2008年9月21日 (日)

「切羽へ」(井上荒野、新潮社)

Kirihahe  直木賞受賞作(平成20年度上半期)だと知って読んでみた。かねて、井上荒野(あれの)という、ちょっと変わった作者の名前は、聞いていたが、読むのは初めて。

 何年か前、八丈島へ行ったことがある。YS11に乗って、羽田から1時間ほど、東京から遠いようでもあり、近いようでもあった。この小説は、もう少し東京に近い伊豆大島のどこかあたりが舞台と想像した。その島の3月から、翌年4月までの物語だ。

 寅さん映画で、栗原小巻がマドンナだった「柴又より愛をこめて(1960年・弟36作)」の舞台は、たしか式根島だったので、あのあたりかなと思う。そういえば、あの時の栗原小巻も、島の学校の先生だった。

 <BOOKデータベース>………静かな島で、夫と穏やかで幸福な日々を送るセイの前に、ある日、一人の男が現れる。夫を深く愛していながら、どうしようもなく惹かれてゆくセイ。やがて二人は、これ以上は進めない場所へと向かってゆく。「切羽」とはそれ以上先へは進めない場所。宿命の出会いに揺れる女と男を、緻密な筆に描ききった哀感あふれる恋愛小説……。

  作者は1961年生まれ。この小説の主人公はもう一世代若いくらいで、私のこどもの世代にあたる。この世代の夫婦(漁師の息子である画家と、医者の娘である小学校の養護教諭)の間柄は、このような淡々としたものか? 互いに、女と男、個人と個人という立場をわかりきっていて、尊重しあいながらも、どこかに、なにかを打ち明けないわだかまりを秘めている。一心同体でなく、異心同体。同体はしっかり。だけど、その互いの心には距離があり、わかっているが、踏み込むことをしない。

 主人公セイの心を占めるようになった「一人の男」も、セイに惹かれているのだけれど、たがいに、何を打ち明けるでもなく、半端な会話やしぐさを交わしあうだけ。こう書くと、ありふれた、すれ違い恋愛小説のようだけれど、さすが、直木賞、セイと夫、石和(一人の男)、同僚教師の月江、月江の愛人本土さんなどなど、登場人物の心もよう、生活の息吹きが、島ののどかな風景とともに、無理なく伝わってきた。

 主人公がなにくれと世話を焼いていて、かなり訳ありげな人生経験の持ち主である90歳近いKirihashohyo_2 しずかおばあさん、職場である学校で、ちょくちょく保健室に駆け込む子供たちなど、まわりの人たちも、無理なく絡んできて、小説の厚みも十分だった。

 1年後の4月、小説の最後で、セイ夫婦は、結婚以来??年ぶりかで、子宝に恵まれる。これから先、夫婦というやや乾いた大人のつながりから、生まれてくる子供を中心にした、並みの生活者としての父と母にになるのだろうと、少し冷めた気分になると同時に、それこそが、重みのある現実なんだと、思い直した。

 文芸春秋8月号に書評が出ていたので、紹介しておきたい。クリックしてみてください。

「☆☆☆☆☆」マークで表すと、「☆☆☆☆」。

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2008年9月12日 (金)

「家族の昭和」(関川夏生、新潮社)

Kazokunoshouwa  この本は家族をめぐって、戦前、戦後、そして昭和の末の3つの時期を、小説、映画、テレビ台本を素材に、その時々の事件(もちろん戦争も…)や時代相とともに描いている。我々世代のだれもが実体験してきた家族の全盛期・下降期、そしてやがて来るであろう落日期の哀感を思いながら、自分が過ごしてきた昭和という時代をふりかえる格好の読み物だった。

 素材になっているのは、向田邦子「父の詫び状」「あ・うん」、幸田文「流れる」「おとうと」、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」、戦後になって小津安二郎の「秋刀魚の味」「東京物語」、昭和末期は鎌田敏夫のテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」「男女7人夏物語」などだった。それぞれ一度は読んだり、見たりしたものであり、いずれも、文章として、また、映像として、今でも、記憶に深く残って(金妻、男女7人は淡い記憶)いて、身近な昭和史と、受け止められた。

 向田ものでは、昭和戦前、暗い時代で、父の権力が存在したが、それとても、苦労人でわがままな父親を家族全員で支えよう、父親を心おきなくいばらせようと努力する家族の物語だった。家族の心のふれあい、温かさがしっかりあった。

 幸田文は、言うまでもなく幸田露伴という厳父、娘にとっては「英雄」とも慕う父親が、娘に言葉と身体で家事を仕込み、その薫陶を受けた娘(文)が、自分の家族(『おとうと』)や、自らが一時女中奉公に出た芸者置屋(『流れる』)で、存在感を発揮する物語で、こちらも、今日平成における、個人中心・個人バラバラの家族では、とっくに形骸化した助け合いや思いやりの心が、浮き出ていた。

 それが、戦後の高度成長を経て、やがてバブルに向っている頃の「金妻」「男女7人」あたりになると、いささか怪しい家族物語となって、友情亀裂・浮気・自分探し・自己主張の人模様が展開される。テレビドラマの登場人物は、古谷一行、坂東英二、奥田瑛二、女優陣では小川智子、森山良子、篠ひろ子あたりになり、私よりひと世代若く、およそ、昭和23年頃の生まれであろう。

 この頃の私は、ご他聞にもれず会社人間で、毎晩深夜帰宅、頭の中は、ほぼ利益・効率一辺倒で、わが社宅の妻たちが見ていたであろうこれらのドラマとは、縁の薄い存在で、記憶もはなはだあやしい。人気ドラマだったとは思うが、主役ぼ影はおぼつかなく、家族離反の走りのころであっったろう。昭和の末期のその頃(60年代)は、日本にとっても家族にとっても不毛の時代ではなかったか?

 最終章に出てくる、小津安二郎の「東京物語」。これは高度成長前期の昭和28年の映画。尾道から旅立った両親(笠智衆と東山千栄子)だったが、東京の娘や息子の家の居心地が落ち着Toukyomonogatari_2 かず、旧友(東野英治郎)を訪ねるが、その旧友宅も下宿人に占められていて居場所がない、やむなく、もう一人の友人(十朱幸男)と、3人で飲み屋へ行く。そこでの共通の話題は、「それぞれの息子が、子供時代に見込んだほどにはならなかった」という失望、繰り言、現実実感だったが、これには、自分の今も含めて、ほろにがく共感を覚えるのだった。(写真は、先週放映されたNHK-ハイビジョン映像から)。

 最近年の国勢調査では「一人暮らし世帯」が、全世帯の3割を占めるという。まさに、家族の「落日期」で、否応なく、それへの心構えもしなくてはならない。

<追記>

 本書で取り上げられていた吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を、本棚の奥から取り出して再読した。それについては、稿を改めて書いてみたい。

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2008年8月19日 (火)

時が滲む朝(楊逸、文芸春秋2008年9月号)

Tokigasizumuasa はじめて日本語を母語としない外国人作家が芥川賞を受賞したと話題になった「時が滲む朝」を、文芸春秋8月号で読んだ。

 作者は1987年に来日したというから20年ほど前だが、それにしても、私の1/3にも満たない時間しかたっていないのに、これだけの日本語を操り、日中両国の情報を組み込んで、小説に仕上げる才能(努力?)に、素直に驚いた。

 8月号の選評をみると、受賞の選考委員会では意見が大きく分かれたようで、高樹のぶ子、池澤夏樹、川上弘美、黒井千次、小川洋子各氏らが肯定的なのに対し、石原慎太郎、村上龍、宮本輝氏らは、はっきりと否定的な意見を述べている。

 たしかに、読んでいて、文化大革命や天安門事件、香港返還などの中国現代史が走馬灯のように書き込まれていたり、登場する中国の青年たちやその家族の生活に根ざした息づかいが伝わってきたり、その中で、日本の昭和30年から40年代の世相を思い出させてくれたりと、大いにひきこまれる部分がある一方で、主題となっている二人の青年の革命志向とその挫折、彼らとひとりの少女をめぐる恋のあれこれとその結末などは、薄っぺらな感じがした。興味深々読み進んだ時間と、なんだか読者が軽くあしらわれているような、裏切られたような時間が交錯した。「時が滲む朝」という題名も、わかったようでわからない。

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  ……… …………

 今北京は連日オリンピックで大いに盛り上がっている。写真は2002年の夏、私が北京に行ったときのものだが、天安門広場も様変わりのにぎわいになっていることだろう。あのとき、垣間見た茫漠とした熱気、広い中国大陸から集まった人々の身なり・顔形・早口の言葉づかいなどに見られた混沌の様子を、この小説を読んで、また、実感した。

民主化を熱心に語っているかと思えば、そのことで集まった仲間を商売のタネに利用したり、友情や信義に厚いかと思えば、舌の乾かないうちに裏切っていたり、我愛中国と熱烈に叫んでいるかと思えば、日本人とは比べようもなく家族の絆を大切にしていたり、今更ながら、中国の人たちの強さ、したたかさ、しなやかさも感じた。

 作者は受賞者インタビューの中で、「日本人はみな真面目で、なんでも重く受け止めすぎますね。もっと楽観的で、無神経にならないと、生きていくのが難しいところもあるんじゃないでしょうか」と語っている。

 オリンピックが終わると、次は上海万博と、隣の大国は当分間違いなく、その影響力を増していく。そのさき、さらにどのような国になっていくのか、全くわからないが、隣の、この巨大な国の人たちと、あらためて腰を据えて対峙していかねばと、感じた次第。その意味で、作者が引き続き、日中のよき相互理解のために、続編的な作品を発表されるのを期待したい。

<追記>

 芥川賞に関しては、2007年2月に、「ひとり日和」(青山七恵)を記事にしたことがあります。「時が滲む…」とは、まったく別の世界の日本の若者の姿が、書かれていました。

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2008年8月14日 (木)

心にナイフをしのばせて(奥野修司、文藝春秋刊)

Kokoroninifesinobasete_2  少年法第60条では、「少年のとき犯した罪により刑に処せられてその執行を受け終り、又は執行の免除を受けた者は、人の資格に関する法令の適用については、将来に向かって刑の言渡しを受けなかったものとみなす」 と定められている。

 この本は30年前、高校1年生の息子を、同級生に無残に殺害された父と母、そしてその妹が、その精神的苦痛を、時の経過によっても消えることなく負い続け、苦悩する姿を、克明に描いていた。

 家族を(もちろん被害者本人もだが)襲った理不尽な事件は、残された個人それぞれに強い衝撃となっただけでなく、、3人の間でその息子(兄)に起こった忌まわしい事件をおたがいに触れないように気遣うこととなる。そしていつしか互いが本心を開かさない関係に追いやられてしまって、犯罪被害者達のその後の人生に大きな傷跡を残し続け、あるときは家庭崩壊寸前まで追い込んでしまう。読者の目には、「肉親の死とはいっても、ほんとうにこんなにも長く深刻に、悩まされ続けるのだろうか」と疑いたくなってしまうような時間が、費やされていく。

 最終章近くになって、30年前の加害者が、その後「更生」して、今ではある地方都市で、弁護士として活動しているという、衝撃的な事実が伝えられる。それは、冒頭で引用した少年法では、合法の経過なのだが、事件後、加害者の両親が支払うと約束した慰謝料支払いが、不履行のまま放置されていたり、加害者としての謝罪が皆無だったりと、いわゆる犯罪被害者の立場は、「これほどまでにか?」と思うほど、放置されている姿が、浮き彫りにされる………。 

 1997年春に神戸で連続して起きた「酒鬼薔薇」事件が、本書執筆のきっかけとのことだが、最近の秋葉原や八王子での「誰でもよかった通り魔事件」を引き合いに出すまでもなく、毎朝、新聞を開けるのが怖いほど、類似の事件が続いている。

 そのたびに本書のような悲惨な被害者が、次々と生まれていることに心が痛むし、それが、少年事件であれば、なおさら、被害者感情のたたでさえ無残な傷跡に、なお残酷なほど塩を上塗りしている少年法の課題が覆いかぶさり、やりきれなさが募る読後感となった。

 ちなみに「心にナイフをしのばせて」とは、この本のインタビューの主体となった被害少年の妹が、「いつか必ず加害者に会ってみたい」と、そのときのために、心の奥底にしのばせている「ナイフ」を表現している。これはもちろん彼女だけでなく、彼女の父も母も、それぞれの心の奥深くたたみこんでいて、絶対に消し去れない痛恨の心であろう。

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2008年7月31日 (木)

「希望のニート」(二神能基、東洋経済新報社)

Kibonito  先日、仕事でいつも通りかかる八王子の駅ビルで、30才過ぎの男が、書店アルバイトの22歳の女性を、「誰でもよかった」と、刺し殺す痛ましくも、なんとも、いたたまれない事件が起きました。亡くなった女性の命が、こんな形で奪われたこと、ほんとうに悔しく悲しく思います。真夏の暑い駅ビルの前の祭壇には、今も、献花が絶えず、私もささやかなお悔やみを致しましたが、若い命が戻るはずもありません。

 犯人の男が,今回紹介する「希望のニート」という本の、いわゆる「ニート」なのか、さらに、この本の主題である「ひきこもり」だったのか、正確にはわかりませんが、今社会問題となっている、ニート・ひきこもりに関する、「現場からのメッセージ」として、示唆に富んだ1冊でした。

 「15歳から34歳までで、学校卒業後に職探しも通学もしない未婚の若者」が、ニートの定義ですが、もともとは1997年にイギリスで、当時深刻だった若年失業問題に取り組む中で、「Not in Education、Employment or Training」の頭文字をとったと云われます。

 この本では「ニート」を次の3つに分けられるとしていて、この問題を理解するのに、たいへんわかりやすいと思われました。

  1. 就労についてのきめ細やかな情報を必要とする層(情報力必要型)
  2. 就労以前に、人間関係が苦手で社会に出てもすぐに挫折しそうな層(社会力必要型)
  3. さらに生きていること自体にあまり喜びを感じられない層(人間力必要型)

 3つの中では、「3」が最も深刻なわけで、原因か結果かはともかく、ニートの周辺には、「生きていること自体にあまり喜びを感じられない」今の若者の困難な問題があり、その多くが「ひきこもり」となっている状況が、あらためてよく理解できます。

 私の仕事の関係でも、また知人の中にも、「ひきこもり」「ニート」のお子さん(と言っても、もう30代後半の方もいる)を現実に抱えて、いわば無間地獄のような状態で悩んでおられる姿を、耳にします。この本では「格差社会」「企業の雇用形態の変質」「核家族化」「家族や地域社会における希薄な人間関係」など、さまざまな、現場からのメッセージを絡ませながら、「ニート」「ひきこもり」をわかりやすく、かつ本質を見えるように、示してくれておりました。

 ふりかえれば、われわれの若いころには、「高度成長」「終身雇用制」というような、社会や職場に対する安心感が、存在していたと思います。今と比べて、当時の若者にとって、努力すれば未来が開けるという希望の持てる社会だった。

 ところが、今の、さらにこれからの若者には、「情報化」がどんどん進んで、自らの選択肢が広がる一方で、「成果主義」「雇用不安・派遣労働の広がり」「企業や役所の成功者が一転犯罪者となる現実(食品偽装、高級官僚の収賄など)」「環境問題や不確実な未来」などが、曖昧模糊とした形で広がっていて、そうした不安心理に脅かされているうちに、「ニート」「ひきこもり」となっているのではないかと思います。

 こうした時代だからと言って、今回の事件の犯人を許すことでは決してありません。ですが,幸せな時代を過ごしたわれわれにとっても、現実に、わが子のことに煩わされているといった、次の世代の悩みを抱え込んでいたり、さらに孫世代には一層この状態が顕著になるかも知れないことを考えると、この閉塞感をなんとか打開したいと、強く感じされられる本でした。

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2008年6月 8日 (日)

カラマーゾフの兄弟1 (ドストエフスキー)

Karamazof1  買ってから半年以上積ん読にしていた、「カラマーゾフの兄弟」の第1巻を、ようやく読んだ。

 この間2月~3月に、訳者の亀山郁夫氏(東京外国語大学長)が出演した、NHK教育TV「この人この世界」で、「罪と罰」などとともに、ドストエフスキーを解説し、関連して、エイゼンシュテインや、ショスタコーヴィチをとりあげた、「悲劇のロシア」という、興味深いシリーズ番組があり、これを見ながら、カラマーゾフは、たいへん気になっていた。

 どうにか5分冊のうちの1冊目を読み終えたのだが、なかなか難解で、この長編のテーマは何なのか?、わが頭の中は、今日の梅雨空みたいに、もやもやしている。まあ、はじまったばかりなのだから、おもな登場人物の輪郭や相関図くらいが、イメージできればいいと、ゆったりと構えなければ、いつでも途中で投げ出してしまいそうな状況なのだ。

 当のドストエフスキーも、冒頭の「著者より」で、人を食ったようなことを書いている^^^『むろんだれにも、なんの義理もないのだから、最初の短い話の2ページ目で本をなげだし,二度と開かなくたってかまわない。しかし世の中には、公平な判断を誤らないため、何がなんでも終わりまで読み通そうとするデリケートな読者もいる。たとえばロシアの批評家というのは、押しなべてそういう連中である』^^^。

 こんな風に言われたら、投げ出すわけにはいかないし、どうやら、曖昧なことがらを、いっぱい残しながらでも、読み進めばそのうち、何かが見えてきたり、自分なりに、マークすべき点が、いろいろ見つかるだろうと、ともかく読み進むことにした。

