漱石の後期三部作の「彼岸過迄」に続いて、「行人」の再読を終った。まずは、あらすじを振り返ってみます(漱石と三人の読者ー石原千秋著より)。
<あらすじ>「友達」お手伝いのお貞の結婚相手を見るために関西に旅行した長野二郎は、胃潰瘍で入院した友人の三沢を看病することになったが、美人の患者をめぐって妙な暗闘を感じた。「兄」母と、大学教授の兄一郎と直夫婦も関西に来たので和歌浦見物に出かけると、直が二郎を好いていると疑う一郎が、二人で一泊旅行をして貞操を試してくれと依頼した。日帰りのつもりが台風で一泊した二郎は、直から死の覚悟や意味ありげな言葉を聞いたが、何一つ答えることができなかった。一郎には、直の人格に疑うところはないとだけしか報告しなかった。「帰ってから」東京に帰ってからも一郎夫婦はしっくりゆかないが、二郎は詳しい報告をしなかった。一郎に強く求められて、再度彼の疑惑を否定すると、一郎は父と同じで信頼できない男だと激怒した。ついに二郎は家を出て下宿をした。「塵労」下宿を訪ねた直は、自分は立枯になるしかないという。二郎は兄の友人Hさんに、一郎を旅行に連れ出してもらう。Hさんは手紙で、一郎が自分は絶対だと主張し、このままでは死ぬか、気が違うか、宗教に入るしかないという苦悩を語ったと伝えて来た。
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あらすじにあるように、「行人」には、女中のお貞さんのこと、友人三沢のことなど、多彩な人たちの事件が、それほど深い関連もなく描かれていくが、中心は、主人公長野二郎の兄で大学教授の長野一郎、そしてその妻、つまり二郎にとっては嫂にまつわる話でした。中でも、兄弟・母・嫂の4人が、和歌の浦へ旅行する時のことが、ハイライトでしょう。私は和歌山は通りすぎただけで、是非一度訪ねてみたいところですが、地図で見ますと、彼らの観光先の和歌の浦、二郎と嫂が暴風雨に逢ってはからずも同宿することになる和歌山市街は目と鼻の先になることが解りました。
それにしても一郎というのは、いまで言うDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)の典型のようで、自分から細君(嫂)との事について、次のような告白をしています(引用はいずれも「塵労」から)。
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兄さんはその細君の頭にこの間手を加えたと云いました。
「一度打(ぶ)っても落ちついている。二度打っても落ちついている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱり逆(さか)らわない。僕が打てば打つほど向(むこう)はレデーらしくなる。そのために僕はますます無頼漢(ごろつき)扱いにされなくてはすまなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、怒(いかり)を小羊の上に洩(も)らすと同じ事だ。夫の怒(いかり)を利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男より遥(はるか)に残酷なものだよ。僕はなぜ女が僕に打(ぶ)たれた時、起(た)って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでも好いから、なぜ一言(ひとこと)でも云い争ってくれなかったと思う」
……一郎は、ある部分漱石自身のことであるとも言われていて、そう、考えると、漱石先生自身も、実生活でDVの張本人であったことが十分想定されるのではないでしょうか?鏡子夫人の「漱石の思ひ出」にもそれらしい記述が、あったように記憶します。
こういう一郎のことですから、次のような人物描写もおおいに、納得性がありました。
兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥(おちい)っています。兄さんには甲でも乙でも構わないという鈍(どん)なところがありません。必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合(いろあい)なりが、ぴたりと兄さんの思う坪に嵌(はま)らなければ肯(うけ)がわないのです。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際(きわ)どい線の上を渡って生活の歩(ほ)を進めて行きます。その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏み外(はず)さずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。しかしこれが兄さんのわがままから来ると思うと間違いです。兄さんの予期通りに兄さんに向って働きかける世の中を想像して見ると、それは今の世の中より遥(はるか)に進んだものでなければなりません。したがって兄さんは美的にも智的にも乃至(ないし)倫理的にも自分ほど進んでいない世の中を忌(い)むのです。だからただのわがままとは違うでしょう。
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「行人」が書かれたのは明治末から大正はじめ頃で、現在と時代状況はおおいに違いますが、いつの時代にあっても、過度の思索や情報整理の混乱から、周辺への適応障害となる、コミュニケーション欠如の人間が発生することを、リアルに表現しているように感じ、長い引用をしてみました。
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哲学者の山折哲雄さんは、“妻の貞操を疑いはじめた一郎が、そのことに呪縛され打ちひしがれて、地獄の底をのたうち廻る。そして最後に、狂気を発するか自殺するかというところまで追いつめられていく。宗教の世界にのがれようともがくが、それもかなわない”と、小説を振り返り、そのことが、“当時強度の神経衰弱に悩まされ、宿痾である胃潰瘍に苦しめられていた漱石自身に重なってくる”と、言っておられます(文藝春秋昭和16年12月特別版)。すざまじい内面葛藤が迫ってきます。
このあと漱石は大正5年、最後の大作である「明暗」の執筆に取り組むのですが、しだいに胃潰瘍が悪化し、ついにこの年の12月9日、木枯らしの吹く寒い夕方永眠しています。
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この小説には、ほかにも実に数多くの含蓄に富んだ場面が出てくるのですが、とりあえず、最近話題のDVとの関連に焦点をあてたメモを作ってみました。
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<追記>2009年9月5日の日経新聞夕刊の「文学周辺」で、「行人」をテーマにして、和歌の浦周辺が紹介されていました。
……兄が実の弟に、自分の妻の操を試してくれと頼む。夏目漱石「行人」のクライマックスとも言えるシーンが展開されるのは、和歌山市の和歌の浦周辺だ……いま、あらためて和歌の浦の現場に立ち、登場人物の立場を想起しながら、小説を振り返り、その頃の様子を回想しています。
「この辺りに漱石の泊った望海楼と、東洋第一海抜200尺のエレベーターがあったんです」……土地の人の案内もあって、楽しい文章です。記事をクリックして拡大すれば、読めるかもしれません。
ここ半月ほど、このblogのアクセスでこの「行人」が、抜群に多く、トップを占めています。この記事を書いたのは,2007年2月で、いまなぜアクセスが多いのかよくわからないのですが、そうこう思っているうちに、この日経記事が掲載されたので、追加で記事にしてみました。
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