして母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。母親は、女の子は宣教師夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、娘が孤児院で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした……。子どものころ、この悲しい話は、知らないで、よく歌ったものだ。昭和20年代の初めのことになる。

  • もうひとつは「インド水塔」……調べてみると、『関東大震災で被災した在浜インド人に対する横浜市民からの援助に感謝してインド商組合から昭和14年に寄贈されたインド式水飲場。現在は衛生上の問題からモニュメントとして保存されている。市内の近代建築のうちインドに関する唯一の遺構。イスラム教の寺院、モスクの中庭にある泉亭を思わせる珍しいスタイル、装飾細部はインド風、イスラム風、日本風など様々な要素が組み合わされている。横浜市認定歴史的建造物』……とある。なにげなく通り過ぎているが、こうして歴史を眺めてみると、なるほどな、と感じるものだ。

  • Yamasitamarinntawa 最後にマリンタワー。2009年春リニューアルオープンと聞いていたが、まだ、営業休止中らしく、周りは閑散としていた。工事が進んでいる様子もなかった。人の気配のない建物は、うらぶれて見えるし、不況の時節柄、ものかげに誰か隠れていそうな感じまであるので、一日も早い再開が待たれます。

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2009年9月20日 (日)

横浜散歩① 横浜港大桟橋、神奈川県庁本庁舎

  • Yokohamamirai 秋の連休初日、横浜を散歩しました。うす曇りでしたが風が心地よく、初秋の気分を満喫しました。きょうから数回に分けて、書いてみます。

  • 歩行者用によく整備されている標識を頼りに、関内から神奈川県庁前を通り、10分ほどで大桟橋に出ました。みなとみらいエリアの見慣れたランドマークタワーや、パシフィコ横浜などが、一望できました。

  • 横浜港は、安政6年6月2日(1859年7月1日)、その前年に締結された日米修好条約(安政五ヶ国条約)に基づいて開港されて以来、今年で150年、現在入港船舶数は全国1位、海上出入貨物量は全国2位、外国貿易額は全国3位と、我が国を代表する港だと、資料で知りました。

Yokohamaasuka1 Yokohamaasuka2                                              

  • 白い巨大な船が見えました。横浜に疎い私は「氷川丸かな?」と近寄って行きました。見当違いもいいところで、全長・全幅/241m・29.6m を誇る豪華客船「飛鳥Ⅱ」でした。ちょうど下船が始まった所で、「下船の準備が整いました」の船内アナウンスが聞こえてきました。乗客数/800名、 乗組員数/約470名、 客室数/436室(全室海側)とあるので、下船にどのくらいの時間がかかるのだろう。写真でズラリと並んだ観光バスとの対比で、その大きさが実感できると思います。写真をクリックしてみてください。

  • Yokohamabeiburijji 振り向くと横浜ベイブリッジ。1989年(平成元年)に開通した長さ860m(中央支間長460m、塔高172m)の吊り橋。東京港方面と横浜港を結んでいるのですが、ごく近くにあるはずなのに、曇り空で海も空もうすぼんやりしていたのと、自身も残念ながら白内障気味の眼を通してなので、その美しい姿が、半減しておりました。

  • 比べてもあまり意味がないかもしれないが、平成5年に芝浦とお台場を結ぶ吊り橋として開通したレインボーブリッジは、長さ798m、最大支間長570m、塔高126mとある。よく似た規模の橋のようです。

  • Yokohamakenncho 大桟橋の手前で、ずいぶんレトロな建物だなと近寄ってみたら、神奈川県庁とあったので、実は驚きました。休日で人影は少なく、正門通用門などが閉じられていたので、てっきり現役を退いた「●●博物館」くらいと思ったのですが、立派な現役の庁舎とのこと。

  • 関東大震災で焼失した旧県庁舎の再建にあたり、公募で当選した案をもとに、神奈川県内務部により設計され、昭和初期に流行した帝冠様式が取り入れられているとあります。1928年に完成し、塔屋は横浜三塔の「キングの塔」として親しまれているというから、恐れ入りました。ちなみに横浜三塔とは、キングの塔(神奈川県庁本庁舎)・クイーンの塔(横浜税関)・ジャックの塔(横浜快高記念会館)で、地元では、横浜港のシンボルとして親しまれているとのことで、またの機会にゆっくり歩いてみたいと思います。

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