 Karamazofshiori1 Karamazofshiori2 文庫本の格巻にサービスされている「栞」の、おもな登場人物表は、たいへんありがたい。ストーリーを見失いそうになるたび、見返している。それでも、たとえば、次のような文章、アリョーシャがカテリーナ宅を訪問する場面での文章なのだが、いったい、何を言っているのか、訳者も、わかっておられるのか?疑いたくなってきて、よく似た表現に出会うたび、混乱し戸惑うのである。

 ^^^『あれほど好きな男のせいで彼女がいま置かれている悲劇的な立場は、当人にとってはまるで秘密どころか、ことによると彼女はもうすべてを、完全に何もかも承知しているかもしれないと。にもかかわらず、彼女の顔が光と未来への大きな信念に満ちあふれていたので、アリョーシャは、彼女に対し、そんなふうに意識したのをとても悪いことのように感じたのだった』^^^ (第3篇10、二人の女) 

 訳者がTV番組「悲劇のロシア」で言っていたことを思いだす。「おそらくドストエフスキーは、、われわれには及びもつかない恐ろしい『地獄』を抱えていたが、正面きってそのすべてを書くことができなかったし、また書こうとも思わなかった。それらは、言葉にならない巨大な感情であり感覚であり、混沌とした思想であり、あるいは危険な性向であって、死ぬまで心の奥深くに隠し持っているべきものだったのだろう」。

Karamazofe2 Karamazofe1_2  第1巻は、時間的には、ある1日に限られていて、その日の昼前から深夜にいあたるまでの間に、おもな登場人物が、すべて顔をそろえる。父親、3人の兄弟、父親の使用人と下男、彼らと入り組んで交流のある3人の女性、そして、ゾシマ長老………。ロシア名の煩雑さは、「罪と罰」でおおよそ慣れているので、それほど苦にはならない。

 個別の記憶では、第2編「場違いな会合」の章で、教会と国家のどちらが優先されるべきかを巡って熱心に議論が交わされるところが、印象に残った。教会が裁判など国家の任務を代行し、国家の上位に立つべきだ、との考え方は、ドストエフスキーの思想なのだろう。一生懸命筋書きを追っていると、時折このように、作者の歴史観や、思想信条みたいなことを、登場人物が語リ始めていて、やれやれという思いだが、これはこれで、含蓄がある。

 このあと、ドストエフスキーから、なんとか離れないで、この小説と、取り組んでいくことにする。ふりかえれば、夏目漱石も最初の頃はそうだったし、今でも、読み返すたび、漱石には新しい発見がある。幸い、この本には訳者の「読書ガイド」があるし、第5巻には、年譜、解題、訳者あとがきなどが、ずいぶん丁寧に付いているので、今後、活用できるのではと期待している。

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2008年2月 6日 (水)

大黒屋光太夫(吉村昭)

Daikokuya 昨年夏サンクトペテルブルグのエカテリーナ宮殿を訪ねたとき、次の記事を書きました。

……江戸時代、伊勢の廻船の船頭大黒屋光太夫が、1782年に嵐のためアリューシャン列島の孤島に漂着、苦労の末首都ペテルブルグのこの宮殿でこの部屋でエカテリ-ナ2世に謁見したという。1792年に願いかなって、遣日大使クラスマンに伴われて帰国出来たということだが、遠い昔の遠い異国、日本人の祖先の話の現場がここで、目の前に大女帝がいたと、チラリと想像してみたのである。極東のアリューシャンからカムチャッカ、そして気の遠くなるようなロシアの北の都まで、いったいあの時代、歩いていったのか、橇か馬車でもあったのか?井上靖「おろしや国酔夢譚」 、吉村昭「大黒屋光太夫」などの小説があることを知ったので、いずれ読んでみたい………。

Daikokuyamap  今回吉村昭の「大黒屋光太夫 上・下」を読みました。帰国後に、蘭学者桂川甫周が幕命によって光太夫の陳述をまとめた「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」や、もう一人の帰国者、光太夫の配下であり水主(かこ)の磯吉の陳述を記録した「極珍書(ごくちんしょ)」「魯西亜国漂泊聞書(ロシア国ひょうはくききがき)」などの歴史文書をもとに、丹念に描き上げられた、読みごたえのある1冊でした。

 苦難のすえ、光太夫はペテルブルグのエカテリーナ宮殿で、女帝に謁見する。

Ekaterinajotei ̴̴̴光太夫は、臆してはならぬと自らをはげまし、女帝の耳にも達するようにはっきりした口調で話しはじめた。故郷の白子浦を出船してから大暴風雨に遭遇し、舵、帆柱を失って漂流、飲料水が尽きて雨水を貯め、渇きを免れた。その間に水主一人が死亡し、辛うじてロシア領アミシャッカ島に漂着。この島に出張していた商人の手代に保護されたが、風土と食べものがなじまぬため、7人が次々に息絶えた。

 その後カムチャッカに移されたが、そこでも3人が病死し、、オホーツク、ヤクーツクを経てイルクーツクに送られた。その旅の途中、想像を絶した激しい寒気で水主の一人が左足を凍傷におかされて手術で切断され、光太夫が、キリロ(光太夫の援護者)とともにイルクーツクからペテルブルグに出発する直前、さらに水主がもう一人死亡した。今では日本を出た時の17人が、5人になりました̴̴̴

 女帝は「オホ・ジャウコ(かわいそうに)」「ベンヤシコ(哀れな者よ)」と述べ、日本帰国を許可し、手厚くもてなすように指示する̴̴

 この時代、光太夫の前にも、ロシア領に漂着した日本人が何人もあったが、ロシアはその南進政策の中で、彼ら日本人を日本語教師として、ロシアにそのまま、住まわせ、帰国させなかった。女帝との謁見で、光太夫がはじめて、帰国を許されることになる。「日本に帰りたい一念」を貫徹した光太夫の強靭な意志と体力が、実を結んだのだった。

 生き残った5人のうち2人は、それまでに耐えきれずに、ロシア正教に帰依し、キリシタン禁制の日本には、帰国できなくなる。

 そしてついに根室に帰り着いた3人のうち一人も、故郷を見ずして病死、結局江戸と故郷伊勢の土を踏むのは、光太夫と磯吉の二人のみとなる。漂流後日本に帰るまで10年、そして、故郷に帰るまでさらに10年の、長い上・下の物語が終わると、「やれやれ、よかった」という安堵の思いに駆られました。

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2008年2月 2日 (土)

漱石の死生観、「硝子戸の中」から

Kokorosouseki2  漱石の「硝子戸の中」を拾い読みしています。晩年の身辺雑記であり、彼の世の中で出あった人さまざまの印象録ですが、その「二十二」に、胃病に悩まされた日々をつづりながら、生きるということ、死をどうとらえているのか、について、なるほどと、思わず感じてしまうところがありました。そのまま、コピーしてみます(青空文庫から)。

 …… ……… ………

この二三年来私はたいてい年に一度くらいの割で病気をする。そうして床についてから床を上げるまでに、ほぼ一月の日数を潰してしまう。(中略)

  私の立居が自由になると、黒枠のついた摺物が、時々私の机の上に載せられる。私は運命を苦笑する人のごとく、絹帽などを被って、葬式の供に立つ、俥を駆って斎場へ駈けつける。死んだ人のうちには、御爺さんも御婆さんもあるが、時には私よりも年歯が若くって、平生からその健康を誇っていた人も交っている。

 私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。
 私としてこういう黙想に耽るのはむしろ当然だといわなければならない。けれども自分の位地や、身体や、才能や――すべて己れというもののおり所を忘れがちな人間の一人として、私は死なないのが当り前だと思いながら暮らしている場合が多い。読経の間ですら、焼香の際ですら、死んだ仏のあとに生き残った、この私という形骸を、ちっとも不思議と心得ずに澄ましている事が常である。

 或人が私に告げて、「他の死ぬのは当り前のように見えますが、自分が死ぬという事だけはとても考えられません」と云った事がある。戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々斃れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を聴かされた時に、こんな問答をした覚えもある。

「ああして始終落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは怖いだろうね。今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」
「ところがそうでないと見えます」
「なぜ」
「なぜって、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。やッぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になると見えますね」
 私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。(以下略)

 ⁂⁂⁂⁂⁂

 たしかに、自分も相応の年になりながら、他人の死を、まさに「他人事」と考えて、自分には関係ないと、そのときは放り投げていたり、とりあえずは別のことに気を紛らわせようとしているのが日常で、ひとたび自身が思わぬ病気になったり、ちょっと健康診断で精密検査が必要と指摘されただけで、平常心を失っている有様です。

 あさはかなものですね。

 ⁂⁂⁂⁂⁂

 関連して、「徒然草」の、吉田兼好は、次のような一節を書いています。

Tureduregusa3 ーー「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も蒼くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたるゆゑに、待ちとるついで甚だはやし。

 生・老・病・死の移り来る事、またこれに過ぎたり、四季なほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後ろに迫れり。人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるがごとしーー。(第155段)。

 ⁂⁂⁂⁂

 兼好のは、厳しい死生観です。生ある物を支配する『生老病死』は、順を追って現れるとは限らず、突然に死の到来することがある、と強調しています。死の意外な早さを言う『後ろに迫れり』や潮の比喩は、衝撃的です。いずれ、兼好の言が誇張でないことを自ら体験することとなり、兼好の卓見を反芻することになるのでしょうが、きょうのところは、漱石先生の実感あたりで、思考を止めておきたいところです。

<注>死生観:①生ある限りは充実した毎日を送って行こうという抱負。②人生の終末としての死についての、その人の考え方(新明解国語辞典:三省堂による)。

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2007年12月27日 (木)

「絹と明察」(三島由紀夫)

Kinutomeisatu  日経夕刊「文学の周辺」で、彦根城が舞台となっている三島由紀夫の「絹と明察」が紹介されていて、読んでみました。彦根は40年余前になりますが、縁あって仕事をした街で、今年の彦根城築城四百年祭にも、訪れました。

 物語は昭和29年にはじまる近江絹糸のいわゆる“人権スト”に取材したもの。この争議は、私が小学校から中学に上がるころ、その本質はわからなかったけれども、身近な大ニュースとして、連日報道されていた記憶があります。三島由紀夫39歳の時の作品。

 三島由紀夫の闊達な筆遣いで、戦後の労働争議の頻発、各産業の組合紛争、その過程の高度成長、アメリカ流の経営学と古くからの日本の家族主義的経営の相克などが、登場人物である当時の経営者達やマスコミ、組合活動家、働く若い男女、そして芸者から足を洗った寮母、さらには政財界の黒幕的人物などなどに託して、古いモノクロ映画を見るように伝わってきました。

Tennshukaku Gennguuenn  物語には彦根城や城内の玄宮園、琵琶湖の風景(いわゆる近江八景も)などが、繰り返し出てきて、たいへん懐かしかった。登場するワンマン社長駒沢善次郎と対峙する、組合のリーダー大槻が恋人弘子と待ち合わせる城内の一隅や、その二人が駒沢社長と初めて会うことととなる玄宮園の佇まいも、あたかも自分がその舞台に、いるような感じでした。

Shatihoko  外遊中に争議勃発の報を受け、「帰国して話せば解る」と自ら労働者の面前に出て、手ひどく強烈な反発にあった駒沢が、彦根城の天守閣に上る場面で、写真の「しゃちほこ」が登場します。

 『最上階へ昇る階段の踊り場に、むかしの鯱が飾られていて、狭間のあかりがそこへわずかに届いている。駒沢は通りすぎざま、その薄闇にたけだけしく尾を立てている茶褐色の怪魚の顔をちらりと見た。十八世紀初頭の宝永年間の改築の砌、取り換えられたその元の鯱がこれだと解説に書いてある。天守閣の屋根の頂きに朝陽夕陽を受けて金色に輝いていたものが、取り払われてから二百数十年のあいだ、こうしてここに無為にすごしてきた姿を、駒沢は忌わしく見た』………意に反して時代の趨勢から退場を強いられる駒沢を象徴する場面として、三島の筆致は心に迫ってきました。

 争議は経営側すなわち駒沢がとうとう屈して、中労委の2度目の斡旋を呑んで漸く収まる。そこで三島は次のように描く……『今彼らは、克ち得た幸福に雀躍(こおどり)しているけれど、やがてそれが贋ものの宝石であることに気づく時がくるのだ。折角自分の力で考えるなどという怖ろしい負荷を駒沢が代わりに負ってやっていたのに、今度はかれらが肩に荷わねばならないのだ。大きな美しい家族から離れ離れになり、孤独と猜疑の苦しみの裡(うち)に生きてゆかなければならない』……

 “禍福はあざなえる縄のごとし”、当時の理想だった近代個人主義のその後の混乱と破産に近い状況、やがて人々は、自分で考え自分で行動することに疲れて、いつの日か駒沢の樹てていた大きな家族のもとへ帰ろうとする。そここそは我々日本人の故郷であり、そこで死ぬことが人間の幸福だと気づくだろう。再び人間全部の家長が必要になるのではないか……三島は問いかける。

 今年の政治混乱の中で「美しい国」なる未熟な宰相のスローガンは、あっけなく雲散霧消しました。しかし、戦争を経験しない戦後世代が、かえって保守回帰を望む底流は消えたわけではない。この小説は、東京オリンピックの頃に発表されたものですが、三島は現在にもつながる、そうしたわが国の根の浅い民主主義、さらには統治のあり方をも、あらためて考えさせる深みをも、持っていたように感じました。

<*>彦根城の写真は2004年春、城に上ったときの撮影です。

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2007年12月14日 (金)

「父・夏目漱石」(夏目伸六)

Titinatumesouseki_2  漱石は生涯に二男五女をもうけています。順に筆子、恒子、栄子、愛子、純一、伸六、雛子であり、この本は、漱石42歳のときに生れた6番目の伸六によって書かれた、直系実子の家族物語でした。ちなみに、「伸六」とは「申の年に6番目の人間として生れた」という意味だそうで、漱石が50歳で亡くなったときは、9歳だったということになります。

 さきに(11月9日)に孫の房之介氏の「漱石の孫」のことを書きました。この本は、その一世代上で、9歳の時に亡くなったとはいえ、父・漱石とともに生き、叱られ、養われ、慈しまれた人の実体験本でした。漱石の生身の実像がさらに鮮明に、また、母である鏡子夫人、漱石家に出入りした森田宗平・鈴木三重吉・小宮豊隆はじめ多くの弟子達との交流が、いきいきと綴られていました。

 父、すなわち漱石の臨終の様子は、筆者がすでに9歳になっていただけに、そのままリアルに伝わってきました……。「父が息をひきとったのは、暮れやすい冬の日が、いつのまにか、もうとっぷりと暮れてしまった、その日の夕方の七時ごろであった。父の書斎から、玄関に通じる暗い廊下にまで、一杯に立ちつくした無数の人の姿を、私は、今でもはっきり思い出すことが出来る。……『いい子だから、泣くんじゃない』と、すすりあげる子供達を慰めた父は、果たして、この私までも、そのうちに数えていたのだろうかと、時々考えることがあるのだけれど、恐らく、死にぎわに、私の顔を見て、笑顔を見せた父としては、きっとこの子も、自分のために泣いているのではないかという気がして、さすがに、その時の自分の気持ちが思い返されるのである」…

 怖かった父のこと、父と弟子達の交流、父と母のこと、など、漱石の逸話に事欠かない中味でした。なかでも、最後のほう、世に「悪妻」といわれた鏡子夫人、つまり、著者の母について、むしろ母あっての漱石、漱石自身も、鏡子夫人に依存していたのだというような、息子ならではの真情が綴られていて、大いに納得させられました。

 怖かった記憶で、子どもの頃、兄と二人で父に連れ、電気仕掛けの軍艦を射撃する小屋がけの場面がある。兄が父に早く撃てといわれて、「羞ずかしいからいやだあ」と尻込みしたのに続いて、「それじゃあ伸六お前撃て」といわれる。「羞ずかしい……僕も……」と続いた途端、、はっとした時には、すでに父の一撃を頭にくらって、湿った地面の上にぶっ倒れていた。その私を父は下駄履きのままで踏む,蹴る、頭といわず足といわず、手に持ったステッキを滅茶苦茶に振り下ろす…

 後になってそれが、漱石が生来の激しいオリジナルな性癖から、絶えず世間一般のあまりに多い模倣者達を、心の底から軽蔑していたからなのだと思い当たったとあるが、それにしても、異常・病的とも思える父の記憶が語られていた。

……… …………

慶応独文科を中退、中支満州などに応召、戦後ジャーナリストから、随筆家になったという、伸六氏。あまり、著作に熱心でなかったようだが、この書の文章はあざやかで、大いに文才があったのだと思う。この本はいま絶版らしいが、ぜひ、一読をおすすめしたいと思います。

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2007年11月20日 (火)

「風の果て 下」 (藤沢周平)

Kazenohate2  「風の果て」下巻は、少年時代友人同志だった主人公達が、藩政の要職に就き、あるいは、日陰者(厄介叔父)のままであったり、妻の不貞相手を斬って自ら命を縮めたりと、それぞれ数奇な運命のなかに、放り出される姿が描かれる。

 カバーの紹介記事をなぞってみたい。

『かっての軽輩の子は家老職を占めるに至る。栄耀きわめたとはいえ執政とは孤独な泥の道である。策謀と収賄。権力に近づいて腐り果てるのがおぬしののぞみか、市之丞は面罵する。又左衛門の心は溟い、執政などになるから友と斬り合わねばならぬのだ……。逼迫財政打開として荒地開墾の鍬はなお北へのびている』。

Kazenohate22

 物語は、上士の後継ぎ杉山忠兵衛(もと杉山鹿之助)がまず、筆頭家老となる。当初は、その杉山に抱えられるような存在であった主人公桑山又左衛門(もと下士の部屋住み上村隼太)が、やがて、その杉山を脅かす存在まで上りつめるにつれ、ふたりの角逐は、藩を巻き込んだ政争となる。永年地方廻りで、実績を積んだ主人公が、ついに杉山を倒すことになるのだが、その間隙に、もう一人の昔からの仲間野瀬市之丞がからみ、小説上巻冒頭の野瀬から果たし状の結末が下巻の最後で、両者の果し合いとなる。複雑だが、見事な小説構成と感じた。

 私が付箋をつけた、権力者となった主人公の心模様………

 『又左衛門の考えの行きついたところは果し合いに応じる。ただし、命までやるつもりはなかった。市之丞との果し合いの成り行きは予測の他だったが、あぶなくなったらすぐに藤蔵を呼ぼうと思っていた。おれは藩政を預かる家老だ。私闘で命をやりとりするわけにはいかない。又左衛門のその考え方の中には、自己の本心に対するいつわりがあり、にごった権力者のおごりさえまじっていた………』

 『大蔵が原の開墾が一千町歩を越え、藩の暮らしが楽になったかといえば、そうは云えなかった。非常手段こそ必要としなくなったものの、借り上げ米を戻すほどのゆとりは、藩にはついにおとづれなかった。領外からの借財はじりじりとふえていた。開墾地に入った百姓は、それぞれ借金を背負っていた。つまるところは羽太屋(大商人)を太らしただけだったかもしれない、などと、又左衛門はふと気弱く思った』

Dewa32 いずれも、「改革」を叫ぶ、今の世の為政者を、そのまま、表現しているように思えたし、世の仕組みを変えることが、いかに難しいこか、もっと云えば、結局は、社会の一部の階層には恩恵があっても、多くの階層は、置き去りにされた状態で、時代が移っていくのではないかと感じた次第。今の日本でいえば、くだんの大商人はさしずめアメリカのヘッジファンドにあたるような気がする。

 そうした大きな流れを喝破している藤沢周平の筆の力に驚嘆する。

 なお3枚目の写真は、小説の舞台と思われる鶴岡(山形県)の日本海海岸にある湯野浜温泉の夕日。2005年の10月8日の午後5時ごろだった。

……… …………

 つたない読後感になってしまったが、このあと、ビデオに撮ったNHKドラマを見ることにします。佐藤浩市、中村トオル、石田えり などがどう演じているのかが興味深く、楽しみです。

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2007年11月13日 (火)

「風の果て 上」 (藤沢周平)

Kazenohate1  NHKは藤沢周平が好きなようです。

 今、地上TV「木曜時代劇」で「風の果て」を放送中だし、BS2では「腕におぼえあり(用心棒日月抄)」、ラジオで「三屋清左衛門残日録」をやっています。「三屋…」のほうは、この夏BS2で、毎週、仲代達矢、南果歩の懐かしい映像を楽しみました。『蔵出し』と称して、昔の番組を再放送してくれるのは、ありがたいです。「腕…」の村上弘明、清水美沙も、もう15年前の映像ですが、ふたりとも実に若々しく格好よく、みずみずしい。

Kazenohate12  きょうの本題は「風の果て」です。実はTVは10月18日から放送が始まっていて、もう大分進んでいるはずですが、録画を撮り溜めていて、映像を見る前に、原作を読んでみようと思い立ちました。昨夜、その上巻を読み終えて、今、このblogを書いているところ……。

 藤沢ものは、なんといっても読みやすい。ページを繰っていて、すんなりと筋立てが解るし、街や武家家族の情景が浮かび、サムライ達の殺陣の息遣いが聞え、織りなす男や、女たちのこころの襞が伝わってきます。深夜便のラジオで松平定知アナウンサーが、情感たっぷりに読み進みますが、おそらく、朗読者自身、物語のなかに、埋没してしまっているんではないかと、想像します。

Dewa231  「風の果て」、とりあえず上巻ですが、、家老職に上りつめた主人公桑山又左衛門と、その部屋住み時代の上村隼太を、たくみに行き来、フラッシュバックさせて、東北庄内藩らしきところを舞台に、物語が進んでいます。下巻にかけて、いよいよ、昔の部屋住み時代には、身分の違いを乗り越えて付き合っていた仲間同士が、今時を経て、それぞれ立場・身分の違いが際立って、政争がらみの角逐、出世したもの、一方で日陰を歩いた者の運・不運といった姿となってあいまみえる……、藤沢周平お得意の世界に惹きこまれています。

 <注>写真は鶴岡城址。3年前に現地で撮影したものです。

 藤沢ワールド……あの「蝉しぐれ」も幼馴染の男女が、郡奉行と藩主の世継ぎの生母となって、昔を語りあっていましたし、「三屋…」も、用人まで上りつめ、今は隠居した静左衛門の昔と今の日々の物語でした。

 下巻を読んだら、また、blogを起こし、そして、DVDを見たら、また、その感想を書いてみるつもりです。藤沢フアンの方、お目に止まりましたら、ひとことコメント書き込んでいただければ幸いです。

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2007年11月 9日 (金)

「漱石の孫」(夏目房之介」

Sousekimago  江戸東京博物館での「文豪 夏目漱石展」を見た際、孫のマンガ評論家夏目房之介氏著の本書を買い、(実は2度目)読んでみた。

 100年前祖父・漱石がロンドンに渡り、イギリス文化、ヨーロッパ文化と悪戦苦闘していた下宿を、孫が訪ねる。祖父夏目漱石→長男で音楽家であった父純一→孫の著者夏目房之介、と続く系譜のなかで、偉大であった祖父を思い、一方、その孫であっても、一人立ちしていくべき一個の人間、「漱石は漱石、自分は自分」,として、当初は反発していたが、やがて「マンガ評論」に自らの拠りどころを確立して、祖父を受け容れていく過程が、よくわかる。

London12  著者のロンドンへの旅は、NHKーBS2でやっていた「世界わが心の旅」という番組への出演で、私も見た記憶がある。本題からそれるが、「漱石の孫」として出演者である著者と、テレビスタッフとの番組編成過程でのやりとりが、なかなか味がある。たとえば、孫である著者にとって、気が乗らないような祖父追慕シーンをスタッフが作ろうとしても、所詮うまくいかない。逆に漱石の下宿前の撮影シーンで、どこからともなく現れた「猫」が、おもわぬ画面上の効果を盛り上げる逸話等はほほえましい。

 <注>写真は2005年、私がロンドン旅行時に「倫敦搭」の脇から撮影したもの。

 「業の遺伝」の項は印象深かった。漱石は「道草」で書かれている養父母との屈折した記憶によって、自分の息子達への近親憎悪(自らの存在不安につながる根本的な自分自身への憎悪を刺激されることによる精神のバランス喪失、コンプレックス)の感情を持つ。それが息子である著者の父(音楽家純一)にもつながっていて、著者は幼少時代、姉にだけみやげを買ってきた父を思い出す。そして今、時代が移り、著者の長男がその長男(つまり孫)へ理不尽な怒りや心理的暴力をもよおしていることを見て、「業の遺伝」ということに、思い当たる………。

 私も孫のある歳になり、その孫と接していると、理屈抜きの可愛さの一方で、この子には、どこかに我がDNAの片鱗があるのだろう、そして、この先この子の人生に現れるかもしれないと思うことがある。文豪漱石にして初めて、孫が100年後に祖父の生きざまを語ってくれるのだろうが、どうか、願わくばこの子には「業」のプラス部分だけが、つながっていて欲しいと、漠然とした共感を持ったものだった。

 叔父の夏目伸六著の「父・夏目漱石」(現在絶版)を以前読んだが、もういちど読みたいと思い、図書館に貸し出し予約をした……。

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2007年10月13日 (土)

「罪と罰」 下(ドストエフスキー)……サンクトペテルブルグ 10

  • Tumitobatu2  ようやく一通り原作を読み終えました。ドストエフスキーの文章は、実に、次から次へと脈絡がないかのように、様々のテーマが織り込まれていて、そのひとつひとつについて、何を表現しようとしているのか確かめようとすると、ついていくだけで精一杯というのが、率直な
  • (第一)読後感です。

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 訳者の工藤精一郎氏は、「罪と罰」の要素として、次を掲げる。

  • 推理小説的な要素:犯人ラスコーリニコフと予審判事ポルフィーリイの知的対決
  • 社会風俗画的な要素:1860年代の夏のペテルブルグの下町の様子と、そこに住む人々の風俗がリアルに描かれる。
  • 愛の小説の要素:殺人犯ラスコーリニコフと聖なる娼婦ソーニャの、愛を奥底に秘めた信念の対決。更に絶望的ニヒリスト、スヴィドリガイロフと、ラスコーリニコフの妹ドウーニャの愛憎、微妙な心理の葛藤。
  • 思想小説の要素

 私にとってドストエフスキーは初対面で、このような要素については、まだまだ手探りと云った所。わずかに、この夏現地に行った事で、ペテルブルグの手触り肌触りが、伝わってくる程度だ。

 幸いにして、ドストエフスキー、「罪と罰」には、読解本・解説本がずいぶん贅沢にあることがわかった。わが夏目漱石に解説本がいっぱいあるのと同じだ。さっそく、図書館で、次の2冊を借りてきた。おもしろそうなので、購入することにした。そのうち、読み進んで、その感想など書いてみたい。

Tumitobatunazotoki_2 Urayomidosutoehusuki_2 謎とき『罪と罰』:1986年新潮選書 江川卓著

ウラ読みドストエフスキー:2006年清流出版 清水正著

 

            ………… …………… ………

下巻で、記憶に残ったところ、断片的になるが、次の2つ。いずれもポルフィーリイのセリフ。

  • もしある人間が罪を犯しているならば、いずれにしても、その人間から何かしら動かぬ証拠が、かならず現れる
  • この世の中には正直ほど難しいものはないし、お世辞ほどやさしいものはありません。もしも正直の中に百分の一でも嘘らしい音符がまじっていたらたちまち不協和音が生れて、そのあとに来るのはースキャンダルです。またその反対にお世辞はたとい最後の一音符まで嘘でかたまっていても、耳にこころよく、聞いていて悪い気持ちがしないものです。どんな無茶なお世辞でも、必ず少なくとも半分はほんとうらしく思えるものです。

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2007年9月29日 (土)

「罪と罰」・上(ドストエフスキー)……サンクトペテルブルグ 7

Tumitobatu1  サンクトペテルブルグ旅行の記憶がうすれないうちに、読んでみようと「罪と罰」を開き、ラスコーリニコフ、ラズミーヒン、ドウーニヤ、ソーニャ……など、次々と登場する頭のこんがらかる名前を四苦八苦してたどりながら、どうにか、上巻を読み終えた。

…通りはおそろしい暑さだった。そのうえ、息ぐるしさ、雑踏、到るところに行きあたる石灰、建築の足場、れんが、ほこり、別荘を借りる力のないペテルブルグ人のだれでもが知りぬいている特殊な夏の悪臭ーーこれらすべてが一つになって、それでなくてさえ衰えきっている青年の神経を、いよいよ不愉快にゆさぶるのであった。市内のこの界隈にとくにおびただしい酒場の、たえがたい臭気、祭日でもないのにひっきりなしにぶつかる酔漢などが、こうした情景のいとわしい憂鬱な色彩をいやがうえにも深めているのであった……。

Peteruburugumap  当時のペテルブルグの市街図。小説は1866年の作で、現在の街の様子と大きく違っているのだろうが、自分がほんの2時間ほど、実際に舞台の近くのネフスキー通りを歩いてみて、大通りの華やかさの裏には、いまも、このような暑くごみごみした街があるのではなかろうかと思えるフシがあった。そんな、現実感と勝手な想像を逞しくしながら、読み進んだ。

 ……もう一刻の猶予もならなかった。彼は斧をとり出すと、両手で振りかざし、辛うじて意識をたもちながら、ほとんど力も入れず機械的に、斧の背を老婆の頭に振り下ろした……

 ……部屋の中ほどに、大きな包みをもったリザヴェータが突っ立って、殺された姉を呆然と見つめていた。白布のように青ざめて、声も出ないらしかった。おどり出たラスコーリニコフを見ると木の葉のようにわなわなとふるえだした。(略)。 斧の刃はまともに脳天におち、一撃で頭の上部を耳の上までたちわった。彼女はその場にくずれた……

 こうして鋭敏な頭脳をもつ大学生の主人公が、強欲非道な高利貸の老婆と、偶然その場に来合わせたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第2の殺人が、小説の深い柱となるのだろう。

 ……すべての人間は《凡人》と《非凡人》に分けられる。凡人は、つまり平凡な人間であるから、服従の生活をしなければならんし、法律をふみこえる権利がない。ところが非凡人は、もともと非凡な人間であるから、あらゆる犯罪を行い、かってに法律をふみこえる権利を持っている……

 上巻(新潮文庫版)の最後で、アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフが登場して、不気味な下巻の展開につながっていく。いよいよ面白くなりそうだ。

  ………… ………… …………

<小野文雄著、「サンクトペテルブルグ よみがえった幻想都市」 (中公新書) 抜粋>

 ……19世紀初頭に20万だったペテルブルグの人口は、1850年代には約50万、1880年代には100万と急増し、町の様相はすっかり変った。町じゅうに中・下層、貧困階級の住民があふれ、安アパートが立ち並び、彼らがうごめく市場や屋台や酒場が喧騒をきわめ、常に新築・改築の砂ぼこりが舞っていた。この町にも近代大都市特有の猥雑さがあふれるようになったのである。

 ドストエフスキーは、殺人、それをめぐるおそろしい想念、主人公の内的な、また他人との間のはげしい心理的葛藤、複雑な人間関係、すざまじいばかりに饒舌な会話、そして浄化と救いにいたる濃密な物語を、ペテルブルグのある地区を舞台にして描き出した。いや舞台というのでは足りない。複雑、深遠な内容をわずか13日間の時間枠内に凝縮させたあの作品にとって一瞬一瞬が大切なように、ごくせまい範囲に限定された空間、つまり特定の広場、通り、橋、運河、建物、部屋なども欠かせない要素なのだ。「ペテルブルグはドストエフスキーの創作の参加者なのである」……。

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2007年9月 2日 (日)

「風の盆恋歌」(高橋治)

Kazenobonn  夏が終ると、八尾の「風の盆」が話題になる。わたしは、八尾にもまた祭そのものにも行ったことがないが、この季節になると高橋治の「風の盆恋歌」を読み返す。著者は主人公の都築克亮のように、毎年祭の現地に入られるようであるが、まだ見ない私にとって、おわらの祭を想像するに、あまりある読み物になっていると思う。

 水の音と胡弓の音色に乗せて、50歳前後のふたりの恋(不倫)物語が、展開する。金沢・八尾、フランスのパリ・ノルマンディ、そして八尾と、若い頃あまりにも不器用で互いの気持ちをうちあけられなかった二人が、時を経て、年に1度の八尾での3日間をすごす。

  恋だけは別だよ 思案の他だよ  嵐の行く先きア 誰だって知るまい

  燃えた昨夜に 顔あからめて  忍び出る身に オワラ 夜が白む

  男と女だよ やることは知れてる  惚れりゃそいつが ただごとじゃなくなる

 踊りと歌と、胡弓の音色に乗せて、大人の恋、いや、青春の恋のつづきが絵のように、展開する。この年になって、これだけ心が通い合うのは、うらやましい限りだ。「歌の章」でのふたりの抑制の効いた手紙のやりとりもたいへん印象的だ。そうはいっても、50年生きていれば、それぞれ現実と背中あわせで、互いの連れ合い(実は、若いときの仲間なのだが)との冷めた関係、そして都築には新聞社外報部での職業上のトラブルや同僚との葛藤、女主人公えり子には一人娘との行き違いなどの荷物をしょっている。

Kazenobonn_3  ラストは西鶴の“おさん茂兵衛”を思わせながら、急死した都築に寄り添って、えり子が水音と胡弓をうつつに聞きながら、かねて備えてあった睡眠薬を飲んで後を追う。失われた30年を取り戻すこととなる。

 が、現実は現実である。

 “とめ(八尾の家を世話する地元の女性)の報せで中出(えり子の夫)と志津江(都築の妻)がかけつけてきたが、二人は互いにほとんど口をきかなかった。志津江はとめに問い質すような口調で二人のいきさつを聞き、中出は不動産としてのこの家が都築一人の所有なのかどうかを聞きたがった”……

 作者は恋物語や、「風の盆」を幽玄ともいえるタッチで綴る一方で、このような、掌を返すように極めて日常的、現実的な文章で事実を表現する。読むのもとして一瞬冷水をかぶせられたような思いがするのだが、心中した連れ合いに残された者としては、あたりまえの振る舞いだと納得せざるを得ないのである。

  心に秘めた思いを抑えて、恋人を友人に譲る物語は、漱石にも多い。中でも「それから」で、友人平岡の妻三千代に譲ってから3年後に告白する代助のケースは、一筋縄では行かない男女の糸のもつれを描いていた。「風の盆」では、そのあたりをオワラの踊り、八尾の水の音と胡弓をバックに、30年の時間経過を加えて、辿ったことになる。

<写真は、昨年八尾に行った友人の撮影したものを拝借しました>。

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2007年8月14日 (火)

「続明暗(水村美苗)」

Zokumeiann  未完の「明暗」をどのように推理するか?、そのことに大胆に切り込んだ作品。冒頭百八十八回は、漱石の原文そのままで、続編はそこから始まる。

 結婚寸前に逃げられた清子を追って、温泉場に出かけた津田は、清子の翻意の真相を知りたいと、幾度もふたりだけの場を作ろうと働きかける。どどのつまり清子から聞き出した言葉は「貴方は最後の所で信用できないんですもの」「自分を捨てるって言うことがおありじゃないから些とも本物じゃないんです。他人は気が附かないだろうって高を括ってらっしゃるけど、そんなもんじゃないんです。他人には解るんです。――今回だって真実、何がなんでも……私に会いにいらっしゃるんだったら、そうしたら、私だって、この胸にちゃんと感じるんだと思いますわ」であった。‥‥しかし、この言葉も、結局は津田にはわからなかったのではないか?

 東京に残ったお延は、吉川夫人に手ひどく叩きのめされて、温泉場の津田に確かめに行く。大団円の展開は、藤井の名代の小林、岡本の代役を務める形となったお秀も温泉場に集結する。このあたりの原作を引き継いで話を展開させる続編著者の手際は、舌を巻くほどのあざやかさだ。読者としては、続編で一転寡黙になったお延に同情して重苦しい気分になったり、登場人物にここまで語らせるのかとハラハラさせられる。そのお延も、一旦は滝に身をなげようとするが、結局は津田の正体を見知り、そして、自分のこれまでをも見つめることになって、新たな歩みを始める。

 ……これからどうすべきか解らなかった。何をするにもこの宙吊りの状態から一歩でも抜け出すには、果たして途方もない勇気が要るように思えた。けれども恰も人に捜し出されるのを待つように、此所をこのまま動かずに居るのは屑よしとはしなかった。お延は、一体これから何処へ行くべきだろうかと、自分の行先を問うように、細い眼を上げた。―お延の上には、地を離れ、人を離れ、古今の世を離れた万里の天があるだけだった……。

 男の優柔不断さ。一方女は、真実とそうでないものを、厳しく峻別する。が、津田にとってみれば、「清子の夫も、お秀の連れ合いも、かって、自分が薄暗い病院の待合室で(性病患者として)浮かぬ顔をみかけたように、つまらぬ男と一緒になっているではないか。彼らに比べれば、俺の方が余ほどまともなのだ」と思っている。それも現実なのだ。

 …………

 作者はあとがきで「続明暗」を書くにあたって、『心理描写を少なくした。すなわち、語り手が物語の流れからそれ、文明や人生について諧謔をまじえて考察するという、漱石特有の小説手法を差し控えた』と言っている。納得できる立場ではあるが、「続」を読みながら、やはりこれは「明暗」とは勝手が違う。読者である自分の対話の相手は、当然ながら漱石ではなくて、水村美苗と名乗る、ちょっと毛色の変った女性なのだなーーと、なんとなくしらけてしまうのも、やむを得ざることだった。

Zokumeiannjinnbutu_3 最後に、「続」に付されている「登場人物紹介」が、大変わかりやすかったので、このblogに付き合ってくださった方の便宜にもなると思い、載せてみた。クリックして、ご一覧ください。

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2007年8月 8日 (水)

「明暗(夏目漱石)」(その2)

Meiannshohan  真夏の読書録、「明暗」の続き。

 左の写真(文藝春秋平成16年12月特別版による)は初版本の表紙で、岩波書店から大正6年1月26日に出されたという。大正5年12月9日に亡くなってから1ケ月ちょっとしか経っていない。漱石は自著の装丁になみなみならぬ拘りを持ったとされるが、未完の「明暗」、しかも没後の出版なので、はたして漱石の意思が入っているのかどうか?

 「明暗」は、それ以前の「三四郎」「こころ」「それから」などと比べて、いったい何が主題なのか、どういうねらいなのか、漱石がどのような結末を描いていたのか、なかなか分かり難いというのが、率直な感想だ。あの時代の日本にして「お延」のような、自己を信じ自己の愛情に忠実な行動をする女性像を漱石が造り上げ、そのまわりのお秀、吉川夫人らに、「家」や当時の「社会常識」を投影させた女のありようを、饒舌に、自由奔放に喋らせることで、女性あるいは人間の生き方を探っていく。なかでも、お延と義妹お秀の女同士の互いに一歩も引かない迫真のやりとりは、読むものをあきさせない。

 主人公津田は、ともすれば女性たちの片隅に追いやられる感じで、その俗っぽさ、優柔不断さ、打算の強さなどを見ると、どこか、現代の我が身、男達と共感するところがおおいにある。

 当時と比較にならないほど、社会が多様化し、情報化が進み、地縁・血縁といった家族や縁戚などの人間関係が極端に稀薄になった今日においても、この小説のいう人間の「自己中心」の本性だけは変らない。とすれば、知識が膨大化し、自由意識、個人意識があまねく浸透した2007年の日本社会では、人の心の奥底、男の意識、女の気持ちは、一体どのように変化しているのだろうかと、答えのない想像をしている。

 ただ、仮に、今の女性達ががお延のように、絶対の「愛」を求めてやまないならば、もっと、男女の破綻や離婚が増えているのではないかと思う。おおかたはどこかお秀のように、現実と折り合いをつけながら、つまり、愛とか心の問題はひとまず脇に置き、経済的満足とか、趣味や子どもへの関心などで、やりすごしているのだろう。

 さて、個人的感想だけでは、あきたらないので、その道の権威による「明暗」に関する評論を、あらためて抜書きしてみることとした。幸い、漱石に関する評論・解説はその気になれば、実に豊富なのがありがたい。整理の都合上、原著の引用で、舌足らずあるいは曲解あるかもしれないが、あえて、漱石ファンの目に止まったときの参考にと、下記に、紹介してみたい。

  <「明暗」評論ー抜粋>

江藤淳

「決定版 夏目漱石」

     「明暗」の作者は「老辣無双」と芥川龍之介は云い、小宮豊隆は「即天去私」を主張した作品であるという。

     登場するお延、お秀、吉川夫人などの女性達は強烈な個性、我執を持つ。その吉川夫人を狂言まわしにて、物語は進む。

     中でも津田の妻お延は、女性の眼に映じた絶対の「愛」を求めてやまず、「個人」もしくは「家庭」を代表する。対してお秀は日常生活にの中に没入した相対的な「愛」を、旧来の「家」もしくは「家族」を代表する。

     津田は彼女達よりはるかに俗物才子である。知的な自己満足的な「紳士」であるが、共感力、想像力を極端に欠いた人間である。

     小林という人物を、上層中流階級の女性中心の「自然」の外縁に配置して、「社会」の視点から、物語を二重の構造で捉えている。

石原千秋

「漱石と三人の読者」

     それまでの漱石の小説の主人公が学生か「高等遊民」か教員を含む役人であったのに比べ、「明暗」の津田は、はじめてとびっきりの俗物である会社員として設定されている。

     これまで(三四郎、行人、それから等)は「女は同時に二人の男を愛することが出来るか」という「女性嫌悪」の漱石の感性が透けて見えていたが、「明暗」では、津田の妻お延の側から夫がはたして「比較」を超えた「絶対」の「愛」で愛しているかと問いかけ、はじめて女の側からの問いを書こうとしている。

     津田は会社の社長である吉川への配慮、清子への未練、お延は実家同様の岡本が大事、夫である津田に見える女の影という、お互いの「秘密」を隠している。だが、お互いにそれらを「堂々たる秘密」として、他に見せたがっている心理作用にも支配されている。

     他人の目に晒されているほんとの顔の表面は、自分の意識では統御できない。意識は内面に現れ、無意識は外面に現れる。

秋山豊

「漱石という生き方」

     津田は自分が傷つくことを恐れ、贅沢好みで、個性のはっきりしない、自己意識が強いばかりの人物として描写されるが、多くの読者は自らを津田と重ね合わせるにちがいない。

     津田は痔疾の最初の発作が突然前触れなしに襲ったことを思うと、突然の変化は肉体だけでなく精神界で起こると思い至る。清子の突然の心変わりもそうではないか。「本当のところはわからないが、其の変るところを己は見たのだ」と心のうちで思う。

     津田は湯治場の宿で、清子に対する物足りなさを自分の対面が傷つくような修羅場を避けて、その物足りなさから解放されたいと、虫のいい思いを抱きながら、清子と対面する。

小森陽一

「漱石を読みなおす」

     痔の疼痛のような肉体の「変」は不意打ちのように「全く知らずにいる場合」さえ起こる。それは「精神界でも同じで、いつどう変るか分からない」。

     なぜ突然恋愛関係にあった清子が自分を拒んだのか。同時に津田は清子との恋愛が崩壊した後に「結婚」したお延を自分が選んだ理由と原因を意識化できない。疼痛をめぐる記憶の蘇りにより、「精神の変」、「清子の側の変」と、「お延と結婚した自分の側の変」が同時に想起された。

柄谷行人

「漱石論集成」

     「明暗」では誰が主人公だということはできない。単に沢山の人物が登場するからではなく、どの人物も互いに“他者”との関係におかれていて、誰もそこから孤立して存在しえず、彼らの言葉もすべてそこから発せられている。“他者”とは私の外にあり、思い通りにならず見通すことの出来ない者であり、しかも私が求めずにはいられない者のことである。

     それまでコケティッシュで寡黙であり、謎として彼岸におかれていた女性像が、主人公として活動する。さらに、これらの「余裕」のある中産階級の世界そのものに対して、異者として小林が闖入する。「明暗」は、知的な中産階級の悲劇に終始したそれまでの作品に対して、それを相対化してしまうもうひとつの光源をそなえている。

     「明暗」には多種多様な声=視点がある。それは人物達ののっぴきならない実存ときりはなすことができない。どの人物も“他者”との緊張関係におかれ、そこからの脱出を激しく欲しながらかえってそこに巻き込まれてしまわざるを得ない多声的な世界を、「明暗」が実現している。それは一つの視点=主題によって“完結”されてしまうことのない世界である。

吉田精一

ちくま文庫「明暗」の解説

     「明暗」は問題の多い作品である。漱石の全作中でも、これほど論議の対象となっているものはない。一つにはそれが未完であるために、その後の開展がどのように終結するかという、推理小説めいた憶測が行われているためであり、また一つにはこの作品執筆中の漱石が、「即天去私」ということばを口にしていたことから、それとの関連に付いての論議があって、にぎやかなのである。

     漱石が「即天去私」というイデーについて語ったのは最晩年大正511月以降の三回とみてよい(同年129日没)。しかしそれ以前から東洋的、禅的な志向に傾斜してきたことは事実である。あるいは漱石は「明暗」を書きながら、このイデーの地固めをして行ったのかもしれない。

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2007年8月 7日 (火)

「明暗(夏目漱石)」(その1)

Meiann  暑気払いになるのかどうか、クーラーを目いっぱい利かせて、漱石の「明暗」を再読した。未完のこの漱石の最後の小説については、その結末が不明なこともあって、その評価も百家争鳴で、芥川龍之介が「老辣無双」と云い、小宮豊隆が「則天去私」を体現した作品と主張したとか、なかなか、一筋縄では理解しがたいけれど、読むたびに新たな発見や興味が出てくる。

 いろいろな読み方があるそうだが、この小説がわずか10日~2週間ちょっとの間の出来事で成り立っている。そこにインテリ会社員である津田、その新婚間もない妻であるお延、津田の上司である吉川と吉川夫人、津田の叔父の藤井、妹のお秀、お延の親代わりである岡本夫妻と長女の継子、津田の友人である無頼の小林などが、劇場芝居よろしく、互いののっぴきならない関係の中で、縦横な会話をくりひろげる。そして最期にこの物語の陰の主役である清子、実は、津田がお延と結婚前に付き合っていて、突然別の男に嫁いでしまった女性が登場して、さてどうなるかと盛り上がったところで、漱石自身が亡くなって、永遠の未完作となってしまった物語。

 冒頭の通り、この小説の読み方について、これまで、江藤淳、秋山豊、柄谷行人、小森陽一、石川千秋などなどの漱石研究者の評論を拾い読みしているが、未だに、自分としての核心はつかめていない。いずれ、もう少し何かまとまったところで、それらについて、書ければと思っているが、とりあえず今日は、「明暗」の14日ほどの経過を、下表に辿ってみた。「明暗」をお読みになった方なら、「そういえばそんな感じだった」と、思い当たっていただけると思う。

 <「明暗」の14日間>

  

1日目

津田:病院で痔の診察。「穴が腸まで続いている。根本的治療が必要」。お延の待つ自宅へ帰る。

2日目

津田:勤務先で吉川と。吉川宅に夫人を訪問。

お延:津田との会話で津田の父の送金停止を知る。

3日目

津田:勤務先で吉川と。病院の待合室。

お延:帰宅した夫に病院用のどてらを渡す。

4日目

津田:叔父の藤井宅。先客の小林と酒場へ。

お延:夜帰宅した夫を締め出す形になり怒りを買う。

5日目

津田:入院・手術。盛粧したお延が同行。

お延:病院のあと芝居へ。幕間に吉川・岡本夫妻同席で従妹の継子の見合いに立ち会う。

6日目

お延;叔母の岡本宅へ。帰宅後小林の来訪を下女から聞く。

7日目

お延:小林が自宅に来て外套を持ち帰る。

津田:病院にお秀が来る。お延も来て鉢合わせ。

8日目

津田:病院に小林が来る。入れ替わりに吉川夫人。「清子の消息」を聞き「温泉療養」を勧められる。

お延:お秀宅を訪問。その後病院へ向うが途中で自宅へ取って返す。

9日目

津田:お延が病院へ来る。温泉療養をお延に告げる。

   医者がガーゼの交換。順調な病後。

10日~11日目

津田:お延とともに退院。

12日目?

津田:銀座で小林と洋食レストラン。

13日目

津田:同行したいお延を振り切って湯治場へ。

   夜、旅館の廊下で迷った挙げ句清子と遭遇。

14日目

津田:清子の部屋で二人は再会。

………漱石絶筆で未完………

 「明暗」については、このあとも、折にふれ書き続けてみたい。

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2007年5月28日 (月)

悪党芭蕉(嵐山光三郎)

Akutoubasho  この本の帯のコピーに、「『奥のほそ道』の芭蕉と曽良の彫像は至る所にあり、その句碑はそこかしこに作られている。芭蕉は「俳聖」という商品と化してしまった。しかし、その弟子たちは、裏切り者あり、斬殺犯あり、流罪者ありのトンデモナイ危険人物ばかり。そして、蛙の飛び込んだ『古池』は、枯淡の聖なる池ではなく、ゴミも浮いている混沌の池だったーー神格化され、<宗教>となった芭蕉の真実の姿を描く、画期的芭蕉論」とありました。

 題名が奇をてらったのかやや品がない感じですが、芭蕉本人と、その弟子や後援者の人間関係が丹念に書かれていて、どこまでが史実なのか、いろいろ議論も出てきそうですが、これまでにない芭蕉の一面が理解できる本でした。

 この本に出てくる芭蕉を巡る主な人たちを、リストアップしてみます。

  • 江戸:杉風(魚問屋)、基角(俳諧師)、曽良(長島藩士・神官・幕府巡見使)、嵐雪(浪人)、素堂(甲斐の素封家縁者)、原安適(歌人)、寿貞(妾?)、桃印(猶子)、桃隣(甥?)、素龍
  • 名古屋:荷兮(かけい・医師)、杜国(万菊丸・米問屋)、野水(呉服商)
  • 美濃:支考、惟然(風羅念仏僧)
  • 大垣:木因(船問屋)、如行(大垣藩士)、越人(染物屋)、荊口父子(大垣藩士)、前川子(大垣藩士)
  • 近江:洒道(珍碩・医師)、曲翠(膳所藩士)、路通(身元不明)、許六(彦根藩士)、丈草(犬山藩士)、正秀(膳所本多家臣)、木節(医師)、乙訓(近江商人)、
  • 京都:去来、凡兆(医師)
  • 伊賀上野:半左衛門(兄)、蝉吟(藤堂義忠)、土芳(伊賀藩士)、半残(藤堂家藩士)、
  • 大坂:子道(薬雑貨商)、車庸(商人)、素劉(阿波藩浪人)

 私の芭蕉の周辺の人々の知識は、これまでせいぜい「奥の細道」に随行した曽良くらいだったが、この本によって一挙に広がりました。更にその人たちが、武士、商人、医師と生業を持ち、しかも米の空売り、その他で罪科に問われた人もいるなど、様々の顔を見せながら、芭蕉と交わり又別れていった、いわゆる「蕉門」の人間臭さがよくわかりました。芭蕉は親分肌で、面倒見もよく、一方で好き嫌いもはっきりしていたようですが、いつの世も変らない人間の「俗の世界」を色濃く演じる一方で、後世に残る俳諧芸術の境地を極めていったことは、それだけ「俳諧」への信念が強固だったと云うことと思えます。

       旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

と辞世の句を残した、最後の大坂における芭蕉とその弟子達の臨終の病床風景や、近江の義仲寺に遺体を運んでいく場面は、映画を見るように書かれていて、緊迫感がありました。

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2007年5月25日 (金)

老いを生きるヒント(荊木裕:平凡社新書)

Oiwoikiruhinnto  1927年生れの、横浜で医院を開業するかたわら養護老人ホーム、特別養護老人ホームの嘱託医をされている著者が、おおむね70代後半くらいになったら、肉体的にも精神的にもどんな風になるのか、そのときの人間関係は、どんな風になるのかを、自身の日常感覚や医療体験で、わかりやすく書かれた本でした。

 2001年の初版で、かなりの期間積読にしておいたものを、なにげなく取り出して読み進むうち、自分の近未来がそのまま見えてくるようで、やや淋しいやら、目からウロコやら、それにもまして読み終わって、これまで他人事と思っていた事実を認識できました。

  紹介されている本の内容と目次をコピーします(セブンアンドアイー本ーより)。特に、目次の第4章、5章は、時々開けて自らをCheckしたい内容です。

<本の内容> :
「老人」とか「老いる」ということに、どこか暗いイメージを持っていませんか?善意で、老人の自立を妨げてはいませんか?本書の舞台は、とある老人ホーム。酒も涙も恋愛も、人生てんこ盛りの老人ミニ社会を通して、医療と介護の原点を見つめ直す一冊。老いの常識をくつがえせ!老医による「じじばば人間学」入門。

<目次>
第1章 じじばば国の人間模様
第2章 「老いる」を理解する(老いと障害、老人ホーム事情、介護の本質とは何か)
第3章 じじばば国の医務室から(老年病を考える、じじばば国の医務室から)
第4章 自分でわかる「老いのサイン」(老人のつぶやき、鏡と対話する、トイレでチェック   ほか)
第5章 老いを生きるために(視覚と聴覚の衰え、味覚の低下を補う工夫、町に出るということ)

(追記)巻末付録の「血液検査表からわかること」が、役に立ちました。健康診断などで検査表をもらうことが多くなりましたが、つい、詳しい見方がわからず、そのまま放置していたのが、この付録を参照することで、自分の身体の状況が、よくわかるようになりました。

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2007年5月23日 (水)

子どもにつたえる日本国憲法(井上ひさし)

Kodomokennpo  憲法改正に関する「国民投票法」が成立するなど、憲法論議がさかんになって来ました。例年憲法記念日前後だけで、いつしか消えてしまう憲法の話が、これまでとは、少し違ってきたようです。

 そういう報道の中で、井上ひさしさんが書かれた「子どもにつたえる日本国憲法」という本があると知って、図書館の児童室から借りてきました。いろいろ考えさせられました。

<もう二度と戦(いくさ)はしない(第九条)>……の部分を引用してみます。

  • 私たちは、人間らしい生き方を尊ぶという まことの世界をまごころから願っている
  • 人間らしく生きるための決まりを大切にする おだやかな世界をまっすぐに願っている
  • だから私たちは どんなもめごとが起こっても これまでのように、軍隊や武器の力で かたづけてしまうやり方は選ばない
  • 殺したり殺されたりするのは 人間らしい生き方とは考えられないからだ
  • どんな国も自分を守るために 軍隊をもつことができる
  • けれども私たちは 人間としての勇気をふるいおこして この国がつづくかぎり その立場を捨てることにした
  • どんなもめごとも 筋道をたどってよく考えて、ことばの力をつくせば かならずしずまると信じるからである
  • よく考えぬかれたことばこそ 私たちのほんとうの力なのだ
  • そのために、私たちは戦(いくさ)をする力を 持たないことにする
  • また、国は戦うことができるという立場も みとめないことにした

 憲法前文と第九条を、小学生にも読めるようにやさしくしてみたというこの本は、大人にとっても、今の憲法、さらに、現行の憲法問題と根っこから向き合うにあたって、含蓄に富んだ読み物だと感じました。

 これから、徐々に憲法に関する論議や宣伝が増えていき、私たちひとりひとりが、憲法を考え、日本という国がどうあるべきか、この社会をどのようにするべきについて、考える機会が多くなると思いますが、その出発点として、たいへん解りやすく、それだけに、考えさせられる本でした。

<関連記事>1月14日付「日本人のための憲法原論」http://kijuro27.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a31.html

<関連記事2>2月6日付「美しい国へ」http://kijuro27.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_9c6b.html

 

  

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2007年3月29日 (木)

雁 (森鴎外)

Photo_20  漱石をいったん脇において、鴎外を読みました。再読です。(写真は岩波文庫ですが、実際には「ちくま文庫」の森鴎外全集4で読みました)。

<あらすじ>生まれてすぐに母を亡くし、貧困の中で父親に育てられたお玉は、高利貸末造の妾となり、上野不忍池にほど近い無縁坂にひっそりと住んでいる。やがて、散歩の道すがら家の前を通る医学生岡田と会釈を交すようになり…。鴎外の哀感溢れる中篇。

 鴎外にしては、大変読みやすい。登場人物はお玉のほかには、学生の「僕」と友人の岡田、お玉を妾にとった旦那の末造(実は岡田たちの大学の小使いから高利貸しに出世している)、末造の妻お常、お玉の父親などごく限られた人たち。また、お玉・お常それぞれの女中が時折顔を出す。そして舞台は明治末期の東京上野、湯島、神田、本郷界隈と、かの有名な無縁坂。わたしも土地鑑のあるところで、登場人物と重なりながら、あの辺を行ったり来たりしている感じでした。

 貧しい生い立ちのお玉が、意に沿わない性悪の警察官の男との結婚に失敗して、そのあとは、父の心情やら自らのおかれた立場を悟って、健気にも妾になる決心をする。しかし時を経て、安穏な生活を送り始めた父親への親孝行、岡田への秘めた恋、ときには女として放恣な官能を夢みる、一方で高利貸しの妾と云う世間への負い目など、実にせつないのですが、このへんを鴎外の筆は、さらりさらりと描いていきます。無縁坂を散歩する僕と岡田にとっては、お玉はなんとも気になる女性です。

 そのなかで、いくつか、鴎外の女性描写の文章で、印象的なことを抜書きしてみます。

  • 女はどんな正直な女でも、その時心に持っていることを隠して、外の事を言うのを、男ほど苦にはしない。そしてそう云う場合に詞数(ことばかず)が多くなるのは、女としてよほど正直なのだと云ってもよいかもしれない。
  • 気が利かぬようでも、女は女に遭遇して観察をせずにはおかない。道で行き合っても、女は自己の競争者として外の女をみると、ある哲学者は云った。(キルケゴール:女という者は、自分の前を通ったよその婦人が自分に注目したかどうかを直感的に悟るすべてを心得ています。というのも、女が身を飾るのは、ただただ他の婦人たちのためだからです)。
  • 一体女は何事によらず決心するまでには気の毒なほど迷って、とつおいつするくせに、既に決心したとなると、男のように左顧右眄(右顧左眄ではない)しないで、目隠しを装われた馬のように、向こうばかり見て猛進するものである。思慮のある男には疑懼(ぎく)を懐(いだか)しむる程の障害物が前途に横たわっていても、女はそれを屑(もののくず)ともしない。それでどうかすると男の敢えてせぬ事を敢えてして、思いの外に成功することもある。

 小説の中では、このほかに、末造の妾遊びが妻のお常にばれてしまうのですが、それを夫に問い質すお常のせつない気持ち、一方、なんのかのとお常の愛情をいいことにその弱みに付け込んで、妻をはぐらかす末造のセリフ、その掛け合いが秀逸でした。中年男の末造は若いお玉にいい格好をして楽しんでいるのですが、実は糟糠の妻にも、優しい気持ちを持ち続けている、なんの不足があるものか、といい気なもの。時代は違っても、現代の夫婦の揉め事にも、変らぬ風景があるのではと思われました。もっとも、当時と比べれば、いまは妻の発言力・経済力が飛躍的に強くなり、かたや男はすっかり意気地がなくなって、このようなほほえましい心の通い合いは、私の時代おくれの郷愁に過ぎないのでしょう………。

Toshinn11  結末は、お玉の思いもむなしく、恋しい岡田はドイツに行ってしまいます。お玉があまりに可哀相と同情するのも束の間、大団円では、その後、どういういきさつか「僕」とお玉が知り合い?になっています!?。人間万事塞翁が馬というところ。このあたりは、「男はつらいよ」で、一時寅さんや、満男クンといい感じになったマドンナや満男クンの若い恋人が、結末のところでは、別のいい男とすっかり幸せそうに腕を組んで登場するのに似ていて、めでたくもほほえましい。なかなか味のある小説でした。(写真は今の神田川と丸の内線、御茶ノ水駅あたり)。

 関連記事:鷗外作「半日」2009年1月12日

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2007年2月25日 (日)

ひとり日和(青山七恵)

Hitoribiyori  文藝春秋3月号で、第136回芥川賞受賞作「ひとり日和」を読みました。漱石とか芭蕉などのほかは、あまり興味を示してこなかったのですが、友人の「面白いよ」という言葉に乗ってみました。

 読み始めると、意外におもしろいし、深みもありました。「フリーター・ニート小説」というジャンルがあるそうです。日本の労働者5000万人のうち、非正社員が1660万人、3人にひとりの割合、なかでも15歳から34歳のフリーターは200万、ニート(若年無業者)は64万人といわれています(日経2/17付による)。

 この小説の主人公20歳女性もフリーター。高校を出て上京し、親戚のおばあさんの家に見を寄せてコンパニオン(昔なら出前酌婦)やキオスクの売り子をしながら生きていく。淡い恋、失恋、おばさんとの掛け合い、離婚した母親との葛藤、都会の孤独……などなどが、映画のように描かれておりました。

 杉並か世田谷あたりの京王線の駅のホーム間近の、ちょっと開発から取り残された路地の一軒家から、電車の動きやホームが見渡せる。映画「シャル・ウィ・Dance?」のダンス教室から見えるホームは、練馬あたりの所沢行きの西武線ホームの夜景だったが、この小説では朝とか昼間の情景………。23歳のこの小説の作家の描写は、映画を見ているように、巧みに読むものをひきつけてくれました。

 20歳のころ我々はどのような人生を描いていただろうか。高校・大学の入試をクリアして、都会へ出て、ともかく会社に入り込めば、賃上げ・終身雇用、あとは高度成長が人生を支えてくれるという、なんとなくの安心感のなかで、人並みより少し上の成功を目指して、頑張っていたように思います。「社畜」などという言葉も、いつか聞かされていましたっけ。

 今の時代はあきらかにそうは行かない。それだけに、主人公は、密かな盗癖や蒐集癖を満たしながら、誰にも頼らない自分の人生を模索しながら生きていく。彼女には手本となる両親、信頼できる先生や先輩も、親身になって話し合える友達もいないようだし、時間を費やさねばならない職場なのに、そこには自分を保証してくれる確かさは、ほとんど見当たらない………。今の若い人は大変だなとつい同情してしまいました。そんななかで、主人公は次のように実に健気なのです。

 ………できればこのまま若く、世間の荒波にもまれず、静かに生活していきたいが、そういう訳にもいかないだろう。それなりの苦労は覚悟しているつもりだ。わたしは、いっぱしの人間として、いっぱしの「人生」を生きてみたい。できるだけ皮膚を厚くして、何があっても耐えていける人間になりたい………。将来の夢、というのや、人生をかける恋、など、何も思い描けなくても、そういう望みのようなものだけはうっすらとあるのだった………。

 身の回りを見回すと、晩婚化の一方で若いお母さんも結構あちこちで見かけます。いわゆるできちゃった婚で、中には、その後うまく行かずに、苦労していたり、若い夫が荒れてドメスティック・ヴァイオレンスになったり、子どもの虐待などになったりの深刻な話を聴くことがあります。しかし、この物語の主人公は、意外に聡明でしたたか、離婚した母とは一歩距離をおき、自分のはるかな老後をおばあさんの中に投影したりして、これからの人生を、地道にしっかり生きていきます。時にはおばあさんに密かに意地悪を試み、それだけではおさまらず、老人虐待のはしりまでしそうで、脅かされてしまい、ボヤボヤしていると負けてしまう恐怖感に襲われます。

 もっとも最後のほうで彼女にとっては軽い乗りで、やや危なっかしい既婚の男と府中の競馬場に出かけてしまうのですが、どうか、1回だけしかない大切な人生を安売りしないで生きて行きなさいよと、願わずにはおれませんでした。

 さすが芥川賞受賞作だけに、時代をきらりと写し撮った印象的な小説でした。

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2007年2月19日 (月)

行人(夏目漱石)

Koujinn  漱石の後期三部作の「彼岸過迄」に続いて、「行人」の再読を終った。まずは、あらすじを振り返ってみます(漱石と三人の読者ー石原千秋著より)。

<あらすじ>「友達」お手伝いのお貞の結婚相手を見るために関西に旅行した長野二郎は、胃潰瘍で入院した友人の三沢を看病することになったが、美人の患者をめぐって妙な暗闘を感じた。「兄」母と、大学教授の兄一郎と直夫婦も関西に来たので和歌浦見物に出かけると、直が二郎を好いていると疑う一郎が、二人で一泊旅行をして貞操を試してくれと依頼した。日帰りのつもりが台風で一泊した二郎は、直から死の覚悟や意味ありげな言葉を聞いたが、何一つ答えることができなかった。一郎には、直の人格に疑うところはないとだけしか報告しなかった。「帰ってから」東京に帰ってからも一郎夫婦はしっくりゆかないが、二郎は詳しい報告をしなかった。一郎に強く求められて、再度彼の疑惑を否定すると、一郎は父と同じで信頼できない男だと激怒した。ついに二郎は家を出て下宿をした。「塵労」下宿を訪ねた直は、自分は立枯になるしかないという。二郎は兄の友人Hさんに、一郎を旅行に連れ出してもらう。Hさんは手紙で、一郎が自分は絶対だと主張し、このままでは死ぬか、気が違うか、宗教に入るしかないという苦悩を語ったと伝えて来た。

……… …………

 Mk_mapwakanoura あらすじにあるように、「行人」には、女中のお貞さんのこと、友人三沢のことなど、多彩な人たちの事件が、それほど深い関連もなく描かれていくが、中心は、主人公長野二郎の兄で大学教授の長野一郎、そしてその妻、つまり二郎にとっては嫂にまつわる話でした。中でも、兄弟・母・嫂の4人が、和歌の浦へ旅行する時のことが、ハイライトでしょう。私は和歌山は通りすぎただけで、是非一度訪ねてみたいところですが、地図で見ますと、彼らの観光先の和歌の浦、二郎と嫂が暴風雨に逢ってはからずも同宿することになる和歌山市街は目と鼻の先になることが解りました。

 それにしても一郎というのは、いまで言うDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)の典型のようで、自分から細君(嫂)との事について、次のような告白をしています(引用はいずれも「塵労」から)。

‥‥

兄さんはその細君の頭にこの間手を加えたと云いました。

「一度打(ぶ)っても落ちついている。二度打っても落ちついている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱり逆(さか)らわない。僕が打てば打つほど向(むこう)はレデーらしくなる。そのために僕はますます無頼漢(ごろつき)扱いにされなくてはすまなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、怒(いかり)を小羊の上に洩(も)らすと同じ事だ。夫の怒(いかり)を利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男より遥(はるか)に残酷なものだよ。僕はなぜ女が僕に打(ぶ)たれた時、起(た)って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでも好いから、なぜ一言(ひとこと)でも云い争ってくれなかったと思う」

……一郎は、ある部分漱石自身のことであるとも言われていて、そう、考えると、漱石先生自身も、実生活でDVの張本人であったことが十分想定されるのではないでしょうか?鏡子夫人の「漱石の思ひ出」にもそれらしい記述が、あったように記憶します。

 こういう一郎のことですから、次のような人物描写もおおいに、納得性がありました。

兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥(おちい)っています。兄さんには甲でも乙でも構わないという鈍(どん)なところがありません。必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合(いろあい)なりが、ぴたりと兄さんの思う坪に嵌(はま)らなければ肯(うけ)がわないのです。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際(きわ)どい線の上を渡って生活の歩(ほ)を進めて行きます。その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏み外(はず)さずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。しかしこれが兄さんのわがままから来ると思うと間違いです。兄さんの予期通りに兄さんに向って働きかける世の中を想像して見ると、それは今の世の中より遥(はるか)に進んだものでなければなりません。したがって兄さんは美的にも智的にも乃至(ないし)倫理的にも自分ほど進んでいない世の中を忌(い)むのです。だからただのわがままとは違うでしょう。

………… …………

 「行人」が書かれたのは明治末から大正はじめ頃で、現在と時代状況はおおいに違いますが、いつの時代にあっても、過度の思索や情報整理の混乱から、周辺への適応障害となる、コミュニケーション欠如の人間が発生することを、リアルに表現しているように感じ、長い引用をしてみました。

‥‥‥‥ ‥‥‥‥

 哲学者の山折哲雄さんは、“妻の貞操を疑いはじめた一郎が、そのことに呪縛され打ちひしがれて、地獄の底をのたうち廻る。そして最後に、狂気を発するか自殺するかというところまで追いつめられていく。宗教の世界にのがれようともがくが、それもかなわない”と、小説を振り返り、そのことが、“当時強度の神経衰弱に悩まされ、宿痾である胃潰瘍に苦しめられていた漱石自身に重なってくる”と、言っておられます(文藝春秋昭和16年12月特別版)。すざまじい内面葛藤が迫ってきます。

 このあと漱石は大正5年、最後の大作である「明暗」の執筆に取り組むのですが、しだいに胃潰瘍が悪化し、ついにこの年の12月9日、木枯らしの吹く寒い夕方永眠しています。

………… ……………

 

 この小説には、ほかにも実に数多くの含蓄に富んだ場面が出てくるのですが、とりあえず、最近話題のDVとの関連に焦点をあてたメモを作ってみました。

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  • Koujinn1<追記>2009年9月5日の日経新聞夕刊の「文学周辺」で、「行人」をテーマにして、和歌の浦周辺が紹介されていました。
  • ……兄が実の弟に、自分の妻の操を試してくれと頼む。夏目漱石「行人」のクライマックスとも言えるシーンが展開されるのは、和歌山市の和歌の浦周辺だ……いま、あらためて和歌の浦の現場に立ち、登場人物の立場を想起しながら、小説を振り返り、その頃の様子を回想しています。
  • 「この辺りに漱石の泊った望海楼と、東洋第一海抜200尺のエレベーターがあったんです」……土地の人の案内もあって、楽しい文章です。記事をクリックして拡大すれば、読めるかもしれません。
  • ここ半月ほど、このblogのアクセスでこの「行人」が、抜群に多く、トップを占めています。この記事を書いたのは,2007年2月で、いまなぜアクセスが多いのかよくわからないのですが、そうこう思っているうちに、この日経記事が掲載されたので、追加で記事にしてみました。
  • Koujinn2

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2007年2月 6日 (火)

美しい国へ(安倍晋三)

Abeutukusiikuni  小室直樹の「日本人のための憲法論議」を読み、安倍首相が憲法をどのように考えているかが気になり、まずはキャッチフレーズの「美しい国」なるものが何を指すのか、確認してみたいと考えました。

 昨年総裁選挙前に書かれたもので、首相就任後、当時の主張をいくつか軌道修正していると報じられていますが、一読して、この人はずいぶん(といってはたいへん失礼ですが)真面目に、日本のことを考えていると感じました。もっとも「美しい国」の実像が、どのあたりあるのか、よく見えたわけではありません。支持率低下も、その言葉のわかりにくさ、ご本人の煮え切らなさにあるのかもしれませんし、「自民党をぶっ壊す」「民で出来るものは民へ」の単純明快さに比べると、割を食っているともいえましょう………。

 本の中にこんな表現があります………戦後日本は、六十年前の戦争の原因と敗戦の理由をひたすら国家主義に求めた。その結果、戦後の日本人の心性のどこかに、国家=悪という方程式がビルとインされてしまった。だから、国家的見地からの発想ができない。いやむしろ忌避するような傾向が強い…………。

 別のところでは………日本では、安全保障について考えることは、すなわち軍国主義であり、国家は如何にあるべきかを考えることは、国家主義だと否定的にとらえられたのである。それほど戦前的なものへの反発は強く、当時の日本人の行動や心理は屈折し、狭くなっていった………とも言っています。

 私にとって安倍氏は、自分より若い世代の初めての首相です。小泉前首相までの歴代の首相にはなかった、世界観、国家感、日本人感が感じられます。米国とのつながりを基本にしつつも、中国、韓国、アジア諸国、そしてインド、ヨーロッパなど、これから21世紀に日本が国際社会の中で、真に世界に通用する独立国家たらんとするための夢というか、使命感に駆られているように思えます。その意味で、郵政民営化を筆頭に、既存秩序との対決を一大テーマにした小泉前首相とは、思考のベースにおいて異なった指導者であるように思えました。本のあちこちに、「国家」を強く意識している点で、岸元首相・安部晋太郎元外相につながるDNAを感じます。初の「戦後生まれ」の首相でありながら、先祖がえりしている部分がありますね。

 第七章「教育の再生」は、安倍氏の強い思いが、この本の中でも最も生き生きして語られています。逆にいえば、それまでの叙述は、平板で迫力不足の感ですが、こと「教育」に関しては、力が入っています。その中で、イギリスのサッチャーの教育改革にかなりの影響を受けたくだりがありますが、このことは、私にとっては初めての認識でした。

Sattaya1  そこで、積読にしておいた1993年の「サッチャー回顧録」を取り出してみたのですが、たしかに、その下巻に、彼女の取り組んだ教育改革が出ていて、教師の問題、カリキュラムの問題、歴史教育、教育バウチャー制度などなど、今取り上げられている様々の先達があることが解りました。

 話はさらにそれますが、サッチャー氏が退任後回顧録の紹介も兼ねて来日された時、たまたま、帝国ホテルのエレベーター入り口で至近距離ですれ違いました。その日、2時間ほどの迫力満点の講演を身近に聞いた事が思い出されますが、張りのある澄んだキングス・イングリッシュの熱弁から繰り出されるオーラに、私はじめ聴衆はただただ圧倒されていました。安倍氏のこれからに期待したいのですが、サッチャー女史の貫禄は別格の感じでした。

 本題にもどりますが、「美しい国」といわれても、いったい何のことやら、皆目見当がつかなかった安倍氏の考え方が、この本を読んでどうにかおぼろげながらわかったような気がしました。

 内閣発足以来ここまで、「生む機械」発言まで飛び出して、迷走しているし、また、「国家」一点張りで走り出す危険因子の懸念を拭うことは出来ません。新首相にそれらを封じ込める気概と指導力があるのか心配ですが、ここは新しい世代の首相に新時代の日本の舵取りを付託することが賢明ではないかと感じた本でした。残念ながら対立軸を示すべき民主党が古臭いこともそう思う背景です。

 『わたしには子どもがいない。だからこそよけい感じるのかもしれないが、家族がいて、子どもがいるというのは、損得勘定抜きでいいものだなあ、と思うことが良くある』との述懐が少子化を論じた文章の中に出てきますが、安倍氏の正直な人柄が偲ばれました。

 最後に憲法論議との関連で言えば、国民投票法案にしても、その先の憲法本体の論議にしても、ぜひ、「正しい」憲法認識を、より広く根気強く浸透する努力を怠らないよう、期待したい。そうでないと、仮に新しい憲法が出来上がったとしても、生かされないだろうから。

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2007年1月30日 (火)

彼岸過迄(夏目漱石)

Higannsugimadeshohann_1  漱石を読むシリース、今回は「彼岸過迄」です。明治45年1月2日から4月29日まで朝日新聞に連載されました。まずは、あらすじを振り返ってみます。

…………あらすじ…………

「風呂の後」就職活動に疲れた田川敬太郎は、風呂の後に同じ下宿の森本からおもしろい昔話を聞くが、彼はその後満州へ夜逃げしてしまった。「停留所」友人の須永市蔵から叔父の田口を紹介してもらった敬太郎はある男の探偵を命じられるが、男が若い女と会って食事をしたという以外に、たいした情報は得られなかった。「報告」田口にロクな報告のできなかった敬太郎は、その男に直接会って話をすることになった。それは松本という須永のもう一人の叔父で、高等遊民として暮らしていた。女は、田口の娘千代子であった。「雨の降る日」松本は雨の日の来客中に、愛娘を急死させた経験があった。それ以来雨の降る日には人と会わないのだと、千代子は語った。「須永の話」須永は千代子とは許婚のような関係にあったが、田口は許す気がない。須永も「恐れない女」と「恐れる男」との結婚を望んではいなかった。しかし、高木という男の出現に嫉妬を感じた須永は、愛してもいないのになぜかと千代子に激しく難詰された。「松本の話」須永は親戚の中にあって孤独を感じていた。松本はそれは実は、彼が母ではなく小間使いの子だからと秘密を明かした。(漱石と三人の読者より)。

………… ………… ……………

 Higannsugiotyanomizu 「彼岸過迄」には、明治末期の東京の様子があちこち出てきますが、そのうち、まずは「小川町」。敬太郎が田口から「今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って小川町の停留所で降りる四十格好の男を、探偵して報知しろ」と命じられて、小川町の停留所を、あれこれ見張る場所。じつは会社時代私はこの周辺に事務所があり、長年仕事をした場所で、わが某銀行の預金通帳も未だにこの銀行の小川町支店(いまは統合で神田支店といっています)のものなのですがーー。

 いま手元には、小川町交差点そのものの写真はありませんが、すぐ近くのお茶の水聖橋からみた神田川と地下鉄丸の内線の様子をピックアップして見ました。小説とは直接関係ありませんが、漱石の頃、ハイカラなビジネスの中心地域だったのでしょうか。この小川町は、石田波郷が、「バスを待ち大路の春をうたがはず」と詠んだ場所でもあります。いまは市電はとっくに姿がありませんが、銀行や証券会社、大小のスポーツ店や楽器店がぎっしりならんだ街並です。そういえば、小説の実質の主人公須永の家はこの付近の大通りから少し入ったところとの設定でした。

Keidai_1  もうひとつの舞台は柴又の帝釈天。「須永の話」のなかで敬太郎と須永が帝釈天におまいりして、川魚料理の「川甚」で食事をして、そのあと、柴又の停車場に行くのですが、汽車の発車時間に間があって、すぐそこにある茶店に入って休息します。その茶店で長い長い須永の話が語られるのです(漱石は語り始めがその茶店であることは触れられいるのですが、話のあとその茶店を出たことは、全く書かれていません)。写真は、ことし正月初詣に行った帝釈天の境内。漱石は「柴又の帝釈天の境内に来た時、彼らは平凡な堂宇を、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た」などと、実に不遜な表現でかたづけています。

Enosima_1  最後に小説の舞台をもうひとつ、鎌倉。須永の話に出てくる千代子をめぐる恋敵高木が登場する場所で、その別荘や千代子・須永・高木たちが漁師の案内で蛸吊りに出る船宿が鎌倉のどの辺にあったのかは特定されていませんが、写真の江の島からもそれほど、遠くなかったことと思います。そういえば、「こころ」での私と先生の冒頭の出会いも鎌倉の海水浴場でした。

 漱石の小説には、東京はじめ、京都、鎌倉、湯河原、熊本、松山,大阪、和歌の浦などなど、おどろくほど詳しい実際の地名が登場し、その場所を想像するだけでも、楽しい気分になります。三四郎が熊本の第五高等学校を卒業して東京帝国大学に入学するため上京の途中、女に誘われて同宿してしまうのは名古屋でした。

………… ………… …………

 さて、本来の小説を読んだ感想を書かねばなりません。小説の構成は大学を出たばかりの敬太郎が同年輩の須永、その叔父の田口、松本、そして、田口の娘で須永の出生の時から須永の母が許婚と頼んだ千代子の人柄や悩み、彼らの織りなす人間模様を点描していくのですが、私は、漱石の多くの小説を読むことで、人生に種々生起するできごとを、以前に比べて客観視して眺めるようになった気がします。特に、この「彼岸過迄」を読むうちに、世の中のいろいろの出来事を、我が身に置き換えて捉えていた直線的な考え方から、もうすこし距離をおき、これら人間模様を突き放して見る視点に変化しているように、感じるのです。

 この小説にも出てくる松本や須永の「高等遊民」、じつは敬太郎もそうなんですが、「人生とは何か」「人間とはどういう存在なのか」「何のために仕事をするのか」などなどを、いつも懊悩しながら思索をめぐらしている人たち、さらに、それをとりまく千代子のような「恐れない女」の描写を読みながら、例えばひたすらビジネスでの成功を望んだり、時間が出来ればあたふたと旅行をしたり、あるいはグルメに飛びついたり、はたまたスポーツジムに忙しく通ったりしている現在の我々の生活が、いったい、何ほどのものなのかと反省したりしています。

 いささか冗長かつ意味混迷の読後感になりましたが、とりあえず「行人」へ読みすすみながら、この点につき、もう少し深めてみます。

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2007年1月14日 (日)

日本人のための憲法原論(小室直樹)

Komurokenpou  安倍首相が「任期中に憲法改正をめざしたい」と表明し、夏の参院選挙の争点にもとりあげられそうな雰囲気と報じられていて、また、「国民投票法案」が通常国会で具体的に審議されるとも言われます。けれど、憲法といっても、今の自分にとって直接の利害になるわけでもないと、他人事のように思っていたのが正直なところでした。

 この本は昨年5月の「憲法シーズン」のころ、一度憲法を勉強してみようと買い込んでおいて「積読本」にしておいたものですが、この正月休にひととおり読み終えました(集英社インターナショナル社、2006年3月刊)。

 第九条をどうするのか?、護憲か改憲か?というような、単細胞的な憲法論議ではなく、「憲法とは、西洋文明が試行錯誤の末に産み出した英知であり、人類の成功と失敗の経緯(いきさつ)を明文化したものである」という「憲法原論」を、一問一答形式で、たいへんわかりやすく、かつ興味深く説き明かしていて、目からウロコ の本でした。

Jonnrock  憲法は「民主主義」と「資本主義」が前提であり、日本の現状はそのいずれもが形はそのようになっていても、実態は「官僚独裁」「社会主義」であり、日本国憲法は「死んでいる」と著者は認識しています。真に憲法を理解するために、「予定説」「社会契約論」というような、昔自分が、中学だか高校でならったようなところから、歯切れよくわからせてくれました(写真は17世紀に社会契約論を唱えたジョン・ロック)。

 よく「今の憲法は占領軍に押し付けられたもので、日本人が造ったものではない」と言われていて、たしかにその通りですが、戦後60年を経て、ここまで平和ボケし、教育が崩壊し、自由と平等が本来の意義とはかけ離れて一人歩きしているわが国の現状を考えると、自らの手で憲法を作る(あるいは改正する)ことが、実に遠大かつ殆ど困難な状況ではないかと、気付かせてくれました。

 「憲法」というものが、自分にとっても「日本という国の存立」にとっても、極めて大事なことが、今さらながらよくわかりました。いささか、初歩的な読後感で、気恥ずかしい思いです。一方で、「こんな日本に誰がした?」といささか不謹慎な思いもしています。

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2007年1月 9日 (火)

博士の愛した数式(小川洋子)

Photo_17  映画「博士の愛した数式」を見、「ぼくの記憶は80分しかもたない」という数学者と、その家政婦母子の交流のすがたが強く印象に残りました。原作も是非読んでみようと、芥川賞を受賞した小川洋子の同名の小説を、映画のあとすぐに買い求めて、一気に読んでしまいました。

<映画の解説> 50万部を超えるベストセラー小説を原作に、『雨あがる』『阿弥陀堂だより』の小泉堯史監督が映画化した感動のヒューマンドラマ。交通事故で記憶が80分しか続かない天才数学者の主人公を、小泉監督と3度目のコンビとなる寺尾聰が静かに力強く熱演。彼の世話をする家政婦に深津絵里、彼女の10歳の息子に子役の齋藤隆成。家族にも似た関係性の中で人を愛することの尊さを問いかける。彼らの心の機微を美しく切り取る映像美も味わい深い。(写真、解説ともallcinema ONLINEより)。

 ………… ……………

 記憶が80分しかもたないことを本人は自己認識していて、その悲運を乗り越えて必死に生きている数学者、ただただ、数学の真理を証明することに、きょう生きている証を求める真剣な姿が痛々しい。しかし、その純真な姿と、数学の世界の奥深さに接した家政婦母子が、博士の内面を慮り、いっしょうけんめい世話をしながら、母子ふたりも成長していく映画の流れを、素直に受け容れながら、見終えました。寺尾聡の静かな演技、深津絵里のたくましくも瑞々しい家政婦ぶり、そして母親ぶりが、見事でした。

Hakasesuusiki  小説の方では、博士、家政婦、そして10歳の子供(ルート)の交流を、素数、友愛数、完全数などなどの、自分もむかし確かにならった数学のあれこれを、映画では出来なかった反復しながらの読解で辿りながら、読みすすみました。(平成17年1月新潮文庫)

 阪神タイガースの江夏豊の活躍とその時代をフラッシュバックさせる、実に巧みなバックグラウンドを織り交ぜて、読ませてくれる小説家の技の冴えに、ただただ、舌を巻いてしまいました。江夏の背番号28は「完全数」だという発見も織り込まれていて、納得しました。

 男と女、老いと若さ、大人と子供と人それぞれに違いはあっても、人を愛すること、他人の苦しみや、他人の人生を尊び、人間同士が触れ合っていくことのすばらしさ、他人の立場を理解しながらを丁寧に生きていく事が、結局は自分の人生も豊かにすることを再認識できたように思います。

 私のことですが、高校時代お世話になった先生が数学専任で、当時は事情があって一時大学の研究室を離れて地元の高校の教壇に立っておられたのです。日常指導で大変お世話になったのですが、なんといっても、先生が数学について語られるときの語り口の滑らかさ、眼の輝き、どこかこの小説にもあるような真理を探究する醍醐味に酔っておられたような記憶が今以て鮮烈です。先生はその後大学に戻られたのですが、いまもお元気のはずで、そのうちお訪ねして、当時の事や数学のことなど、お伺いできればと思いました。2年前にお会いした時、「神社の鳥居はなぜあのように安定して立っているのか」についてのお話がありましたが、その後、研究がすすんでいるのか、お訊きしてみたい。

 ところで、映画の解説にある小泉堯史監督の、『雨あがる』『阿弥陀堂だより』も、引き続いて見てしまいました。いずれも爽やかな印象を与えてくれました。

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2007年1月 5日 (金)

「門」、そして鎌倉(夏目漱石)

Monnsouseki  漱石再読、「三四郎」「それから」に続いて、「門」について書いてみます。まずはあらすじをコピーします。

<門>学生時代に友人安井の内縁の妻を奪って社会から追われた野中宗助は、いまは下級官吏として、そのお米と崖下の借家で静かに暮らしている。彼らは一見仲のいい幸せな夫婦だが、暗い過去の影におびえ続けていた。そのため、宗助は弟小六の学費問題で、父の遺産を管理している叔父と積極的に交渉もせず、小六を引き取ることになる。大家の坂井と親しくなった夫婦は、かえって子供を持てない淋しさを感じ、同居の気苦労もあってお米は寝込んでしまう。それが軽く済み、無事年を越したところへ、宗助は坂井の家へ安いが訪ねて来ることを知り、苦悩のあまり一人鎌倉に参禅に出かけるが、悟ることはできずに帰京する。幸い安いは既に満州に去り、小六も坂井の書生となることが決まったが、春を喜ぶお米に、宗助はまたじきに冬になるよと答えるのだった(石原千秋 漱石と三人の読者より)。

Ennkakuji ……………… ………………

 あらすじの通り「門」の主人公宗助は、鎌倉に参禅に行くが、その行き先は円覚寺であり、その様子が、次のように見事に表現されています。わたしは昨年11月末に円覚寺を訪ねたのですが(写真)、そのとき私自身でその場に立った感覚が身震いするほどの文章表現で、文豪漱石の筆によって書かれているのです‥‥

‥‥山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮っているために、路が急に暗くなった。その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急に覚(さと)った。静かな境内の入口に立った彼は、始めて風邪(ふうじゃ)を意識する場合に似た一種の悪寒(さむけ)を催した。
 彼はまず真直(まっすぐ)に歩るき出した。左右にも行手にも、堂のようなものや、院のようなものがちょいちょい見えた。けれども人の出入(でいり)はいっさいなかった。ことごとく寂寞(せきばく)として錆び果てていた。

  山の裾を切り開いて、一二丁奥へ上るように建てた寺だと見えて、後の方は樹(き)の色で高く塞(ふさ)がっていた。路の左右も山続か丘続の地勢に制せられて、けっして平(たいら)ではないようであった。その小高い所々に、下から石段を畳んで、寺らしい門を高く構えたのが二三軒目に着いた。平地(ひらち)に垣を繞(めぐ)らして、点在しているのは、幾多(いくら)もあった。近寄って見ると、いずれも門瓦(もんがわら)の下に、院号やら庵号やらが額にしてかけてあった‥‥

 …………… ……………

 友人の内縁の女性を奪った咎を、宗助とお米が償いながら、ひっそりと暮らしていくのだが、時代が違うとはいえ、どうしてここまで罪を背負いながら暮らさなければならないのか。一方で、灼熱の情熱で結ばれた二人が、結婚後もその熱い気持ちを互いに失うことなく暮らしている幸福な姿は、芸術的とでも言え、現代の我々では、とうてい想像できない精神的に高められた、心の通じ合ったうらやましい夫婦だと思えます。

 「門」はその物語の最後を「春を喜ぶお米に、宗助はうん、しかしまたじき冬になるよと答えて下を向いたまま爪を剪る鋏を動かしていた」で終るのですが、「道草」の最後にも「世の中に片づくなんてものはほとんどありゃしない。一遍起こったことはいつまでもつづくのさ。ただいろいろな形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」というこれまた有名な科白が出てきます。いずれも漱石流の共通したものの考え方で、世の中への透徹した見方が、ずっしりとした重みで伝わってきました。 

 ところで崖の上の大家として登場する坂井なる人物は、漱石の小説にはめずらしく明るくて、磊落な人物として好ましく描かれています。経済的に裕福らしいことは当然ですが、話題も豊富闊達かつ相応の教養の持ち主らしいし、借家人である宗助を見下すこともしない、また、数人の子供があって、父親としても慕われている……といった調子で、平素金持ちを嫌い権力に批判的な漱石が、この坂井に対して一言の批判めいたことを書いていません。漱石の周辺にこのような実在のモデルらしき人がいたのか?、興味が尽きないところです。

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2007年1月 2日 (火)

それから(夏目漱石)

Sorekara_1  「それから」は明治42年に、朝日新聞に連載された。まずは、あらすじを 石原千秋著 漱石と三人の読者 から振り返ってみたい。 写真は初版本。

………… …………… ……………

<それから>3年前に友人の平岡常次郎に、知人の妹菅沼三千代を「周旋」して結婚させた経験を持つ長井代助は、いまは大学を卒業して年も30になるのに、父からの仕送りで高等な遊民として一戸を構えて優雅に暮らしている。そのため、失職して上京した平岡とは心が通い合わず、三千代は3年の間に子供を亡くし、心臓を患っていた。彼女は平岡との仲もしっくりしない様子で、淋しいという。そんな三千代を見て、3年前に既に愛していたことに気づかされた代助は、過去の行為を悔い、三千代に愛を告白し、三千代もそれを受け入れた。

 父の勤める佐川の娘との政略的な結婚を断わった代助は不興を買うばかりでなく、平岡が父に訴えたために、勘当されてしまう。生活の基盤を失った代助は、三千代とも会えないまま、職を探しに家を飛び出し、狂気のような回転する赤い色にのみこまれて行く。

 …………… …………… ……………

 一生食うに困らない生活を続けることができるはずであった代助は、「職業のために汚されない内容の多い時間を有する」高等遊民だったが、三千代との恋を自然の命ずる通り発展させ、社会の秩序に背く運命に直面せざるを得なくなるのが、この小説の大きな軸であった。結果、代助は長井家から放逐され、遺産相続にもおそらくありつけないだろう。

 その過程で、三千代との恋には、白百合の花が象徴的に出てくる。白百合は三千代が平岡と結婚する前の、代助と三千代との思い出の花であるが、これを、再会後三千代が代助宅を訪ねてくる時に贈ったり、また、代助が想いを告白するために三千代を自宅に呼び寄せた際、白百合を部屋に飾りつけたりして、登場する。ときは梅雨の季節、「雨のために、雨の持ち来す音のために世間から切り離され」「孤立のまま白百合の香の中に封じ込められた」2人が「5年の昔を心置きなく語り始める」というわけで、小説のクライマックスに達しました。

 石原千秋氏によれば、平岡の失職にともなって関西から上京した三千代は心臓を病んでいて、すでに夫とも性的な関係が持てない身体になっていた。一方で、三千代が代助に贈った白百合=ヤマユリは精液を思わせる濃厚な香りであり、この二つの矛盾する関係を白百合がつなげているという。「純潔な官能」とも表現されていて、そうだとすれば作家漱石先生のなんという幅の広さと、筆の冴えであろうかと感心します。

0701_sorekara_1  「それから」は、1985年に松田優作、藤谷美和子で映画化されていて、これも「三四郎」とならんで、この1月にTVーNECOで放映されるという。ビデオにしっかりとって、この辺の様子を映画でも見てみたいと思っています。

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2006年12月30日 (土)

三四郎~それから~門(夏目漱石)

 今年、江藤淳の「漱石とその時代」や、石原千秋の「漱石と三人の読者」など、いくつかの漱石関連本を読む機会がありましたが、この年末年始休暇に、ひさびさに漱石の小説そのものを再読しようと思い立ちました。

Sannsiro  さて、「猫」にしようか、「坊っちゃん」にしようか、それとも「こころ」or「道草」かなと、あれこれ思いましたが、結局前期3部作といわれる「三四郎」「ぞれから」「門」にしました。 とりあえず「三四郎」の記憶を呼び戻して頂くために、あらすじをコピーしてみます。写真は明治42年の初版本の表紙。

……………………

<三四郎>熊本の第五高等学校を卒業した小川三四郎は、東京帝国大学に入学するため上京するが、その途次女と同宿してうぶをさらけ出し、広田先生の鋭い日本批判に驚かされた。東京では大学構内の池の端で出会った里美美禰子に淡い恋心を抱き、彼女のストレイ・シープという謎めいた言葉に期待をつなぐが、理科大学助手の野々宮宗八と彼女の関係もつかめない。ついに画家・原口のアトリエに美禰子を訪ねて想いを伝えようとしたが、美禰子はそれを遮るように、自分の肖像画が池の端で出会った時の服装、ポーズであると告げた。ところが、それから間もなく美禰子が未知の男と婚約したことを知った。美禰子は別れに、「われは我が愆を知る。我が前にあり」とつぶやいた。翌春、「森の女」が公開されたが、三四郎はストレイ・シープと繰り返すばかりであった。(漱石と三人の読者のあらすじより)。 

  ………………

0701_sanshiro_1  たまたまこの1月に、テレビNECOで、漱石ものの映画をやるようで、本とあわせてみてみたいと思っています。八千草薫が美禰子を演じています。「猫」「こころ」「それから」の映画も上映されるとのことで、楽しみです。

 田舎から出てきた三四郎が見た明治の終わりごろの東京の変化の様子、広田先生を通して語られる当時の日本の風潮(実は現代にも通じている)が語られます。また男を翻弄するかに見える美禰子も、実は経済的にも社会的にも自立できない当時の女性の生き方に縛られていることが読み取れます。今回の再読でも、また、多くの新しい発見ができる漱石でした。

 

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2006年12月 3日 (日)

漱石を読みなおす(小森陽一)

Sousekiyominaosu  漱石の小説に、なぜ必ずと言っていいほど「お金」にまつわる話が出てくるのか?、「女」と「男」についての漱石の捉え方は?、「権力」をどう考えたか?「科学と文学」の共通項あるいは相違点はどこにあるのか?などなど、真正面から、漱石の小説や評論と立ち向かい、わかりやすく解き明かしている本でした。ちくま新書、1995年6月刊。

 ロンドンでの漱石の生活や苦悩についても、単なるエピソードで綴るのではなく、近代化にしゃにむに走り出した明治日本と、大英帝国が世界唯一の強国であった時代の終焉期にあって、漱石が20世紀という時代をどう読み取り、「個人」と「国家」がどう対峙すべきかの漱石自身の深い煩悶の結果、自分も他人も、人間みんなの「自己本位」を認め合うことこそが、あるべき姿だとの漱石の思考過程を、丁寧に説明していました。朝日新聞社の専属作家になった経緯や当時の新聞と政府・民衆即ち読者との関係も、漱石を読み解く上で、キーポイントになることもわかりました。

 子規との交友について、互いに魅かれあった部分、漱石が距離をおいた部分、士族出身の子規と町人出の漱石との対称など、その解説には迫真さがありました。

 「猫」「三四郎」「それから」「門」「こころ」「虞美人草」「草枕「坑夫」「二百十日」「道草」「明暗」などの作品のそれぞれの読み方、特徴点が随処に点描されるのであるが、そのどの指摘についても、「あ、たしかにそんなことが書いてあった」「自分も、あのときそう言うことを何となく感じていた」と、思いあたる記述が多かった。その意味でこの本の題名どおり「漱石を読みなおす」という気持ちを、奮い起こしてくれる本でした。

 以上、読後感として、いかにもまとまらないのですが、この本は数ある漱石評論の中でも、共感を覚え、含蓄があるという点では、最右翼に位置する本だと思えました。

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2006年11月10日 (金)

三屋清左衛門残日録(藤沢周平)

Mituyaseizaemonn_1  藩主の江戸詰の用人という要職を勤め上げ、藩に戻って隠居した中堅武士の日々=残日録。団塊の定年が話題になっているが、実はこれを読むのは、40歳のころ、50過ぎたころ、そして今回の3回目、あるいは、もう少し読んでいるかもしれません。その時、その時、共感する場面が多く、NHKテレビでの仲代達矢の静左衛門の姿も重なって、ゆっくり、ゆっくりと読みすすみました。文春文庫1992年刊。

 ………里江はよく気がつく嫁だ、と清左衛門は思った。里江の心利いた看護がなかったら、風邪を治すこともおぼつかなかったろう。だがそう思う一方で、今度の風邪騒ぎでは別の思いも胸のうちにあった--、ただ、死んだ喜和(妻)がいたならばとちらと思ったのである。病人として嫁の看護を受けてみると、いくらか窮屈な感じがしたのも事実である。

………たとえば、無理にも召し上がらないと風邪がなおりませんと、里江に言われれば、食欲がなくとも、出されたものを食べた。相手が死んだ妻ならば、喰いたくもないものを喰えるかと箸を投げ出したかもしれない^^^^

 テレビでの、嫁の役は 南果歩 で、なかなか味があった。幸せな舅だとうらやましながら見た記憶があるが、よくできた嫁に満足しながらも、亡き妻へのせつない思いを綴った、この文章の藤沢周平の描写は絶妙ではないでしょうか。

 この本では、迫り来る自身の老いや、零落した元同僚との交流、嫁にやった末娘の婚家での日常への気遣い、これも元同僚が中風(脳溢血?)に倒れて、リハビリにも取り組まなっかったのが、ラストでは、不自由な脚を曳きづって歩き出す様子など、実に身近な描写が織り込まれて、我が身に置き換えることの多い本でした。

 おきまりの藩の派閥をめぐる暗闘や、心のひだに触れるような付き合いとなる行きつけの飲み屋の、愁いをふくんだおかみ(テレビではかたせ梨乃)との出会いと別れなど、飽きさせずに読ませてくれるが、いずれまた、再読する時がきそうな、味わいのある一冊でした。

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2006年10月20日 (金)

名句鑑賞辞典(学習研究社)

Meikuyamazaki  市内の「芭蕉を読む会」で、「奥の細道」の講読を始めてまる3年、このほど遂にゴールの大垣まで、読み終えました。紀行文や旅先での発句の解釈だけでなく、杜甫や李白、西行や能因法師、万葉集・平家物語などなど、芭蕉が思いを馳せたいろいろな事柄まで踏み込んで、深く読んだため、たいへん長丁場の勉強会となりました。

 きょう紹介する写真の「名句鑑賞辞典」は、その勉強会の指導をしてくださった山崎省次先生が執筆されています。(監修:國學院大學名誉教授中村幸弘氏)。

 子規、虚子はもちろん、中村草田男、阿波野青畝、西東三鬼、さらに、夏目漱石や芥川龍之介などの句から、175句が掲載され、作者の履歴、句の情景や心象風景を、丁寧に解説されていて、ふだんの山崎先生の奥深く、型にはまらない研究姿勢がそのまま活字になっています。

Meikuyamazaki2 Meikuyamazaki3  夏目漱石の項をスクラップしてみました。明治を生きた漱石の履歴や小説のわかりやすいレビューに続いて、「霧黄なる市に動くや影法師」「腸に春滴るや粥の味」「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」の3句が紹介されています。いずれも、私にとって印象深い句が目に入り、共感しきりとなりました。

 ハンディで、手にとりやすく、通勤や旅行の待ち時間などで、気軽に読めそうです。読むうちに短時間でその俳人・作家の時代や、俳句の舞台に引きこまれそうな感じがします。

 ネットでの紹介・購入は、下記URLでもOKです。

 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31766968

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2006年10月12日 (木)

漱石先生ぞな、もし(半藤一利)

Sousekizonamosi  漱石の義理の孫で、歴史家の半藤氏が、漱石の小説、評論、著作メモの中から、また、義理の母が漱石の長女であるという、いわば身内ならばこそ手に入れられたエピソードなどから、肩に力を入れないで書き綴ったもの。

 この本のどこが印象的だったとか、どこがためになったというわけではないが、「『猫』に託した漱石の文明批評」「坊っちゃんは漱石自身でもあった」「鏡子(キョーコ)夫人は坊っちゃんの清(キヨ)に通じる」「三四郎の美禰子も、それからの三千代、草枕の那美さんも銀杏返し」「筋金入りの軍人嫌い・博士嫌いや権威におもねない漱石の素顔」「実業家もきらいだった」などなど、漱石の興味・関心、こだわりなどについて、なるほどそうだったな、と、おもわず納得するところが多かった。歴史家の著者であるだけに、小さな事実を探偵よろしく丁寧に追及しての「とっておきの薀蓄集」という感じに出来上がった面白い本でした。

 漱石が相撲好きだったというエピソードの中で、漱石の文章になる次の相撲描写は、「さーすが漱石」、NHKの相撲解説者以上と感心したので、少し長くなりますが、そのまま引用し、紹介してみます。○○○○●○●○●

 『あれは日頃の猛練習(稽古)によって、筋肉のすべてを自由自在に思いきり働かせることを、きっちり覚えておいて、数秒のわずかの間に、相手の手に応じて、妙技を奪って勝負をつけるのだ。相手が、こうやったら、よし、こうしてやると、頭の中で考えてやっている仕事ではない。瞬間にまったく相手に応じて押し掛けて行くのである。相手が押し掛けてきた手をぱっとはずして、それに応ずる手をこちらから仕掛けて、瞬間に勝をとる。負けるにしても、綺麗にパッと負けるところは実にいいね。まったく一つの技巧だね。芸だね。相撲にはそういう芸術的なところがある』

 ○○○○○●○○○--まさに、朝青龍、稀勢の里………、秋場所のテレビ中継を見ているような描写でした。

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2006年9月26日 (火)

銀嶺の人 下 (新田次郎)

Ginnreinohitoge  上巻で、マッターホルン北壁登攀を成功させた主人公、日本医大の医者となった駒井淑子が、下巻では、まずアイガー北壁に挑み、今日現在は、まだ読んでいる途中なのですが、下巻のちょうど真ん中あたりで、6人のメンバーのひとり、それも女性ただひとりとして、北壁直登に成功したところまで読みました。彼女は、いま、北壁制覇の感激の中で、ただただ、泣いています。新田次郎のこの小説は、一気に読ませながら、感激屋の私を、実にうまく共感させながら、アイガーに引き寄せてくれます。

Aigatouhann  左の図は、小説にある登攀ルートで、ーーホテル とあるのは、登攀チームが北壁の途中に作った、ビバーク地点で、6人のメンバーが、何とか寝袋で横になれる場所という意味だそうです。

Aigamap_1 もうひとつの地図は、アイガー概念図ですが、この夏、地図のクライネシャイデックからアルピグレンまで、2時間ほどかけて歩きました。ちょうど、アイガー北壁の真下にあたりますが、小説の場面は、まさに、そこから首根っこを痛くなるほど見上げた、垂直の絶壁、高低差1800mであったのです。

(この記事は、全部読んだところで、一部手直しいたします)。

 2006年9月28日、下巻を読み終えました。アイガー北壁登攀を成功させたあとの、山仲間の人間模様、主人公の二人の女性が、それぞれ異なった性格の山仲間と結婚を決意するまでの経過などを通じて、「人はなぜ山に登るか」を問いかけ、山に情熱を注ぐ人たちの姿を、描いていました。

 小説の結末は、主人公のひとり淑子は苦闘の末、三大北壁の最後となるグランドジョラスの頂上で結婚式を挙げる一方で、もうひとりの美佐子は、そこから7キロしか離れていないドリュー西壁で、新婚の夫とともに落雷に遭って死んでしまうと悲劇的な形となり、幸せなのか不幸なのか、今さらながら自然の恐ろしさを実感するのか、いずれにしても、印象深い形で終りました。

Monblancmap  最後の地図は、モンブラン山群ですが、去る7月、この中のエギューイ・ディ・ミディに上り、モン・ブランやグランド・ジョラスを目の当たりにしたことを思い出しながら、臨場感を持って読むことが。出来ました。

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2006年9月24日 (日)

『こころ』大人になれなかった先生(石原千秋)

Kokoroisiharatiaki  漱石の「こころ」の読み方を、早稲田の石原千秋さんが、高校生でもわかるように、説き明かした本でした。本の紹介によると………

 大人になることは、かつては親を超えることでした。ところが、その機会を奪われたのが、ほかならぬ「先生」です。そこに不幸の始まりがありました。「先生」が果たせなかった“父親殺し”の問題を、詳細に追究します。さらに、「先生」「K」「私」をめぐって幾重にも仕掛けられた驚くべき謎を読み解きます。最高の漱石入門。

 本の中心は、「先生」が親友Kも恋していた下宿のお嬢さんを、その親友を出し抜いて、結婚したあと親友が自殺、そのことを直接悔いたわけではないが、結局は先生も自殺をしてしまいます。なぜそのような衝撃的な経過を辿ったのかをめぐって、「人間は自分以外に頼れるものはいない。しかしその自分も覚束ない存在である」「人間は外部に見せている顔と、他人からは見えない内面の顔がある。その両方の葛藤やせめぎあいを乗り越えることが大人になるということである」などの、漱石の透徹した見方が分解されるところにありました。

 読み方として、「先生」の視点から、あるいは「青年」の視点、さらには「下宿のお嬢さん」の視点から、読解を試みています。いつか、石原さんがTV出演の中で見せていましたが、その手持ちの『こころ』には、たぶん何百回と徹底的に読み込んで、いたるところ朱書きが入っており、そのように読み込んではじめて到達できる小説の読み方があることに気付かされました。

 それにしても、高校生で、これだけのことがわかるとすれば、私の理解力の貧弱さに、愕然としなければなりません。

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2006年9月22日 (金)

銀嶺の人 上 (新田次郎)

Ginnreinohitojo  新田次郎の山岳小説。難解な「漱石」のあいだに、ほぼストーリーだけを追っていくことで、楽しめる物語………

 医大生 駒井淑子 と、鎌倉彫の新進彫刻家 若林美佐子というふたりの女性が、所属する山岳会の特訓で、鷹取山や奥多摩での初歩から始まり、谷川岳、奥穂高での著しい上達、そして、上巻の終わりでは、はやくもマッターホルンの北壁登攀を成し遂げてしまう。

 新田次郎の健筆が、山に魅せられた人たちの目的に向かう集中力を臨場感たっぷりに描いている。その中でも、思い込んだことを目指し始めた時の女性の強さ、一途さがいかに強いか味わうことが出来ました。一方、2人の家族、とくに両親は危険極まりない冬山や、岩登りに熱中する娘達をただ心配で見守るだけ、そこでも、母親の方は、やがて娘に委してしまうが、父親の方はいつまでたっても心配が募るばかりでお手上げなのところに、痛いほど同情できました。新潮文庫・昭和54年刊行。

 冒頭の冬の八ヶ岳で、主人公の女性ふたりが、初めて出会い、そこで、5~6日閉じ込められてしまう場面はなかなか印象的だった。物事に積極的で闘志が表に出る淑子と、控えめで無口だが、物事を冷静に見極め的確な行動が出来る美佐子という、2人の絶妙の取り合わせが、面白かった。
 

 下巻をチラッと見たところ、アイガーやグランドジョラスが出てきていて、このさき、どんな展開になるのか、楽しみです。

Mattahorunnmap Mattahorunnhokuheki 図は、小説に出てくる、マッターホルンの概念図と、北壁の登攀ルートです。この夏現地に行き、又、登攀ルートは、ハイキングルートから眺めてきたところだけに、臨場感があります。

 

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2006年9月20日 (水)

「漱石と三人の読者」(石原千秋)

Sousekito3ninnnodokusha  引き続いて夏目漱石に関する評論を読んでいます。1955年生れの早稲田の先生である石原千秋さん、最近テレビでもよく見かけますが、若い人たちを対象に、漱石入門などを、色々工夫しながら説いておられます。講談社現代新書、2005年6月刊。

漱石は松山・四国での教員生活の後英国へ留学、帰国後東京帝国大学教授となり、その後朝日新聞専属作家に転進している。その経過の中で、「吾輩は猫である」「倫敦塔」「坊っちゃん」「草枕」等を発表し、朝日に転進してからは「虞美人草」を皮切りに、前期3部作といわれる「三四郎」「それから」「門」、後期3部作の「彼岸過迄」「行人」「こころ」、晩年の「道草」「明暗」を残しています。

 それらの作品の中で漱石はどのような「読者」をイメージして書いたのかという角度からさまざま分析されている本でした。

<目次>
第1章 夏目漱石という文化
第2章 小説と格闘した時代
第3章 英文学者夏目漱石と小説
第4章 『虞美人草』の失敗
第5章 『三四郎』と三人目の読者
第6章 『こゝろ』と迷子になった読者
第7章 まだ見ぬ読者へ

 著者は三人の読者を「顔の見える読者」「何となく顔の見える読者」「顔のないのっぺりした存在」と表現しています。ストーリーを追うのが精一杯だった自分のこれまでの読書経験に、いろいろな切り口からの漱石論を加えることによって、漱石の奥深さがもう一段深まった感をもてました。

 「明暗」の解説のなかで「人が親しく身知っている自分の顔はいわば内面の顔であり、「日々他人に見せている外面の顔こそが自分にとっては身知らぬ顔だ」の表現があり、目から鱗の感がありました。随処に個別的にこのようななるほどと思うところが多く、一気に読みました。また、坊っちゃんの「清」、三四郎の「美禰子」、道草の「お住」、明暗の「お延」、虞美人草の「藤尾」、などなどの女性描写をより多角的に分解しているところは、興味深かった。

 しかしながら、どの漱石論にも云えることなのですが、「この本が結局のところ何を言いたいのか」については、簡単に言い表せません@@。それだけ漱石は奥深いということなのか?いや、著者に一目置かなければならない私としては、まだまだ、漱石の読み方が浅いといった方があたっているのだと思わざるを得ませんでした。

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2006年9月16日 (土)

大地の咆哮(PHP研究所)

Daitinohoukou 上海領事館の館員が自殺に追い込まれた事件、その真相はいまだに明らかにされていないように思われますが、そのときの総領事であった杉本信行氏の長年にわたる中国経験をもとに書かれた中国の現状。靖国をはじめとする日中関係についても、多くのページを割いていました。

 これまで折に触れて、中国の状況を報告した本を読んだことがありますが、この本は、それらのうちでも秀逸の一冊と感じました。いま宣伝される中国の経済成長や軍事拡張の一方で、沿岸部と西部の地域格差、農民への差別・搾取とそれがもたらす極貧状態、上海など都市住民におけるも勝ち組と負け組の格差、水不足・沙漠化・環境汚染、賽の河原のような中央から地方に到るまでの役人の汚職天国などなどは、この本を読む限り、末期的であるように見えました。

 靖国問題をはじめとする中国の日本批判が、「中国共産党の正当化」のためであることは、、もはや、周知のことですが、インターネットの普及などで目覚めつつある民衆の前に、ようやくその限界を知った中国政府が、数多くの国内問題を克服するために、日本の経済力や、優れた環境技術、少子高齢化対策などでの協力を、差し迫って求めているようにも感じられました。

 著者は8月にガンでなくなったとの事ですが、現役外交官がこれほど中国の真実を伝えた勇気に感服させられました。たいへん読みやすく、わたしのつたない感想をお読みいただくよりも、ともかくも手にとって一読されることをおすすめしたい本です。

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2006年9月11日 (月)

漱石と言う生き方(秋山豊)

Sousekiikikata  1993年に岩波書店より出された「漱石全集」の編集に携わった著者が、漱石の小説はもちろん、書簡、断片(メモ書き)、評論、講演録などにわたって、思い起こし、「漱石に寄り添って、漱石がどんなことを、どのように、考えていたか」を書き綴った本でしたが、ともかく、とりあえず通読しました。2006年3月、(株)トランスビュー社刊。

 「人生」「お金」「夫婦・女」「教育」「仕事」「宗教」などなどについて、漱石が登場人物に語らせたり、ストーリーの中に組み込んだ考え方や思いを抜き出して、著者の考えを説き明かしていく。読みながら、自分が原作を読んだ記憶を手繰りだし、「確かそういう場面があった、そういうことを言っていた」等が思い出されました。その多くが、当時、読み過ごしていたことが多いだけに、今一度、原作を読み直そうという気にさせてくれるところがありがたい。

 ………「自分のしてゐる事が、自分の目的(エンド)になってゐないほど苦しいことはない」(行人)

 ………「女は策略が好きだから不可(いけな)い」「何と云ったって女には技巧があるから仕方がない」(道草)

 ……… 「世の中に片付くなんてものは殆んどありやしない。一遍起こったことは何時までも続くのさ。ただ、色々な形に変わるから他にも自分にも解らなくなる丈の事さ」(道草)

 次から次へと抽出される漱石の名言、卓越した人間描写に圧倒されるが、いずれも、通り一遍の通読では身につかないものばかり。あらためて、「こころ」「道草」「門」、あるいは、「硝子戸の中」などの原作を読み返すべきなのだが、そこまで根気が続かず、ひとます、生半可なまま、読み終えたというところです。

 この本でもうひとつ新鮮だったのは、著者による「全集編纂の苦労話」だった。全集に載せるすべて?について、「漱石の自筆原稿に立ち返って」確認していくという、気の遠くなるような作業が行われていたこと。『椽側』と『縁側』、『饒?舌る』と『喋舌る』など、漢字ひとつにしても、漱石が原稿でどんな字を使っていたかを丹念に、編集者が実際に目を通している、ということを知り、今さらながら、出版社の良心、編集者魂のようなものを感じました。

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2006年9月 8日 (金)

アルプスの村アルプスの谷(新田次郎)

Arupusunitta  表題の新田次郎の紀行文を読みました。昭和36年の夏、1ケ月ほどの間スイスの各地、マッターホルン、モン・ブランやアイガーの名峰、グリンデルワルド、ツエルマットなどの著名な街はもちろん、題名にもあるように、「村」「谷」のあちこちを訪れ、自然やそこに住む人々の人情や生活ぶりなどを、表現豊かに綴られている本でした。

 今からほぼ50年前の紀行ですが、この夏私が行ってきた10日間のスイス有名観光コースは、もれなく登場し、また、著者が泊まったツエルマットの「ホテルモンテ・ローザ」は、私も今回利用したホテルで、読みすすむうち、もういちど、旅行しているような気分になりました。

 各地の印象記のすばらしさは言うまでもないが、とりわけ著者はスイスの牧草地に注目しています。いまでこそ緑豊かな牧草地が、アルプスの深い谷間から、山頂に向かって広がっていて、その風景の中の牛達や牧童の姿は、これぞスイスと言う景観ですが、それらは自然にそうであったのではなく、そこに住むスイスの人たちが、何百年にわたって営々と荒地を耕し、岩石を掻き分けて作り上げ、守ってきた、農民の労働の賜であると、再三にわたって指摘しているのが印象的でした。それだけに、日本の農村が瞬く間に都市化の波に飲み込まれるのと対照的に、スイスの農村が今でも人々によって、手厚く守られていることにあらためて、気付かされました。

Arupusunittamap_1  左の地図は、著者の旅のコースですが、スイスだけでなく、フランスアルプス、又、イタリア側からのアルプスもしっかりと歩いており、同じアルプスでも、土地の豊かさや、それに影響された賑わいの違い、文化の違いなどがみずみずしく記録されていました。

 この本によって、一層スイスの自然が懐かしくなってきて、是非、もう一度行ってみたいと、思うようになっています。

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2006年8月20日 (日)

アイガー北壁、気象遭難(新田次郎)

Aigahokuheki_1  この7月にスイスに旅行し、グリンデルワルドに宿泊、ユングフラウヨッホの壮大な景観を眺めたあと、クライネシャイデックからアルビグレンまで約2時間のハイキングをしました。
 このハイキングコースの出発点であるクライネシャイデックにはアイガーを愛した新田次郎の碑(写真)があり、まず実際にその碑を確かめることから始まりました。アイガー北壁の真下を歩き、首根っこが痛くなるような感じでアイガーを見上げながら歩きましたが、その途上、咲き誇る高山植物などの説明を聞く傍ら、ガイドさんから新田次郎が「アイガー北壁」という短編を書いているとの紹介があり、日本に帰って、早速読んでみた次第です。    

Nittajiro_1  この本には、取りつき点から頂上まで1800メートルの巨大な垂直の壁に挑んだ2人の日本人登山家の実名小説『アイガー北壁』。2人のパーティーが白馬岳主稜で吹雪にあい、岩稜から姿を消す『気象遭難』。冬期の富士山で、不吉な予測が事実に変って主人公の観測所員が滑落死する『殉職』。他にヨーロッパ・アルプスを舞台にした『オデットという女』『ホテル氷河にて』など、山岳短編の傑作全14編が収録されています。

 表題の「アイガー北壁」は、昭和40年に起きた実際の悲劇を、実名記録小説として、書かれたもので、マッターホルン北壁登攀に成功した日本人登山家が、そのすぐあと、晴れ間を縫ってアイガーに挑みます。しかし、気象の急変からひとりが遭難し、ザイルを組んだもうひとりのパートナーが自らも重傷を負いながら、やむを得ず仲間を岩場に残し、決死の覚悟で頂上を経て山を下り、救助隊を要請するのですが、遭難した当人は救助を待たぬまま自らザイルをはずし、死に至ってしまういう衝撃の物語……。

 短編集は国内ものでは、富士山、後立山連峰、穂高岳、笠ケ岳、霧ケ峰、谷川連峰などが、舞台になって、遭難と死、あるいは、遭難からの生還の物語が、山にまつわる仲間同士や男女間の人間的葛藤、個人の命への執着心のありようと関連付けられながら展開していきます。そのさまは、作者の見事な筆致の中で生々しくかつ迫真力があり、自然に対峙する人間の存在がいかに小さく非力であるかを、実感させてくれました。

 これまで新田次郎の小説は「八甲田山死の彷徨」を読んだだけでしたが、今回を機に、むすこし読んでみたいと思いました。

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2006年6月27日 (火)

信長の棺

Nobunaganohitugi 昨年ベストセラーになり、小泉首相が好んで読んだということで評判になった「信長の棺」を読みました。

著者が長年丹念に集めていた資料の読みこんだ、丁寧な製作態度が感じられたが、それは、一面で一気に読みきるとか、あるいは、ストーリーの面白さでわくわくすると言うような本ではなく、正直のところ、途中で面白くなくなって、投げ出してしまいそうな時期もあった。

それでも信長の遺骸が本能寺から消え、どこに葬られたのかという疑問が今でもそのままという事実は、なんとか最後まで読んでみようという私の関心をひきつける内容を持っていた。私が以前安土城址に上ってみたり、高野山で信長の墓に出会ったときには、そのような事には、まったく気にすることもなかった。、それだけに、斬新な切り口から、当時の光秀や秀吉の闘争、信長を巡る人間関係などが蘇って来て、目から鱗の感があった。

いくつか印象的だったことを書いてみます。

・信長の天下布武の目は日本だけでなく、世界に広がっていた。その国際性は、あの時代にして驚異的だ。わが国が大宮歴、京歴、伊勢歴など地方によって日はおろか、月まで違う不統一なものだったのを、南蛮ではわが国の何十倍の広さなのに、暦は統一されている事を知り、それを実施しようとした。これは当時の朝廷を公然と非難することにもつながることなのだが、合理主義者の信長は、気にとめることはなかった。

・「信長公記」が出来上がる過程で、秀吉が公記の著者でありこの小説の主人公でもある太田牛一に、逐一原案を読み上げさせ、秀吉にとって不都合な事実を抹消させたり、事実の解釈を自分にとって都合のよいように変えさせたりする。あらためて、「歴史は勝者によって作られる」ことを実感した。

・秀吉、光秀をはじめ、主君絶対であった時代に、表向き信長に絶対服従を誓いながら、また、そのように信長に酷使されながら、いずれ、信長といえども滅びる、最後は自分という信念のもとに、機会をうかがう当時の武将達のエネルギーに、感嘆する。サラリーマン人生の中で、ともすれば組織に安住してきたこれまでと比べ、「起業家精神」「一国一城の主」として、全人生、すなわち自分の生死ををかけた彼等登場人物たちの活躍に目を瞠った。それでこそ、本当の人生というべきか。

<加藤廣著 日本経済新聞社 2005年5月刊>

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2006年5月15日 (月)

「夏目漱石」を読み進む

Kokorosouseki  「夏目漱石」の本と高校以来で、再会したのは、実に45年ぶりで、近くの立川高校で公開講座があり、鴎外の「舞姫」、中島敦の「山月記」と一緒に教材となり、「近代小説の系譜をさぐる」というような、テーマだった。

とりあえず、漱石から深めてみようと、「こころ」を皮切りに、「道草」「門」「三四郎」「それから」「虞美人草」「坑夫」「草枕」「坊っちゃん」「行人」「彼岸過迄」「吾輩は猫である」「明暗」「夢十夜」「硝子戸の中」などと、それこそ、一気に読み進みました。さらに、その後たまたま文藝春秋が臨時増刊(写真)で、漱石を特集したので、漱石評論にも巾を広げ、今にいたっ                 ています。現在は江藤淳のライフワークとも言える「漱石とその時代 全五部」の第3部に差し掛かったところです。

 このブBunnshunnsouseki_4ログで、漱石について、自分が感じたことを、思いつくままに、書いてみることにします。

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